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彷徨する自由帖

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白いタオル地のぬいぐるみ

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ショートストーリー(SS)

 

【濯いだ後に抱き締めたい】

 

 布団や、洋服や、人間に共通する点といえば、どれも「洗って乾かしたばかりの状態がいちばん好ましい」というところだ。多分。

 

 洗濯物を乾かすには太陽が要る。別に好きではないけれど、あれが空にいてくれなければ濡れたものを干せず、満足のいくまで乾かせないわけなので、憎たらしくもその顔を見られると安心するのが常だった。

 いましばらく、そこにいて。雲なんかの後ろには隠れてくれるな。

 と、バルコニーから空を眺めて強く願う。おそらくはいつかの時代、どこかの地域で、連日の豪雨に悩まされていた太古の人間も同じ祈りを捧げていたように。

 

 残念ながら「乾燥機能付き洗濯機」などという超ハイテク家電は私の家にはなく、コインランドリーはどこも独特の湿った雰囲気に満ちているのが苦手だから、洗濯物の乾きづらい気候が続いてもまず行かない。雨天の部屋干しは不完全燃焼覚悟、背水の陣……もう文字通りの最終手段で、できれば選びたくない方法である。

 だからいつも、何をしていても、さりげなく外界の様子を伺っていた。よし、よし、いける、今洗えば干せる、短時間で乾かせる——そう確信できる瞬間、洗濯と呼ばれる儀式を開始するのに、最適な機会を探して。

 布面積が少なかったり、さほど分厚くもなかったりする服などならまだ、いい。悪くてうす曇りや、半日しか晴れなかった日であっても干すには干せる。

 一方、布団や布団のシーツ――時には枕やクッションも含む――これらには十分に太陽光を浴びせないと、理想の状態にならない。苛立たしい話。たとえ洗っても最後にきちんと干せないのなら、少しばかり汚れた状態と大して変わらないではないか。生乾きの布の気が滅入る生臭さ。

 

 そして晴れてはいても、うっかり昼前の遅い時間に起床してしまった休日なども、駄目。なぜなら午前中、早めの時間帯から洗い終えたものを外に出しておかないと、内側の乾燥が不十分になってしまう。

 いったい何の試練なのか? あるいは修行?

 こういうことに気を回していると、必然的に他の家事全般がおろそかになり、自分でも後ずさりするほど適当なものを作って食べてしまう。生活のあらゆる雑事を単なるルーティーンだと言い切り、機械的にこなせる人間は超人だ。衣食住に退屈しない才能、毎朝毎昼毎晩の代わり映えしない繰り返しに工夫を凝らして耐えられる精神、私はそれに恵まれていない。

 昔から「あんた、それを途中で放っぽりだしてどこに行くんかね!」と背後で叱られながら、やりかけの草むしりや籠作り、広い土間の掃除をひとまず保留にして、近所の緑地にある遊歩道を歩いたり、電車で違う街に出掛けたりしてしばらく帰らなかった。


 しかし、今日は逃げ出すわけにはいかない。

 なにしろ洗わなければならない重要なものが、ふたつもある。

 

 さっそく初めの仕事にとりかかった。

 昨日の天気予報ラジオでキャスターが「明日から、快晴の3日間が始まります!」と強力な呪文を唱えたため、それで今日がぬいぐるみを洗う、輝かしい日に決まった。きちんと早起きしたのだ。このために。

 両手に乗ってしまう程度の大きさをしたタテゴトアザラシのぬいぐるみは、ふんわりした白いタオル地で外皮が形成されており、キーホルダーチェーンを通す小さな輪っかが頭の上につけられている。そもそも、水族館の売店で買った当初はキーホルダーとして売られていたものだった。でもどこかにぶら下げる当てもなく、今では単なるぬいぐるみと化している。

 ただやさしく撫でて、抱いて、顔をうずめ、それ自体を存分に愛でるための。

 

 この人生で初めて手元に置いた、もう20年以上も大切にし続けているぬいぐるみだ。あのときは買ってから家に持ち帰るまで気が気ではなかった。不意に私の両手の隙間から、しなやかな胴体がするっと抜け出て、どこか別の海に帰っていってしまいそうで怖かったから。

 あの小さな前足と後ろ足のヒレを、翼みたいに広げてパタパタ羽ばたきながら、はるか遠くへ……。

 さいわいにもこの子はそうやって逃げずに、まだここに留まってくれている。

 

 ぬいぐるみを洗うときはいつも緊張する。

 もちろん、手洗いだ。全自動の方が簡単だからといって、洗濯機に放り込むなんて野蛮な行為は絶対にしない。それでは何の意味もないし、この顔に縫い付けられた、ふた粒の黒豆みたいにつぶらな瞳、文末のピリオドを思わせる点の眉毛を見てもそうできると思えるのなら、心ない鬼畜だと私は容赦なくののしるだろう。

 愛するアザラシのぬいぐるみ――味気ないのでここからは「しろたん」と正式名称で呼ぶ――の存在は、もうほとんど御本尊と言ってもよいくらいのものだった。

 

 しろたんの洗浄のために用意する洗濯液は神聖な水。通常の洗剤ではなく、繊細な衣服を洗う用に特化したものをさらに四百倍に薄めて、刺激の少ない快適なプールを作る。

 できたらそうっと全身が浸かるまで沈めて、何度か揉み、少しずつ水を染み込ませていく。気持ちいいね、しろたん、とたまに声をかけるのも忘れない。

 十分に液が浸透し、内側まできちんと洗えたと判断できたら今度は洗剤を流してしまうために何度か水で濯ぐのだが、このとき指の腹で軽く押していると、むにむにと形を変えながら細かい泡を出すのが愛おしくて仕方なかった。そうしてホコリも軽微なしみも、溶けるように流されていく。

 濯ぎが終わったら脱水をするので、厚めのタオルの上に寝かせ、これまた優しく押さえるようにして慈しみながら全体をくるむ。丁寧に水を吸わせてやれば形は崩れない。

 脱水作業の最後には万感を込めて丸みを帯びた頭を撫で、目の粗い洗濯ネットに入れ、それを陽当たりと風通しのよい所に吊るした。光を透かして揺れる真空パックのようなネットと、ネットの内側にころりと収まっている、しろたんのふくらみが窓の外にあるだけで素晴らしい気分になる。

 早くあれに頬ずりしたいもの。

 

 バルコニーから引き返すと、最高のタイミングでインターフォンが鳴る。

 来た。これが本日ふたつ目の大仕事、そう、人間の洗濯。

 とはいえ私が洗うのではない。対象となる人間に、自分で自分を洗ってもらうのだ。

 

 マイクでの応答はせずに、覗き穴から相手を確認して、ドアノブに手をかけた。

 事前に連絡を貰っていたから誰かは分かる。私と背丈も年齢もほとんど変わらない男、垂れた印象の眉毛が穏やかな人相を作り上げているが、実際にはそこまで穏やかな性根でもないことを、これまでの関わりでよく知っている。

 ドアを開ける前の一瞬で想像した。

 彼から発される声、挨拶と会釈に微笑み返して身体を引き、家に招き入れる。この、とんでもない外気温と湿度の中をしばらく歩いてきた相手の額には、珠の汗が光っているだろう。背中や胸にところどころ張りついたTシャツも、触ったらじっとり湿っていそうな筋ばった両の腕と、その手首に回った腕時計の革のバンドも、とにかく気になって仕方がない。

 ああ、はやく身にまとったものすべてを取り去らせて、全身を濯ぎ、石鹸で洗って、汗も外のホコリも全部流し去ってもらいたい。それで最後にきちんと乾燥させたいものだ。

 

 なにしろ私は、洗いたてのものが大好き。だから人間だって同じ。

 きれいに濯がれた身体に、乾かしたばかりの服を着せて、そのまま抱き締めて頬ずりしたり、首筋に舌を這わせたりしたい。あまい匂いを肺いっぱいに吸い込みたい。そんな風にして半日を過ごせば、怖いくらいに照り付ける太陽の下、彼がこの家を出る頃には、今度はしろたんのぬいぐるみがすっかり乾いて「ちょうどいい」状態になっているはず。

 だから次はそれを抱き締めて眠る。

 丁寧に洗い、乾燥させた、うっすらと洗剤の良い香りがする、白い動物を。汚れても洗えば何度だって抱き締められる、つくりものの愛おしい存在。

 

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はてなブログ 今週のお題「最近洗ったもの」