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彷徨する自由帖

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山本亭 - 大正末期から増改築を重ねた和洋折衷の館|東京都葛飾区・柴又の有形文化財

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公式サイト:

山本亭|葛飾区観光サイト

 

 京成電鉄金町線、柴又の駅から徒歩約6分。

 東京と千葉の境を流れる江戸川、その矢切の渡しにほど近い、柴又寅さん記念館と通りを隔てて建っている施設が「山本亭」だった。もとは、合資会社山本工場を創立し、カメラの部品を製造していた山本栄之助という人物により建てられた邸宅になる。

 基本は大正時代末期の建築で、以前の彼の家は台東区浅草にあったのだが、関東大震災を期にこの柴又に移転することになった次第。大正15年から昭和8年頃に至るまで、都度新しい要素を取り入れて増改築を重ねた素敵な建物だ。

 決して敷地は広くないのに沢山の見どころが凝縮されている。

 

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 駅からトコトコと歩いていって、まず長屋門の側から近付いてみた。

 伝統的な木造の平屋で屋根には瓦が葺かれているのだが、レンガ積み風にした外壁の角の部分や入口両脇の照明など、洋風の意匠が採用されているのがおもしろい。それは内装にも言うことができて、覗き込んだ時は特に、繊細なステンドグラスに目を瞠った。縦長の上げ下げ窓。

 透明な菱形の部分には他のところと違い、凹凸のあるガラスが嵌め込まれており、凝っている。色だけではなく質感にも差異があった。

 長屋門の内部の空間は裾部屋と呼ばれる。格式ある格天井に、花のようにふっくらとした橙色の電灯が映えていた。ここには普段から門番がいたほか、人力車の車夫、また客人の付き人などが控えていたらしい。

 

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 そんな長手門から山本亭に入って歩を進めると、居宅の旧玄関の横に洋風の応接間の棟が見えて、ああたまらないなと息を吐いてにっこりした。この、金属の、格子!

 上に並んだふたつの通気口も、格子の奥の角の取れた窓も、心拍数を増価させ血の巡りをよくする要素。とても健康にいい。

 もうわかる。隙間から首をねじ込んで覗いてみるまでもなく、この時点で自分の心をとらえる何かがそこに待っているのだと理解できてしまう。わかっていて足を踏み入れるんだから、もう恋。違うとしても限りなく近いものがある。

 徐々に近付いてくる母屋の玄関、その手前には防空壕があった。ふさがれている形だけを見るとまるで井戸のような。

 

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 受付で入館料を払って、いよいよ書院造りの様式を踏襲した居宅にお邪魔する。

 広縁に敷かれたカーペットに光がはねて、もあるのだけれど、加えておそらく木材自体の持つ色味も相まって、窓際では空間全体に柔らかく穏やかな臙脂の彩りがあった。ぼんやり赤い雰囲気、これがなんとも風流。天井は数寄屋風。

 書院庭園に面した側にはほとんど壁がなく、ガラスの引き戸で構成されているのも素晴らしかった。ガラスという素材、大正以降に建てられた建築の良さが詰まっている。

 説明によれば、山本亭は中央に設けられた廊下で大きく東西に二分される構造のようだ。東には鳥の間、雪の間、風の間。そして西側には、星の間、月の間、花の間と名付けられた和室が三つずつ並んでいた。各部屋に仕切りはないので、光も風も無音で通り抜けていく。

 

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 採光窓のある廊下のつきあたり、山本亭で最も古い時代に建てられたとされているのが土蔵。

 どうやら山本栄之助が邸宅をこの地に移す前からあったらしい。ちなみに、同じ場所に以前あったのは、瓦工場。鈴木家が経営していたもので、かつてはその邸宅も敷地内に存在していたという。彼らが瓦の製造をやめたきっかけは関東大震災だった。

 土蔵と舞の間を過ぎて館内をうろつき、西の旧玄関の側を見て回っていると、半ば開けられた引き戸に意識をとられた。足元には立ち入りを制限するための柵、どうやら応接室である洋間「鳳凰の間」は、部屋の外側からのみ見学ができるよう。

 ふと頭上を仰ぐとあまりにも美しいステンドグラスの欄間があり、氷の鏡……と脳内で呟いて、ただ硬直するよりほかになかった。

 

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 あんまり素晴らしいから何も言うことがなくなってしまう。大好き。家具や壁の感じも含め、最近遭遇した近代建築の中でも相当上位に食い込む、可愛らしい佇まい。

 この洋室部分は山本亭でも昭和初期に増築された箇所だった。絨毯の隙間からは寄せ木の模様が魅力的な床が露出し、壁紙に調度品の色柄や、四隅に置かれた彫刻などの佇まいと呼応して、見事な調和を生んでいる。何時間でも座っていられそう。

  暖炉のマントルピースは大理石だそうで、素材の持つ重厚さを活かしながらも、決して重苦しくはない感じを演出しているのが良かった。高い位置にある白い漆喰の天井もその一因のはず。

 接待されている客人も、豪華な洋室とはいえこんな雰囲気の間に通されたら、きっと心安く椅子の背にもたれてくつろげたことだろう。

 

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 現在、見学者が洋室の方に入ることはできないものの、和室の側の好きな場所に座って楽しめる喫茶メニューがいろいろある。お抹茶とか和菓子とか、あとぜんざいなども。私が選んだのはあたたかい珈琲、500円。

 入館料を払った場所で注文して、机のところで待っていると運んできてくれる。

 晴れた日の午前中、畳に腰を下ろすと最高だった。もう毎日入り浸りたいくらい。この季節は椿の花が咲いているのも心が癒されたし、花粉さえ飛んでいなければもっと……とスギの木を恨む。

 存分に空間を楽しんでから山本亭を去る時、長屋門の脇の壁が、わずかに湾曲しているのに気が付いた。こういのもやっぱり良い。

 

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 2022年3月現在、山本亭の入館料は大人100円で、近隣の寅さん記念館との合同券だと幾分かお得になるようだった。

 休館日は毎月第3火曜日。