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彷徨する自由帖

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渡り鳥みたいに移動する遊園地・ロンドン

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 公園の広場や大通りの脇に、いつのまにかあらわれる謎めいたテント。

 

 その隙間から漏れる光、また音楽と歓声が、めくるめく内側の様子を通りすがりの人間にも伝え、貼られたポスターの図柄や誘い文句がさらなる関心を誘う。数々のお話に出てくるサーカスや芝居小屋は、決まって怪しく魅力的だった。

 

 すべての興行が終われば忽然といなくなる。開催期間のあいだだけ、そこにいる。街の片隅に発生した蜃気楼みたいな性質も、そんな一時的かつ限定的な存在のおもしろさを強調しているように思われた。

 

 ひとところに長く留まらないから、捕まえておけない。旅芸人か行商人のように、幾つかの種類の鳥のように、時期が来たなら移動する。

 

 テントだけではなくて、いわゆる遊園地そのものにも土地から土地へと渡っていくものがあるのだと、何年か前に知った。規模の大小にかかわらず「移動遊園地」と呼ばれている、寝入りばなの遠い回想にも似た一団。

 

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 英国ロンドンのハイド・パークには毎年、11月下旬になるとウィンター・ワンダーランドという移動遊園地が根を張る。これは比喩ではなくて、文字通りに各アトラクションの根本が仮設の黒い地面に固定されて、生えたような状態になる。ほんの少し前までは何の変哲もなく、薄緑の芝に覆われているだけだった場所に。

 

 位置は、公園中央部に細長く水をたたえたサーペンタイン池(「蛇」の名のとおり、そういう形をしている)のちょうど頭の後ろあたり。

 

 当時はそこに寄るために陽が落ちてから改めて出かけ、視線の先に観覧車や垂直落下の巨大なシルエットを捉えては、独特の楽しさを感じていた。アトラクションに興味があるわけではないし、賑やかな催しも特に好きではないが、私は移動遊園地の持つ性質に惹かれている。

 

 興行期間中、多くの人間を誘い込んで敷地内にとどめる。そして、終われば一夜のうちに公園を去る。見聞きし体験したこと、食べたり飲んだりしたもの、みなが写真か記憶の中にしか鮮明に残らない。その存在のしかたが幻のようで。

 

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 彩色されたおびただしい電飾がぼんやりと照らす空間は、私にいろいろな事柄を錯覚させる。ここがどこで自分はなにをしているのか。立ち止まれば、可視化された白い吐息が忘れかけていた寒さを教えてくれる。

 

 周囲は普段まず見かけないもので溢れている。メリーゴーラウンドを模したカルーセル・バーの看板からは馬の上半身が三つ突き出ていて、墓からは襤褸をまとった骸骨が顔をのぞかせ、気付けば鳥を片手に乗せた巨人に見下ろされている世界。

 

 ところどころに星を飾った小屋がある。きっと、ここからずっと離れた場所にある山か、森の中の湖のほとりで拾ったのだ。夜毎に店頭でまたたく星々は、ときおり客によって買われていく。やがて遊園地が移動してもそれは彼らの手元に残り、家の片隅に置かれて部屋や廊下を照らすのだろう。あるいは、そのうち煙突から空に帰るのかもしれない。

 

 敷地内では、マフラーを付けた電気ペンギンのアトラクションやシロクマの置き物が放し飼いになっているから、油断していると暗がりから不意にあらわれて襲われそうになる。そんな形で、身体だけではなく肝までも冷やしたくなる冬の夜、間借りしている「名ばかりの家」に帰る気分になれない時などには、かならずこの移動遊園地を訪れた。

 

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 時期が来ればロンドンの街から出ていくのは私も同じ。やがて、できるだけ後を濁さないようにして別の場所に行き、最後には本当の意味で家と呼ぶ場所に帰る。そこから、またどこかへ。