大正4(1915)年に竣工、その2年後の同6(1917)年に内装も含めて落成した、旧島津家本邸。現在の清泉女子大学本館。年に数回のツアーによって内部を見学でき、この時も現役の学生の方が丁寧に案内して下さった。ジョサイア・コンドルの設計した建物は、彼がその…
いにしえの時代から仕舞いっぱなしのものと、比較的新しい世になってから仲間に加わった文房具の交々が、時には整然と、またある時には雑多に横たわり、私が手に取るまで黙って行儀よくまどろんでいる。いや、むしろ爆睡している。肩を掴んでゆすぶっても、…
ふたつの記事の続き。朝早く起床して、旅館の部屋から外に意識を向ければ、それはもう見事としか言いようのない美しい空模様。昨日のものとは大違いで、まさに「こういうやつ」が見たかったのだと頷いた。あの感じはあの感じでまた違った良さと風情ある雰囲…
群馬県中央のあたりに位置する、伊香保の地。3月の末頃に泊まっていた。実はそれが最初に話題に上ったきっかけも、では行ってみましょうか、と最終的に決定させられた要素が何だったのかも、今年の春はさほど遠い過去ではないのにはっきりと思い出せない。そ…
布団や、洋服や、人間に共通する点といえば、どれも「洗って乾かしたばかりの状態がいちばん好ましい」というところだ。多分。洗濯物を乾かすには太陽が要る。別に好きではないけれど、あれが空にいてくれなければ濡れたものを干せず、満足のいくまで乾かせ…
中山道六十九次の宿場のひとつ、馬籠宿は坂の上にあって、中心はきれいな石畳の道に貫かれている。けれどその色は黄ではなく、陽を受けると明るく輝く灰白色だった。石畳をどこまで辿ってもエメラルドの都には辿り着かない。でも、忍耐強く歩を進めて妻籠宿…
本陣とはそもそも宿場の中にあって、大名をはじめとした藩の重役を主に逗留させた施設で、宿場や村の有力者の家などが使われることが多かった。それより一段階、格式の下がる脇本陣とは異なり、よほどのことがない限りは一般の宿泊者に提供されることもなか…
2022年初夏に開催されていたOisix(オイシックス)×はてなブログの特別お題キャンペーン。ふたつお題があるうちの「好きだった給食メニュー」に私が投稿した記事を、今回の「優秀賞」10作品のひとつに選んでいただき、5,000円分のAmazonギフト券もいただくこ…
公正世界誤謬。公正世界仮説、ともいう。正しい人が必ず報われる。だから報われなかった人は、すべからく正しくなかったのだ、という非常に特殊なはずの考え方。これが人間の集団においては、なぜか、いとも簡単に幅を利かせる。いっそ不気味なくらいに。常…
長野県、南木曽の周辺を巡る一連の記事の続きです。福沢桃介記念館を出てから妻籠宿に立ち寄ったのは、島崎藤村の生誕地である馬籠宿をたずねる際、馬籠峠の手前でちょうど経由することになる場所だから。この周辺は日本国内でも最初に「重要伝統的建造物群…
一方、反対側の崖に腰を下ろして緩慢に足をぶらぶらさせている私は、短い間に何度も背後を振り返って、その美しい光景を眺めるのだった。もちろん、心底彼らを羨みながら。あんな風に気にかけられ、存在を惜しまれることで、どれほどに満たされるだろうかと…
立派に葉の茂った大樹が描かれた看板。その根の下にじっと目を凝らしてみると、モック、というカタカナの文字を構成しているパーツも、実は丸太なのだとすぐに気が付いた。まず、それだけでどきどきして楽しくなってしまう。頭の中で呟く。文字が、丸太でで…
数日前に古本屋で買った小説のうち一冊に、田辺聖子の「夜あけのさよなら」があった。今から45年以上前に刊行し文庫化された本。そしてその途中、上の引用にあるような、カットグラスのドアノブが颯爽と登場したのである。まるでどこかの角を勢いよく曲がっ…
私の場合、港湾都市に生まれたので昔から海は身近にあった。けれどどちらかというと苦手な場所で、その理由は、海に対して感じるものの多くが「癒し」よりも「畏怖の念」に基づくからかもしれない。不用意に生身で近づきたくないのだ、どうしても、油断して…
南木曽駅の出口から徒歩で5分くらいの距離、福沢桃介記念館と桃介橋からもすぐの場所に、「桃介亭」というお蕎麦屋さんがある。金曜日、土曜日、日曜日……と、週のうち3日間だけ開店しているのだった。首都圏から移住してきた親切なおじさまがおひとりで回さ…