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横幅がまあまあ狭く、要所に小さな踊り場が設けられ、途中で軽く折れ曲がりながら上方へ伸びている階段。写真左下の数字は段数の表示。
まるで生物の消化器官、なかでも食道みたいな印象がある。大きく異なるのは、入り込んだものがまず下に降りるのではなく、上昇していく部分だろう。1段ずつゆっくり。そして最後には出発地点に戻ってくることになる。
目黒駅より徒歩数分。ホテル雅叙園の「百段階段」は昭和10(1935)年に完成した、敷地内に現存する中では最も古い、唯一の木造建築。正式には、ホテルの前身である「目黒雅叙園3号館」のことを指す。料亭の明朗会計を売りにした雅叙園は、細川力蔵とその相棒、酒井久五郎が築き上げた牙城だった。
百段階段は常に一般公開されているわけではなく、美術展など何らかの企画の開催時のみ内部を自由に見学できる、主にギャラリースペースとして利用されている近代遺産。先日の訪問時には「大正ロマン×百段階段」展が開催されていた。
見学の際には1階で券を買い、現在のホテルのロビーから昇降機に乗って展示フロアに向かう。現在は感染症対策の観点から1度の利用人数が絞られているが、本来であれば、最大で40名以上の人数を運ぶことができる広さ。
そのエレベーターがまた分かりやすい豪華さで、扉も内部の全面も螺鈿細工でできている……。
使われている貝殻や漆の総量を想像するだけで眩暈がした。私は華美という意味で贅の尽くされた意匠にはあまり興味を抱いていないのだけれど、こういう、思わず笑ってしまうような絢爛さには定期的に邂逅したくなる。純粋に物珍しくて、面白いからかもしれない。
でも、百段階段の神髄が見られるのはやはりそれ自体の内部。
こちらは階段を少し上ったところにあるお手洗いだった。
簡素ながらも面積が広くて、荷物を置いたり衣装をよけたり、お付きの人間が一緒に居ても十分な余裕を確保できる空間になっている。手前の天井を見上げると、他の部屋でも多く目にすることになる扇の絵が描かれ、お手洗いといえどそれらしく雰囲気が整えられていた。
そもそも百段階段は、全部で7部屋ある大広間を縦に結んでいる通路。最下段からみると右手側に部屋への入口が並んでいて、かつては各部屋で、賑やかな食事や宴会が行われていたのだ。
順番に覗いていくと、それぞれ異なる特徴が顕著に表れているのがわかる。
百段階段の7つの間
十畝の間
マネキンが大正ロマン展の展示物、モダンガールの装いや可愛らしい着物を身にまとって佇んでいた。十畝の間は「じっぽのま」と読む。
長崎出身の画家、荒木十畝が天上の花鳥画を手掛けたことにちなんで名付けられ、格天井の桝ごとに描かれた円形の図は全部で23ある。手前の細い部分(前室)に8面、そして本間には15面。華やかだが落ち着いた感じの空間で、旅館の部屋みたいだった。もちろん極端な広さを除けば。
格天井の格子に目を凝らすと、そこには繊細な螺鈿細工が施されていて、また障子の木の格子は組子が描く文様になっていた。さらに上へと続く百段階段の世界へ見学者をいざなう門……はじめの部屋。
漁樵の間
漁樵、というのは漁師と木こりのことで、この部屋を覆う装飾の題材になった「漁樵問答」に由来する名前。中国、宋の時代の文人の話だった。
顕著な特徴は柱、天井、そして襖を除く壁に至るまで隙間なく施された、彩色彫刻。柱のものが特にすごい。レリーフ状に浮き出した人物達や草花が影を落とし、見ているこちらが動くと、まるで生きているかのように刻々と表情を変える。全体的に使われている純金の奔流が少しだけ怖い感じで、迫力に圧されるよう。
日本画の方は平面ではあるが、これも周囲の半立体に決して負けない鮮やかさで、いずれも存在を主張していた。
草丘の間
礒部草丘による、四季の草花や松原の風景画に囲まれた一間。
障子の向こう側に回廊があって、部屋の2面がガラス戸に面しているのが特徴だと思う。前の部屋と異なり光が多く入ってくるので雰囲気も大きく変わる。だからこそ今回の大正ロマン展では、日本ステンドグラス作家協会による作品の展示スペースに選ばれたほか、会期中限定の喫茶室にもなっていたのだろう。
戸に施された組子細工は面腰という手間のかかったもの。見ただけだと文様のパターン自体はシンプルでも、それを建具として端正な状態にするのには、想像を超える技術が必要なのだった。
静水の間
天井に、鮮やかな色の扇が4つ舞っている。秋田杉を利用した美しい格天井に描かれた図柄。縁起の良いとされるモチーフは、絢爛な空間の中でいくつも視界に入ってくると、どこか妖しい印象もあって魅力的だった。
ここは画家、橋本静水が次の間の天井や欄間を手掛けていることから「静水の間」と名付けられたのだろう。奥の間を飾る秋草の絵の方は小山大月によるもので、金箔の字に細い草、すすきの穂が揺れている情景は平面でありながら空間の深みと広がりを感じさせる。
ステンドグラスのランプは日本ステンドグラス作家協会、北田峰子の作品。暖色の葉が重なって傘になったような意匠のものだった。
星光の間
星光の間は他の部屋と少し違い、百段階段に直接繋がってはいない。上の静水の間の前にある廊下を通って奥に行くと入口があり、隠し部屋みたいで楽しかった。
見どころは板倉星光の四季草花図で、ひとつの欄間に季節ごとの何かが描かれているのだが、それらを眺めているとお腹が空いてくる。それもそのはず、カレイ(ヒラメ)、ぶどう、柿、たけのこなど……絵の食材はことごとく旬の時期に味わうとおいしいものばかり。
心の中で勝手に「食材の間」と名付けて呼んでいる。書院造りの部屋を引き立てる、北山杉や槇出節の床柱も艶があって撫でまわしたくなる。
清方の間
鏑木清方といえば、私にとっては挿絵画家。泉鏡花など同じ近代の作家作品を思い浮かべると、自然とその絵も脳裏に何枚かあらわれる。
彼はこの部屋を気に入っていたらしく、実際に扇面形の杉柾板や欄間の四季風俗美人画を手掛けていて、確かに清方の間と称されるのにふさわしい内装となっている。色彩の淡さや線の美しさが他の部屋の絵とまた一線を画するので、こうして幾部屋を見学してきても飽きることがないし、天井の華やかさを阻害せず調和しているのが素敵だった。
木の皮を編んだような天井板と入口部分、花頭窓を思わせる造形、障子細工の富士がときめきを誘う。
頂上の間
最後、頂上の間の雰囲気は百段階段のてっぺんにふさわしく、格天井の部分に描かれた絵にも変化が見られる。扇の図だけではなくて崖や滝、あるいは海の雄大な風景など……松岡映丘の門下生が担当したものらしかった。
そして草丘の間に続き、ガラス戸が回廊の片側にある仕様。高い場所にあるから眺めがよく光もより効果的に取り入れられるのだろう。訪問時は展示のため赤いカーペットが敷いてあり、設置された電話や椅子などの小道具を引き立てていて、企画展の主旨どおり「大正ロマン」の趣を楽しめた。
また、ガラス戸の木枠が交差する部分の装飾が場所ごとに違うのにも気が付く。各部屋、または廊下の窓のところなど、見比べてみるとおもしろい。
上に挙げたこれらの7部屋が、百段階段を構成する広間になる。
名前は百段なのだが実際の段数は99となっていることから、奇数(陽数)の縁起の良さを意識したか、あるいは完璧な状態ではなく次にまだ続く余地を残したのか、諸説が語られているそう。
企画展を開催するギャラリースペースとして使われているだけあって、展示物の有無が空間全体の雰囲気に大きく作用していると思う。展覧会ごとに比較したり、はじめは気が付かなかった場所にもう一度目を向けたりと、一度ならず何度でも足を運ぶ価値のある建築物。
常に開かれているわけではない、というのも、実は結構わくわくする要素である気がする。
だって昭和の竜宮城と呼ばれているくらいなのだから、こうして人を招き入れる時にだけ忽然と現れて、残りの期間はどこかの海を不可視の状態で彷徨っていても全然おかしくない。