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彷徨する自由帖

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名古屋を散策する(2):文化のみち~和洋折衷の邸宅群をめぐる|愛知県旅行

 

 前回の記事、市政資料館とカトリック主税町教会を見てまわった記録は以下になります。

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二葉館の2階にて

 教会を出てからも引き続き、文化のみちを歩いていった。

 今回は白壁・主税・橦木エリア内にある、三つの邸宅を訪れた感想を書こうと思う。どの建物も明治末期から大正時代に建造が開始されたもので、和洋の意匠や様式がおもしろく組み合わされており、見ていて飽きることがない。第二次大戦前の、比較的自由で開放的だった頃の文化の雰囲気をかすかに感じることができる。

 こうして日本の近代産業を牽引した実業家たちの軌跡を、彼らがかつて暮らした家のようすを通して覗き見るのはとても楽しい。なかには家族や周囲の人々との関係性を窺い知れる場所もある。会社や事業を動かす際の外側へ向けた顔と、身近な人間と共に過ごす家での表情、もしくは二つが入り混じったもの――教科書に載るような事物の渦中にいた人達だって同じようにそれらを持っていたのだ。

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橦木館の古いお風呂

 しかし語り継がれる功績(や、有名な身内・友人など)を持つということは、その人物の人生や性格、あるいは取るに足らない小さなエピソードに至るまで、後世の人間によって言及され掘り返されてしまうという大きなリスクを孕むことと同義でもある。例えばかつての文豪が綴った恋文や教科書上の落書きは、それらが発見されると何らかのメディアにより報道されるが、本来であれば記憶と歴史の闇に葬り去られるはずだったものを衆人の目前に晒されるのは何とも言えない気分であることだろう。博物館などで展示されている物品のなかにはそういったものも多くあると思う。

 かつての家が公開されるのに加えて、そこに住んでいた頃の様子を探られたり研究されたりするというのは、彼らにとって一体どんな気分なのだろうか。もちろん事実を知る由もなく、ただ想像するほかないけれど。私だったら辛い。当時の所持品から何に興味を持っていたのか推測されるのも怖いし、憶測で人生を語られるのも不快な感じがする。でも、自分自身は嬉々として過去の人物の痕跡をこうして漁り、楽しんでいるのだから、仮にこの世を去った後に同じことをされてもあまり強くは出られないなぁとも思うのだ。

 生前にできるだけのことはして、あとは流れに任せるほかない。

参考サイト:

なごや歴まちネット(名古屋の歴史的資産紹介サイト)

名古屋情報通(名古屋情報サイト)

  • 旧豊田佐助邸

 現在、主に自動車産業の分野で国際的な名声を誇っているトヨタ。その原型となった豊田自動織機の創始者、発明王と呼ばれた豊田佐吉――ではなく、弟の豊田佐助の方が実際に暮らしていたのが、この主税町の3丁目に佇む二階建ての邸宅だった。彼について書かれた資料はあまり多くないが、単に家族というだけではなく、ビジネスの面でも兄の佐吉を支えていたのだという。主税町付近にあった他の兄弟の家は老朽化などの理由で取り壊され、いま残っているのはこの佐助邸のみとなっている。

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佐助邸正面

 玄関口がある棟は白色のタイルの外観が特徴的な洋館となっていて、奥に隣接する日本家屋の空間とは内部で繋がっている。毎週火・木・土曜日にはボランティアの方々によるガイドツアーが実施されており、私たちがここを訪れた際にも丁寧に説明と案内をしてくださった。土曜日だったのが理由かどうかは分からないが、見学者の数が多く混雑していたのを覚えている。

 邸宅の中に足を踏み入れると、まずは美しく磨かれて光る、長い廊下が目に入ってきた。使われているのは継ぎ目のない木の板。それは、良質な建材を手に入れ利用することができるだけの財力を、当時の豊田家が持っていたということを示唆している。

 また、壁には当時を偲ばせるガス灯もみられた。明治の頃にはイギリスやフランスに続き、日本でもガスを利用した街灯が使われるようになっていたが、それを室内照明として利用した初期の例にはかつての鹿鳴館に設置されていたものなどが挙げられる。時代を考えると、一般の住宅にこれが使われているのは珍しい。江戸時代に使われていた行燈や蝋燭にくらべて数倍の明るさを持つガス灯の火は、人々の生活を様々な角度から照らした。

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射し込む光

 やがて、おもに照明として使われていたガスのエネルギーは、暖房や調理器具など「熱源」としての役割を徐々に担っていくことになる。国内でガス関連の器具が製造されるようになるまではイギリス製のものを主に輸入して利用していたようだ。

 そのような暮らしの中のガスに関する情報は、東京・小平のガスミュージアムで展示品と共に詳しい解説を見ることができたので、そこを訪問した時の感想や写真をまた別記事に載せようと思っている。

 他にもふすまの木の板をずらすことで現れる花の模様など、細かな意匠が楽しい。上の写真は二階の書院のものだ。加えて、洋館の一階では豊田の名をひらがなで表記した「とよだ」という文字の形を使って、天井に設えられた通気口の細部がデザインされていた。遊び心を感じる。

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洋館1階

 和館の一階には壁の一部がむき出しになっている場所があり、そこでは当時まだ多くなかった、建物に耐震補強を施した際の痕跡を見ることができる。豊田佐助邸(和館の側)が建てられた大正12年はちょうど関東大震災が発生した年なので、その影響もあるのだろう。これだけではなく、他に水洗のお手洗いや、電話ボックスなどを屋敷の中に取り入れていることからも、設計者の趣味や先進的な意識を感じられる。佐助とその家族がかつて暮らした家はそんな場所だった。

 余談だが、現在一般的なお手洗いでみられるような陶器製の便器が日本で造られるようになったのは、1904年頃のことだそうだ(参考ページ)。製造は日本陶器合名会社によるもので、拠点はこの名古屋に置かれていた。そして次項で紹介する邸宅〈橦木館〉に住んでいた井元為三郎も、名古屋の地で陶磁器商として財を成した人物なのである。

旧豊田佐助邸:大正時代の生活様式と美的感覚に思いを馳せる『旧豊田佐助邸』 | 名古屋情報通

 

  • 文化のみち橦木館(旧井元為三郎邸)

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正面から

 大正末期に建てられたこの邸宅だが、その住所名に由来して、現在は橦木館(しゅもくかん)という愛称で呼ばれている。入館料は200円だ(近隣の二葉館へも行く場合は共通券が320円とお得)。

 正面の戸をくぐる前に上を見上げると、綺麗な青い星を象った照明があしらわれているのに気付いた。どういった意図でこれを設置したのかは分からないけれど、単純にとてもお洒落だなと思う。派手さも子供っぽさもなく、クリーム色の建物の外壁と青系のガラスが対比され、よく映えて素敵だった。

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星型の灯り

 館内に足を踏み入れると、これ以外にも、遊び心と色彩センスを感じる意匠のステンドグラスを幾つか楽しむことができる。特にカフェ(入場料なしで利用できる)となっているテラスの窓や階段の左横、化粧室の上部に設置されたものは青い鳥をモチーフとした可憐なデザイン。また、二階にある大きな黄色いガラスの嵌め込まれた戸は、外光を受けると室内を柔らかく照らしていた。付近の窓際にはダチョウに乗ったとある人物の写真が展示されているが、これがこの橦木館を建てた人物・井元為三郎だ。

 彼は明治30年――当時24歳にして独立し、主に絵付けの陶磁器を扱う井元商店を設立した若き実業家だった。東南アジアの国々へ積極的に商品を輸出するなど、その活動は日本国内にとどまらず、後に米国にも会社を持つようになっている。橦木館内にはそれらに関する展示もあった。

 この時代の名古屋は他の陶磁器関係の会社(前項で言及した日本陶器合名会社など)や絵付けの職人が多く集う聖地となっており、為三郎がここを拠点にしたことに納得がいく。製品の加工に必要だった広い土地を比較的安く手に入れられるほか、港に近く輸出の際の手間が省けるという理由で、彼以外にも多くの業者がやってきたのだ。

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黄色いステンドグラス

 やがて昭和が訪れ、第二次世界大戦の影響で、隆盛だった名古屋の陶業は一時的に衰退する。終戦後は連合国による占領下でも積極的に輸出を続けていたようだが、様々な要因によってその勢いも下火になったようだ(参考:名古屋陶業の歴史)。それでも、今なお残る産業遺産の数々が辿ってきた軌跡の一部を語ってくれる。余談だが、最近は八王子市郷土資料館で、占領下の日本で製造されたピアノに"Made In Occupied Japan"の印があるものを見かけたことを思い出した。

 そういえば、名古屋市内にはかの有名な「ノリタケ」の博物館がある。以前は食器への興味が薄かったので、これについて調べるまではその存在をすっかり忘れていた。陶磁器やその歴史に興味があるなら既に知っている人が多いと思うが、ノリタケの森に足を運ぶ際にはこちらの館や名古屋陶磁器会館の側でも興味深い展示品が見られるのでおすすめだ。

 橦木館には洋館と和館で構成されているほか、敷地内の離れた位置には土蔵と茶室も設置され、多目的スペースとして一般に貸し出されている時がある。土蔵の1階は中に入って見学ができるがちょっと怖い感じがした(まあ大抵の場所にある蔵の雰囲気はそうだと思うが)。晴れた日にここを訪れ、色硝子から漏れる光を眺めながら、喫茶室でコーヒーやジェラートを口にするのも楽しそう。実際に館内のカフェは人で賑わっていた。

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窓際の机

 そして、ここから5分ほど歩くと見えてくるのが、鮮やかな朱色の瓦屋根が特徴の邸宅だ。上で紹介した二つの邸宅に住んだ実業家と比べても、ある種スキャンダラス(かつ少々下世話)な関心を周囲から集めた二人――女優・川上貞奴と、《電力王》 福沢桃介のかつて暮らした場所が「二葉館」だった。

橦木館:文化のみち橦木館|大正末から連なる記憶を今へ伝える

  • 文化のみち二葉館(旧川上貞奴邸)

 この二葉館は、もともと付近の東二葉町にあった邸宅を平成17年に橦木町へと移築したもので、復元にあたっては可能な限りオリジナルの建材が使用されているが、外観も内装も真新しくぴかぴかな感じだ。

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ひつじ雲と二葉館

 創建当時の状態のまま残っているものは多くない。けれど、館内の造りや設備は忠実に再現されているので、雰囲気は十分に感じられる。また今回の記事で紹介した建物の中では最も洋風の趣が強い。

 1階では大広間、旧食堂の大きな窓から光が採られ、漂う空気を開放的なものにしていた。植物をモチーフとした図柄のステンドグラスに加え、半円を描き2階へと繋がる階段が見どころ。私たちが訪れた時にはそこで写真撮影イベントが開催されており、カメラを片手に、当時の家主であった川上貞奴(かわかみ・さだやっこ)のドレスを模した衣装を楽しむ女性たちの姿が多くあった。

 貞奴は、本名を小山貞という。彼女は時に「日本の女優第一号」とも称される人物で、23歳の時に売れっ子役者の川上音二郎と結婚し、彼の一座とともに各地を巡業しながら舞台に立っていた。日本国内に限らずアメリカやヨーロッパの国々を訪れる中でもその評判は高まっていき、フランスでは勲章まで授与されている。

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旧食堂の窓

 そして夫、音二郎と死別してから七年後のこと――彼女はかねてより浅からぬ交流のあった(元恋人ともいわれる)人物・福澤桃介と、この館で共同生活を始めたのだった。

 桃介は旧姓を岩崎といい、「学問のすすめ」を著した福澤諭吉の娘、ふさと結婚するにあたってこの名字に変わった。婿入りを促した張本人である諭吉の出資のおかげで彼は望んでいた米国留学を実現させ、見識を深めて帰国し炭鉱会社に勤めるも、結核を患いしばらく療養生活を続けることになる。その後は株により多くの財を得たことをきっかけとして、大同電力株式会社を設立し社長となった。やがて木曽川沿いに複数の発電所を建設するなど順調に事業を拡げ、この二葉館では有力者を招いて接待をしたり、貞奴の設立した川上絹布株式会社を助けるなどしていたようだ。貞奴は見目麗しく演技ができるだけではなく、商才もあった。

 まさに才色兼備の二人。1985年に放送されたNHKのドラマ「春の波濤」では、彼らを取り巻く人物や環境がいろいろと描写されているので、興味のある人は見てみると面白いかもしれない。公私ともに支え合い心を通わせて過ごした貞奴と桃介を遠目に、桃介の妻ふさは一体どんな気分で日々を過ごしていたのだろうか。そもそも結婚のきっかけは諭吉が桃介を気に入り、資金援助をちらつかせたことによるものなので、初めからその辺りは割り切って関係を築いていたのかもしれない。これはあくまでも推測だ。

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当時の配電盤

 二葉館内では、桃介が設置させた当時最新鋭の電気設備の一端である、配電盤を硝子越しに眺めることができる。このレバーを見ると思わず心が躍ってしまうのは私だけではないと思うがどうだろうか。

 館内には和室(茶の間、書斎、婦人室)もあり、そこには殆ど創建当時のままの姿が残されている。

 玄関から近い広間が外部の人間を招き入れる応接室だとしたら、奥まった場所に位置するこの部屋は生活をする空間という印象を受けた。書き物机や火鉢に着物。ぼろぼろになった旅行鞄。華やかな調度品や装飾で訪れた人々の目を楽しませる場と、静穏に日々を営む際に必要なものが集まった場との対比が、実際に館内を歩いていてはっきりと感じられた。

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大広間の階段

 個人的に、彼らの物語をもっと追ってみたいという気持ちが大きくなったので、いつか南木曽にある桃介記念館と桃介橋にも足を運ぶ予定だ。そちらは冬のあいだ閉館しているため、訪問を計画する際には都度確認をしておきたい。

二葉館:文化のみち二葉館|名古屋市旧川上貞奴邸

 さて。次回、この名古屋旅行についての最後の記事は、覚王山にある山荘風のお屋敷「揚輝荘」と庭園、そのかつての所有者などを調べ、実際に訪れた感想を写真と共に書き残そうと思う。また、現地で食べて美味しかったものにも少し言及したい。

追記:

続きを書きました。

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 どんどん新しい土地を訪問しているのに記録をまとめるスピードが遅いのは、小説や漫画をつい大人買いしてしまい、それらを消化するのに時間がかかっているからです。稼いだお金で好きなだけ好きな作品を買い手元に置いて読むことができるって本当に素晴らしいですね。毎日がこの上なく楽しいです。