参考サイト:
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三笠公園周辺
まず、以下は既に当ブログへ記録したふたつの場所です。
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猿島砲台跡
三笠公園横のターミナルから出航している船に乗り、約10分で辿り着ける猿島に残っているのは、かつて建設された東京湾防衛のための要塞。
幕末から明治にかけて軍事拠点としての重要な役割を果たしていた場所で、主にレンガ造りの興味深い遺構が多く見られる。
特に切通しに並ぶ兵舎を含む旧要塞施設群の遺構は、2015年に国の史跡として指定を受けた。時代ごとに増設や改築を繰り返していたこともあり、オランダ積みやイギリス積み、それから小口積みなど多様な煉瓦が確認できる。焼成時間が異なるレンガの組み合わせが目を引く箇所もちらほら。
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記念艦三笠
その役割を終えてからは公園の敷地に横付けする形で固定され、現在は博物館となっているイギリス製の戦艦、三笠。
衛星写真や地図で今の三笠を上から見てみると、船体はほとんど陸地と一体化しているように見えるのがわかる。廃棄を逃れた三笠がこのように固定され、保存されるに至ったのは大正14年の頃だった。
海戦において大きな功績を残し保存されている「世界の三大記念艦」にもその名を刻んでいる。ちなみに他の二隻はイギリスの戦艦ヴィクトリーと、アメリカの戦艦コンスティチューション。
ヴェルニー公園周辺
JR横須賀駅の改札を出て徒歩1分ほど。当初は臨海公園と呼ばれていたが、平成13年に新しく庭園を整備し、ヴェルニー公園と名称を改めた海沿いのエリアがある。
幕府からの依頼を受けて1865年に来日したフランス人技術者、フランソワ・レオンス・ヴェルニーの名前がその由来で、敷地内に建てられた記念館では彼についての基本情報や、貴重な機械遺産について知ることができる。
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ヴェルニー記念館
前述したフランソワ・ヴェルニーにゆかりのある、ブルターニュ地方の住宅を模して作られた建物の外観がいい。屋根にあるドーマー窓や、壁面と連続しているかのような煙突、石積み風の質感も。
ここは主に、かつて横須賀製鉄所で使用されていたスチームハンマー2基(0.5トンと3トンのもの)を保存・展示している施設。それらの大きさから、記念館が完成してからでは内部に運び込むことができないので、先にスチームハンマーを設置してから建物の建設に着手されたという背景がある。
私も実際に3トンの方の写真を撮っていて、画面に収まりきらない迫力に圧倒された。上部と下部に分割しないと全体を写せない。
また、横にある小さなスクリーンでは稼働時の映像が流れていて想像の助けになる。なんでもハンマーが落下する場所に、総重量の数十倍もの物体を埋めておくものだったというのだから驚く。
展示されているスチームハンマーは1866年にオランダから輸入されたものである。
現役時代は主に造船分野で活躍し、スクリューや外輪、そのロッドといった船舶の部品を作るのに使われた。ヴェルニー氏は横須賀製鉄所の建設に携わり、土地測量を率いていたほか、実際にハンマーの設置を指示した。残された記録からは、事業へ向けられていた彼の情熱が伝わってくる。
同時代の横須賀には彼以外にもフランス出身の技術者が少なからず暮らしており、周辺の文化にさまざまな影響を及ぼした。いわゆる洋食や、日曜日に仕事を休む生活習慣などが代表的だろうか。
また、鉄道により各地から人々が行き交う街だった横須賀は、日本の近代化を語るうえでとても重要な位置を占めている。
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逸見波止場衛門
公園の隅で、小ぶりな2本の塔を思わせる建造物が道を挟んで向かい合っていた。これが旧横須賀軍港の逸見波止場衛門で、推測される建設年代には幅があるが、昭和5年頃までには完成していたとされている。
まるで帽子のように、正面につばを持つドーム状の屋根が気になってじっと見た。経年の微妙な色合いが味わい深い銅板葺き。それぞれの塔は八角形をした鉄筋コンクリート造りで、外壁の地面に近い部分にはスクラッチタイルが使われている。
明治末期から大正初期にかけてのヴェルニー公園は波止場であったそうで、この衛門に掲げてある札を見ると片方は「逸見上陸場」、もう片方は「軍港逸見門」となっていた。
入口が格子の扉と鍵で閉ざされており、まったく関係ないのに牢獄を連想させられて少し嬉しくなってしまった。私は近代の監獄や留置所を見学するのが好きだ。明治村の金沢監獄しかり、名古屋市市政資料館地下の独房しかり。
縄や鎖をかけておくためだったのだろう、鉄製のフックにすらときめく。
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再現ティボディエ邸
「よこすか近代遺産ミュージアム ティボディエ邸」は2021年5月末に開館したばかり。
かつて横須賀には1869年頃に竣工した洋館、フランス人技師ティボディエの官舎が存在したが、老朽化により2003年に解体されていた。その建材の一部を使い、外観や間取りを再現して開館した小さな博物館がこの施設というわけだ。
結局こうして再現するのならば、実物を保存しておいて移築してくれればどれほど良かったか……とは思うのだが、すべての近代建築を残しておくのが不可能なのも残念ながら理解はしている。
無料で見学できる内部では、近代の横須賀から広まった文化の紹介や当時の道具、年表などを楽しく見た。当時のティボディエ邸の雰囲気を再現したエリアや、実際に使われていた木骨煉瓦壁に天井のポストトラスといった建材の展示もある。
個人的に改めて興味深く感じたのは、ヴェルニー記念館の項でも述べたが「休日の概念の輸入」だった。日曜日に休むという文化の無かった横須賀に、主にヨーロッパから来た労働者たちが持ち込んだもの。現在の私たちはさも当たり前のようにそれに従って生活していることが、不思議に思えてくる。
それから当時の水飴のラベルや電信関係の機器も眺めていて飽きない。入場無料なので、近代にあまり親しみが湧かないという人も気軽に入ってみるのはどうだろうか。
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YOKOSUKA軍港めぐり
ヴェルニー公園の東端に位置する汐入ターミナルから出発し、米海軍横須賀基地と海上自衛隊司令部を眺めたり、イージス艦や潜水艦についての解説を聞いたりすることのできるツアーがある。YOKOSUKA軍港めぐりといって株式会社トライアングルが主催しており、所要時間は約45分。
そのチケット売り場に移設されていたのが、かつて米海軍EMクラブにあった昭和のシャンデリアだった。
また、このツアーの途中で通過する場所に「新井掘割水路」がある。
これは当時の鎮守府が横須賀造船所に依頼し、明治22(1889)年に完成した海上の通り道。公園側の陸地と吾妻島を隔てるようにして、さらに横須賀港と長浦港を結ぶ形になっている。地形を見ると分かるが、もともと吾妻島は陸地と地続きになっていた。
建築物や機械という形ではなくとも、これも立派な近代遺産のうちのひとつ。
その他
ほか、横須賀駅や汐入駅周辺でみられる近代にゆかりのあるものや場所。
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ドブ板通り
正式に横須賀市本町、というよりも「どぶ板通り商店街」と説明した方がはるかに伝わりやすいこの場所。
名前から想像できるように、この商店街が位置している道の真ん中には明治時代の頃までドブ川があった。それが通行の妨げになるというので、当時の帝国海軍工廠から鉄板の提供を受け、整備したことが由来となっている。
立ち並ぶ店舗のなかには古い建物をそのまま使っているものも多く、特に特徴的な豆タイルや洋瓦のひさし、ファサードの上部にレリーフが施されているものを見つけては興奮が抑えきれなかった。
看板の向こう側に銅板葺きの戸袋が覗いていたり、店名の文字がそれらしく掲げられていたり。あと、ドブ板通りの終着点から少し離れた場所にも飲み屋街や赤線を連想させる建物があった。
近くにある飲食店:
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JR横須賀駅ホームの柱
意識せずホームを歩いていたら、きっと目にも止まらないほど地味な近代の遺産が横須賀駅にもある。それが屋根を支える柱で、ペンキで水色に塗った、明治時代に用いられていた外国製の古レールでできているのだった。
注意深く表記を見てみると、1886年に日本鉄道株式会社が購入したドイツ・ウニオン社製のものだと分かる。
横須賀は有名な猿島や記念艦三笠だけに限らず、鉄道駅から公園までという小さなエリアにも、近代遺産系の見どころが多く集まっている場所だった。