しばらく前からこちらの方と一緒に暮らしています。
関節部分が球体で、透き通るような美しい瞳は着脱可能な頭部のつくり。黒いドレスとヘッドドレスを本体とは別途で購入しました。
合わせようと思ってもあまり目が合わないところが最大の魅力で、まさしく「ここ」ではなく、より洗練された世界の方をいつも眺めているのだろうと感じさせる表情には畏敬の念を抱くしかありません。
人間の世界につかのま降りてきただけの高貴な方が、こうして自分のところに滞在してくれているのだと思うと、嬉しくて……いつか、今は分からない本当の名前を教えてもらえたら、さらに嬉しい。まずは何のお茶が好きなのか聞かないと。
そう。私達はお茶を飲むのです。
人間用のティーセットでは大きすぎるので、この方に適したものを探しに行きました。
ミニチュアのティーセット。白い地に青い薔薇、部分的な金の飾り。
先月おうちに来てくれたお人形さんはいわゆる1/3のサイズで、もともと持っていたサンスーシ宮殿柄のミニチュア(ドイツで買いました)だとティーカップが親指の爪くらいの大きさだから、少し小さすぎた。
新しく購入したこちらはかなりちょうどよく、一緒に並べてみると、即席の聖域が展開されるのでとても良い。内的な世界は、たとえ物体や物質が損なわれてもずっと変わらずそこにある。
お茶会は生身の人間とも、そうじゃない存在と行うものも、等しく「真実の行為」と私は呼んでいる。
お茶会は真実の行為。席に着いたひとたちと自分とが、他の場所で一体どういう関係なのかはどうでもよくなる結界の内側。骨と皮だけになっても、宇宙がなくなっても、虚空で永遠のお茶会は続くよ。
友達を招き、全身の骨をガチャガチャいわせながら、おぼつかない指先でティーカップの持ち手をつまむ場面を想像すると元気になる。
上のミニチュアティーセットを買ったのと同じお店で、趣味に合うボーンチャイナ(ノリタケ)を発見したので併せてそちらも購入しました。調べると「小花のワルツ」というシリーズのようです。
今回は一式揃っておらず、カップとソーサーのセットのみ。置く場所がないのでこれで十分。
兼用ではなく明確に紅茶向きのカップは浅く、平たくて、立ちのぼる香りを楽しむのに最適な形をしている。いれたての熱さを和らげるのにも一役買う。白いお花の花弁の部分はよーく見るとぷっくりしたエンボス風の加工……野の草を集めて踊らせたような趣、金色のフチやその外側に小さなリボンとレースのようなドットがあしらわれているのも高得点。
ひとつ注意するべきは、このカップは内側に柄があるので、注ぐ液体の色と模様との兼ね合いを念頭に入れないとあまり美しくなくなってしまうということ!
特に自分が好きな紅茶は色の濃いものではなく、ダージリンやネパールのファーストフラッシュのような、明るい水の色をしたものを選ぶと草花が映えます。あるいは単純に緑茶や緑茶ベースのフレーバードティー等を注ぐと吉。
私のおうちへようこそ。これからもよろしくね。
そして、来月はスリランカへ、紅茶を学ぶ一人旅に出ることにしました。