厚木バスセンターからバスに乗車しておおよそ30分。神奈川県内に数多存在する温泉の中でも個人的に気に入っている土地、厚木市の七沢は、電波が届きにくいのがむしろ嬉しい静かな山間部に存在する。
この温泉地自体に訪れるのは2度目だった。
奥まった位置にあり足を延ばしにくいと思われがちだが、事前にバスの時刻表を確認の上、都合のよい便を選べば自家用車やタクシーでなくとも気軽に来られるのが嬉しいところ。
七沢温泉が特におすすめなのは
・賑やかよりも静かで緑深い場所
・強アルカリ性で無色透明のお湯
・山や川の食材(少しお魚が多め)
を求めている場合だと思う。
周辺にお店などはないので、出歩くのを楽しむよりも宿での滞在をメインにし、ゆっくり休息を取るのに適している。基本的に山派の人間(私です)にはかなり居心地が良い。
目次:
七沢温泉
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元湯玉川館
今回、食事と入浴を合わせた3時間滞在のプランで利用したのは、明治35(1902)年創業の元湯玉川館。母と2人で訪れた。
現代ではドラマ『相棒』の撮影で使われたり、過去には漫画『のらくろ』の著者である田河水泡や童謡『夕焼小焼』の作詞を行った中村雨紅が逗留していたりと、時代を超えて多くの人々に親しまれている旅館のよう。
11時半の到着後に受付を済ませた後、1階の部屋に案内された。テーブルと椅子が準備されている。
宿泊用の客室はすべて2階にあり(建物は古く、そのため泊まる場合は階段での昇降になる点に留意されたい)日帰りプランの部屋食は1階で提供されるようだった。この部屋の窓は建物の横にある沢に面し、その水は外の階段を下りた先の低い場所に流れているので、1階であるのに2階からのような眺望が楽しい。覗き込むと川底にザリガニがいた。
館内には囲炉裏があったり、年季の入った箪笥が展示されていたりして面白い。
食事の開始は12時半からとのことだったので、早速フロントに貴重品を預け、無料で借りられるフェイスタオルを持って浴室へ向かう。大きなサイズのタオルは有料だが、特に必要はなかった。おおよそ1時間ほど入浴をし、その後でご飯を頂くことになる。
お風呂は総檜造りの漆塗り。戸を開けると何とも言えない深い香りが漂って、一気に温泉気分にさせられた。まだ平日の開館直後で私達しかいない。食事なしで日帰り入浴のみの客も受け入れており、洗い場が少なく面積も大きくはないため、混雑する休日よりも平日にお休みを取って来た方がのんびり満喫できると思う。
前述した強アルカリ性の鉱泉はpH10.1で、もとは温度が約20℃と低めのため加熱されている。また、いわゆるボーリングを行っておらず、岩の間から湧出する湯を使用しているため、貴重である。
湯の手触りは柔らかく、とろみがあって、無色透明。どちらかというとぬるめの湯温なので長く浸かっていられるのが嬉しいが、熱めの湯が大好きな方には物足りないかもしれない。入浴後に自分の指を触るとツルツルになっているのが分かった。
元湯玉川館の公式サイトから効能を引用する。
宝永年間(1704~1710)に、傷ついた蛇が身を癒しているところから発見されたという七沢温泉。
その源泉は「お風呂にすると体の芯まで温まり湯冷めしない」「肌触りがなめらかで湯上り感が良い」「農作業・林業の骨休めや体作りに最適だ」…いつしか〝くすり湯〟に憩う湯治客で賑わったそうです。
その後、胃腸病・神経痛・関節痛・婦人病などに効く鉱泉として医療面での評価を得て、リハビリ(機能回復運動)にも医療効果を挙げているほか、ストレス解消や美肌効果にも注目されています。
湯上りにぼうっとしていると順番に食事が運ばれてくる。秋の食材。献立は時期によって旬のものが変わるため、特に決まっていない。
飲み物の種類も色々とあり、今回は日本酒の「しぼりたて(熟成)」と「玉川館で採れたゆず」を使ったビネガーのジュースを選んだ。前者は角が取れた舌触りと喉ごしがまろやかで優しいから、普段あまり飲まない方も試してみては。ビネガージュースは爽やかで、甘くなく、ご飯にとてもよく合った。
料理の品数も量も多く大満足だったがお持ち帰りができないので、ここには極力空腹の状態で向かい、できるだけ全てを胃に収めよう。その点、先に入浴して汗を流せるのは最適な流れだった。食後にお風呂だと苦しすぎて倒れてしまったかもしれない。
印象に残った食材は魚だと鱧(はも)、鱒(ます)、それから鮎の塩焼き。特に鮎の塩焼きはお皿の上で泳いでいるみたいだった。他にいちばん好きだったのは、鹿肉のしゃぶしゃぶ。梅しそ味のスープで最高だった。いくらでも食べられそう。
そしてデザートのくるみ餅のあまりのうまさに仰天する。くるみ自体の香ばしさ、餡のしつこくない甘さ、大量に家に欲しい。常備したい。でも、毎日毎日考えなしに食べていたら飽きてしまうのだろう。
ゆっくり咀嚼していると時間が経つのはあっという間で、プランの刻限になる頃に部屋を出て、今度は館内で食後の珈琲を飲むことにした。提供されている七沢ブレンドは山の澄んだ水との相性が良く、すばらしく美味。酸味は少なくほどよい苦味と軽やかさがあって好みだった。なお、ただの水もじっくり味わうのをおすすめする。
カフェスペースではインターネットに接続できたので、ここで宿の歴史を調べた。
元湯玉川館の創業者は山本粂三郎という人物で、彼が七沢村の「元湯」を引き継いだところから玉川館のあゆみが始まったようだ。
ちなみにこの元湯玉川館から徒歩2分ほどの場所には、別の旅館「福元館」の離れだった平屋が現在も保存されている。急な細い階段を上る必要があるが、そこまで長くなく、綺麗に整備されているので歩くのは難しくない。
その平屋はプロレタリア文学の旗手、小林多喜二にゆかりがあるのだった。
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小林多喜二滞在の離れ屋(福元館)
福元館の離れとして1920年頃に建造された平屋。
小林多喜二がここに逗留していたのは1931年の3月上旬から4月上旬、1か月程度と短い期間ながら、小説『オルグ』のノート稿を持って執筆活動をしていたらしい。治安維持法違反と不敬罪で投獄された多喜二をかくまうのには多くの危険が伴ったであろうが、当時の福元館の主人・古根村憲司は彼を守り、この事実も2000年になるまで外部には公表されなかった。
離れの建物は2010年にリニューアルされ、ひろく見学者を受け入れている。内部には丹前や机や火鉢など、貴重な品が保存されていた。
階段下のパネルには、多喜二にまつわる「夕方になると沓下駄をカラコロと鳴らしながら丹前をふところ手にして、母屋の風呂に通った」「風呂場で歌っていたブラームス原曲の『祈ればよかった』を(憲司の)娘の初子はよく覚えていた」などといったエピソードが記載されている。
小林多喜二が拷問死したのは彼が29歳4か月の頃。
とても嬉しかったのが、玄関の戸のところで小さなヤモリを見かけたこと。可愛い、家を守る生き物だ。ここも守られている。まだ幼い個体で、巻かれた尾や広げられた手の指先にある吸盤が愛おしい。
しばらく眺めているとわずかに頭が動いた。
恐ろしくもいまだに暑い日が続いているので、夜にはヤモリのつめたいお腹のことを考えるようにして、私は寝る。その手触りと温度を事細かに想像しながら。
こちらに元湯玉川館の掲載情報があります(旅館公式サイト参照)