どちらかといえば最近の出来事よりも、昔のことの方をよく覚えている。
しかしながら記憶をさかのぼる限界というのも確かにあり、自分の場合、回想を徹底する試みは、いつも「特定の人物」の前に帰結して終わる。
ぼんやりした影としてのみ脳裏にあらわれる、そのひとの姿。
背は高い? それとも低い?
優しそうな顔? あるいは怖い顔?
輪郭を探るために指先で触れればたちまち霧散する印象は、結ぼうとするそばから解けていく、たおやかな紐のよう。
私は父の顔や名前を思い出すことができない。
特に名前の方は思い出す以前に、そもそも知っていたかどうかすらもわからない。
彼とともに時間を過ごした数少ない記憶(と呼ぶのも気が引ける、あのボタンを押して絵を変えるおもちゃのフィルムじみた、静止画に近い一場面)のうちに、「悪い夢を見ない方法」について教わった際のものがある。
会話の前後はすっぱり切り取られていて、覚えているのはわずかな言葉だけだ。
何を言われたかはきちんと心に刻まれているのに、相手の声音も、語るときの表情も、どこにいたかも抜け落ちているとは本当に奇妙なもの。
もしも君が悪い夢を見たくないのなら、お腹や胸に、手を乗せないようにして眠るといい。
父は私にそう教えた。
以来、苦痛や悲嘆の感情を著しく喚起する夢に苛まれて、息を弾ませ、鼓動も激しく深更に目を覚ましたときは、必ず己の手の位置を確認するようにしている。
そうするとだいたい、無意識に自分を上から押さえつけて寝ていたことに気が付くのが常だった。
どうして父はこんなことを話したのだろう。
幼かった私が尋ねたから答えたのか、あるいは単に、何かの気まぐれだったのか。
いくら考えに考えても思い出せないのだから仕方がない。
そのひとに連れて行ってもらった場所をふたつだけ、記憶している。ひとつは小さな公園で、もうひとつはこれまた小さな映画館。
当時はまだ2歳か3歳だった頃のはず。
公園の方の情景に描き込まれているのは鉄棒だ。
支柱が桃色をしていて、うんと背伸びをしてようやく握る部分に爪の先が届く、そのくらいの高さがあった。傍らにいた父は時折、ぶら下がったり飛び上がったりする私の補助として、両腕を提供してくれたのだったか。ずいぶんと曖昧に過ぎる。
遊んでいる最中にたくさん話しかけられた記憶がないので、口数の多い方ではなかったか、もしくは小さな子供とはあまり話さない性格をしていたのかもしれない。
邪険にされたり怒られたりした覚えも、特にない。
成長してから、私はとにかく公園(そこで遊ぶ行為というよりは場所そのもの)が好きだったのだと周囲に聞かされたが、これといった実感は湧かなかった。
むしろまったく別の人間の話をされているような錯覚に陥った。
そしてもう一方の場所、映画館に関しては、おそらくどこかのテーマパーク内部に存在するミニシアターではなかったか……と推測している。
どうしてそれだけ妙に具体的なのかというと、座席の感じを記憶しているから。つやのある木のベンチのような横長の席で、たとえば遊園地などにあって、気軽に入退ができる類の上映設備によく似ている。
鑑賞していたはずの映画の内容は漠として濃い霧の彼方だが、確か、すずらんのような白い花をモチーフにしたキャラクターが登場していた。……もしかしたら「それいけ!アンパンマン」の登場人物・すずらん姫かもしれない。
真相はわからない。
父であるはずのそのひと、記憶の中の影の人は、もう近くにはいない。
あぁそういえば、幻みたいにいなくなってしまう前、本を何冊かもらった。たしか魚の絵本が3冊と、日本と世界の偉人について書かれた、子供向けの書籍を2冊くらい。玩具の類ではなくて本だった。
だから、私が文字を読む行為に強く心を寄せた子供であったのを、きっと十分に理解してくれていたはずなのだ。
冗談のような言い方になってしまうが、彼が現在も生きているのか、あるいは死んでいるのかは一切が不明で、わざわざ確かめる気も別に起きないのだった。
誰かに聞けばあっさり教えてくれそうだが、家の周辺に居る人間が今まで一切話題にしてこなかったということは、つまり知らなくてもよい、ということなのだろう。
正直、かなり奇妙な家なのである。
これ以外にも変わったことが数えきれないほどあるのだが、それは私が外の世界に出て、他人という存在と関わるようになってから思ったことだ。
やがて、そもそも外から見たときに奇妙でない家など、地上には存在しないのだと悟った。
どの家も、独自の典範のもと動いている、それぞれが全然異なる時代と地域とで作られた、用途の計り知れない機関のようなものらしかった。
私は昨日も凄惨な夢を見てしまって文字通りに飛び起き、跳ねる心臓をなだめつつ手を身体の上からどかして、もういちど固く瞼を閉じた。
そうして暗闇の中で、また記憶の洞窟の最奥、本当に深いところまで降りないと会ってはくれない人の前に立ち、おそるおそる指先で輪郭を探る。髪の色も目の色も、表情も背格好も何もわからない。覚えていないから。
それでも必要な言葉をくれる。
もしも君が悪い夢を見たくないのなら、お腹や胸に、手を乗せないようにして眠るといい。
父は私に教えた。
だからこれから先、自分はどんな場所で寝ていて、どれほど酷い悪夢から醒めたのだとしても、それを思い返すたびにゆっくりと安堵の息を吐くのだろう。
内容の真偽は正直どうでもよい。
授けられた言葉は、大海に浮かんだ筏に揺られながら羅針盤を見て、または星を探して航路の手掛かりを掴むときのような、要するにそういう感覚を与えてくれる種類のものなのだった。