chinorandom

彷徨する自由帖

MENU

「死んだ方がいいんじゃない?」は誰の声なのか、という個人的な問題

※当ブログに投稿された一部の記事には、Amazonアソシエイトのリンクやアフィリエイト広告などのプロモーションが含まれています。

 

 

 

 

 

 そう中途半端に生きているなら、いっそ死んだ方がいいんじゃない?

 

 と、確実に言われるだろうと思っていた。言われても仕方がないだろうなぁ、とも。罵倒や嘲笑ではなく、ごく普通のこととして。

 けれど実際に周囲から投げかけられたのは、存外に温かく含みのない励ましの言葉や、心地よい程度の無関心……だった。それで私はかなり大きく戸惑い、自己の身の振り方、また心の持ちようについて、改めて深く考えさせられたのを覚えている。

 振り返れば2018年の頃。驚くことに、もう4年も前になるのだった。

 

 

 記憶もおぼろげな当時、躁鬱を筆頭とした著しい心身の不調で大学を辞めて、どうにか仕事を探し当てたばかりで、毎日必死に暮らしていた。そもそも気が滅入っている上に、身体もろくに動かせないので救いがない。でも、久しぶりに出身高校の懐かしい面々で集まるというから嬉しく、自分を鼓舞して出掛けていった。

 まだ、現在のような情勢とは無縁の世界で、予定さえ合えば簡単に複数人で集まれた頃の話。高校3年間、クラス替えもなく否応なしに同じ空間で過ごした専門コース出身の人間たちで顔を合わせ、話すのは常のように楽しかった。

 そこには当時の私の状態を知っている者はほとんどおらず、互いの近況を尋ねる折になって初めて退学したことや、精神的に不調で、あまり創作活動に身が入っていないことなどを伝える機会を得たのである。てっきり、周囲から笑われたり馬鹿にされたりするものと決めてかかっていたので、拍子抜けだった。拍子抜けとしか言いようのない気分。

 たとえば、前に比べて落ちぶれたね、とか、何か揶揄するような言葉をかけられると思っていたのに……。

 

 どうしてそんな風に思っていたのかというと、同級生はみんな(これを本人たちに言うと強く否定するんだろうけど)相当な努力家で、各々の立てた目標に向かって、黙々と言い訳せずに邁進できる類の人たちであり、以前は私もその一員のつもりでいたから。一員どころか、そのうちの誰にも引けを取らないつもりでいた。

 これまで、そう自負して色々なことに頑張って取り組んできたし、達成感を得られる瞬間が一番の幸せだった。その都度理想を設定して歩くのが最高に楽しく、わくわくして——。

 けれどどういうわけか体調を崩して倒れてしまい、大学は中退、しかも昔から「怠け病」「甘え」だと自分でも判断して憚らなかった鬱に両足を突っ込んでいるとあっては、周囲に合わせる顔がないと感じていたし、第一にとっても恥ずかしい。

 恥ずかしいし、だからその状態はもう全然、楽しくなかったのだった。

 

 当然の帰結として、何が面白くて生きているのかがすっかり分からなくなる。

 だって、楽しくない人生を生きたいか?

 自分で自分を好きになれないような人生を生きたいか?

 絶対に、嫌。運よく五体満足で、これほど恵まれた地域に暮らしているのにもかかわらず、辺りに溢れているあらゆる機会を空費していると考えるだけで嫌。嫌すぎる。

 

 こんなことでは「それなら死んだ方がいいんじゃない?」と正論を投げられるに違いない、と暗い気持ちで身構えていた。身構えながら、今こっちはこんな風になっていて、結構、いや相当に駄目な感じなんだよね……などと近況を話したら、みんなから返ってきた言葉は「ちょっと頑張りすぎたんだね」だったから驚いてしまう。

 頑張りすぎたんだね。なんだか、随分と不思議な響き。

 あとは「もう大学辞めたんだったら当面の間は日本にいるんでしょ? じゃあいつでも会えるね」とか。あ、遊んでくれるんだ、いまいち努力の足りない駄目な人間とも。と、その時はどこか遠いところから人の声を聞いているみたいな印象だった。

 

 それから時間をかけて考えてみて、結局「死んだ方がいいんじゃない」と私に言ってくる存在は、私の中の私自身に他ならないのだろうと思っている。

 でも、何より重要なのはそれがどうして起こるのか、根本的な理由を探ることであり、単純に自分が感じたからで終わってしまっては意味がない。

 記憶をさかのぼれば、そういう意識に繋がる要素は決して一種類ではなく、これまでに過ごしてきた短い年数を通して、生活のそこかしこに散らばっていたような気がする。

 

 たとえば、私は努力ですべてがどうにかなるとは微塵も考えていない。

 また、誰かの何かがうまくいかない時でも、それはその人が弱いからだとはまったく思わない。

 しかし、世間は、社会は、学校は、あるいは家庭では、果たしてどうだっただろう?

 私をとりまいていたそれらの「世界」は、直接ではなく間接的に、この心の中に「できない人間は努力が足りない」「弱い人間から脱落していく」という思想を、確実に植え付けた。そういう仕組みになっていた、と言い換えてみてもあながち間違いではないかもしれない。誰もはっきりそうとは言わないのに、知らずのうちに誘導されている。

 

 公正世界誤謬。公正世界仮説、ともいう。

 正しい人が必ず報われる。だから報われなかった人は、すべからく正しくなかったのだ、という非常に特殊なはずの考え方。

 これが人間の集団においては、なぜか、いとも簡単に幅を利かせる。いっそ不気味なくらいに。

 常に、不可視の存在と「人生という競技」で勝敗を争うような価値観を、ほとんど無意識のうちに内在化させる世界の構造。個人的には義務教育の影響が大きかった。そこに身を置いていた自分は、数々の問題に自身の考えひとつを持って対峙してきたようでいて、実はどれほど植え付けられた方の思想に引きずられていたことだろうか。

 

 だから「教育」された心がこう言う。何かが首尾よく運ばないのは、理想を掴めないのは、ぜんぶ自分の力が及ばないせい。努力で溝が埋まらないのは、そもそも努力が足りないせい。なのに往生際が悪く、言い訳をしている。

 そこで、じゃあ死んだ方がいいんじゃない、と判断される。特定の思想によって。内在化された、世間の価値観によって。

 つまりはそういうことらしかった。

 

 例の声が元よりどこから聞えてくるのか、一体誰の声なのか。

 それが分かるのと分からないのとでは認識に雲泥の差があった。

 今度はここから、また新しく、違う問題を考えることができそう。