東京都は豊島区、巣鴨にある「とげぬき地蔵」。
この名前をすっかり忘れてしまい、どうしてもどうしても思い出すことができなかったのだが、記憶の中の丘にはそれが「何か先端が鋭いもの、尖ったもの」に関係しているのだという確信だけが碑のようにそびえていた。
おそらく、「とげぬき」の「とげ」から連想された要素だったのだろう、と思う。とげはちくちくするものだから。
何か、先が尖っているもの……。
木の枝? 千枚通し? ……針?
最終的に惜しくも「とげ」には到達できなかった思考回路が「そう針、針だ」という結論を導き出したのか、私は「針で……いや、針をどうにかする、みたいな名称の地蔵が巣鴨にはあったはず。あの、例えば『針のむしろ地蔵』的な名前の」と必死に説明を試みた。
針のむしろ地蔵。残念ながら、見事に通じなかったのだけれど。
けれど上に加えて「先端が鋭いものや尖ったもの、に所縁あるような名前の、地蔵」と言い募ってみたところ、それは「とげぬき地蔵」なのではないか、と早々に理解を得られて安堵した。成程とげぬき地蔵か……。針じゃなかったね。
針のむしろではなく、とげ(とはいえ由来からすると「針」を指しているものなので、あながちこの勘違いも全く見当違いなわけではない、と言い訳をしておく)を身体から取り除いてくれるというので、関連して、体内の病など害をなすものを抜いてくれる地蔵として年中参拝客を集めているらしい。
そんな「とげぬき地蔵」こと高岩寺が位置する、巣鴨地蔵通商店街。
私が初めてこの場所を訪れたのは高校を卒業して数年後、かつて同じクラスに所属していた何人かの友達と、一緒に散歩したり食事をしたりして遊んだのを覚えている。ただ、集まったそもそもの目的が何だったのかは忘れてしまった。
その日の食事の中でも美味しかったのが「あじのたたき定食」。検索してみると「巣鴨ときわ食堂 本店」というお店の名前が結果に挙がり、なら当時足を運んだのはこの食堂なのだろう、と思う。
椅子などの内装にも見覚えがあるので、多分ここ。
どうやらかなり人気の店のようだけれど、何も知らなかったので調べてみて驚いた。
あじのたたき、とても美味しかった記憶があるから、訪れた数年前から様子が変わっていないのなら他の人にもおすすめできる。普段、生魚をあまり食べないので、好みのものに外で出会えると嬉しい。
ぶつ切りにされた魚の肉体の艶めかしさ。箸でつまみ、口に運んで容赦なく咀嚼した後に、それが喉を滑って落ちていくのを感じる悦楽。
私にとって名前が思い出せない、といえば「とげぬき地蔵」以外にも妙な変遷を辿ったものがあり、それが横須賀の軍港めぐりツアーでたまに見られる米国の原子力空母「ロナルド・レーガン」であったりする。
猿島を散策したついで、ツアーに参加してみたは良いものの、体験をあとで回想する際にどうしても名前が思い出せなかった。
最初に浮かんだのはファジー・ネーブル、無論カクテルの名前。それからなぜか偉人のネルソン・マンデラが浮かび、とても時間がかかって、ようやく正しいロナルド・レーガンへと至った。出てこない時はどうしてこれほどまでに出てこないのだろう。
こうして書き出してみると本当に心底どうでも良い事柄だと嘆息する。
何か特定の語句を思い出したいのに思い出せない時、当たらずとも遠からずな(また、場合によってはまるで見当はずれの)名詞がどんどん脳裏に浮かんでくる現象について。