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彷徨する自由帖

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境界線の向こう側で行われる営み:映画《ミッドサマー (Midsommar)》の感想と覚え書き

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花と歌声の溢れる夏至祭

公式サイト:

 

 映画《ミッドサマー》を見た感想と、監督のインタビュー記事や解説を読んで考えた事色々。ごく個人的かつ偏った見解です。

物語の内容・場面・登場人物に言及しているのでネタバレ注意。

 

ミッドサマー(Midsommar)鑑賞後記

感想と覚え書き

  • アリ・アスター監督インタビュー(Fan's Voiceの記事)の中で「ダニーには私自身がたくさん込められています。まさに私の代わりですね。」と語った事を念頭に、物語を楽しんだ。
  • 主人公ダニーはアメリカの大学生。ある日、双極性障害だった妹が不穏なメッセージの後に一家心中を決行し、父母もろともガスで死んでしまう。彼女は天涯孤独の身になった。
  • 望まずとも突然降りかかる不幸と、時間が経っても鮮明に蘇る痛みや苦しみの描写に共鳴して、むずむずした。発作のように嗚咽してしまう時、お手洗いなど人目につかない所へすばやく移動する(隠れる)感覚もよく分かる。当事者以外には理解できないと初めから分かっているので、何を聞かれても「私は大丈夫」と答えるしかない。
  • 喪失孤独に苛まれる彼女には少なくとも一人、きちんと親身になって話を聞いてくれる友達がいた。冒頭でかけていた電話の相手だ。「恋人(名前: クリスチャン)に依存しすぎかもしれない」と悩むダニーに対して、「困った時に支え合えず、頼れない程度の恋人ならあなたに必要ない」ときっぱり言ってくれる存在は貴重なもの。けれど残念ながら、その事実は心の拠り所になれるほど大きくはならなかった。彼女はホルガ村滞在中に、友人の声を少しでも思い出しただろうか。
  • ダニーがクリスチャン達とのスウェーデン旅行を決めたのは同級生・ペレの勧誘もあるが、どこかで「これが何かの転機になれば」と思っていたのだろう。確かに、結果的に二人の関係には綺麗な終止符が打たれるものの、全てがもっと円満に収まった世界線を夢想せずにはいられない。それは妹が一家心中を図らず、両親も死なず、クリスチャンとはきちんと別れて前向きに歩んでいくダニー。もちろん、映画の中にそんな道はどこにもなかったが。
  • スウェーデン・ホルガ村出身のペレは、どこか「おとぎ話」じみた領域とこちら側を跨いで移動する不気味な人物。90年に一度の夏至祭で、閉ざされた系譜に新しい血を混ぜる用と、祝祭で捧げる生贄用に外の人間を連れてくるのだが…… その際、儀式の最中に発生する「死」について、彼らに一切の説明をしない。アメリカで大学生をしていたのも、きっと村の側がペレに与えた役割なのだと推測される。でなければあらゆる物事が村内で完結する環境にいて、信仰に疑問を抱いていない彼のような人間が、わざわざ出ていく理由がない。
  • 血と内臓が飛び散り、眼球や筋や骨の露出する凄惨な場面は本当に苦手なので、セルフモザイク(限界まで目を細める行為)で乗り切った。ミッドサマーを見に行こうと誘われた時から覚悟はしていたため軽傷で済んだのが救い。私はもしも事前知識がなかったら、多分震えが止まらなかったレベルでグロシーンに耐性がない。中盤から最後までずっと怖かった。

 

 

 

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  • 白夜の夏至祭を通して明らかになる、ホルガ村の風習と思想。そこでは生涯を四季(0~18才・18~36才・36~54才・54~72才の四段階)に見立て、皆が年齢にふさわしい役割をこなし、72才を迎えた後は死ぬ――と「決められて」いる。村での職業は幼少期の特性に応じて割り当てられるから、選択の自由はないが悩む必要もないし、無理して得意ではない作業に従事しなくてもいい。生まれ落ちた瞬間から村に必要とされ、存在価値を与えられるのだ。
  • 先天性の障害を持つルビンも、ホルガで受け継がれる聖典《ルビ・ラダー》を執筆する役割をきちんと担っている。補助なしでの生活が困難なルビンがもしも村の外に出れば、仕事や住居を見つけるのにも骨が折れるだろうが、ここでは別。
  • 寝床は共同で、性行為ですら「個人」ではなく「村の社会」にとって必要なものだと位置づけられ、プライバシーがない。近すぎる婚姻を避けるため定期的に新しい血として外の人間を招く。これだけなら、淡々と感情を抜きにして種を存続・繁栄させるのに特化した、合理的な異文化のシステムだと言えなくもない。しかし…… 何も知らない部外者をちゃっかり祝祭の生贄として殺し捧げる点で、それは邪悪な感じのするカルトへと姿を変える。
  • 72才になり、村での役割を全て終えて死へ向かう老人。断崖絶壁(アッテストゥパン)から飛び降りる前、食卓での表情には、無我の裏に僅かなためらいと恐れがあったように感じた。生き物として共同体の維持と発展に尽力した後、それでは用が済みました、さようならというのは確かに受け入れがたい感覚である。もちろん、人間以外の生物は役目を終えたらすぐに寿命を迎える場合が多いのだが、一個の生命体として正しい選択が何なのかは誰も知らない。
  • 自分の人生の全て――とりわけその終焉を村に決められてしまうのは怖いが、私は現代社会の中で価値を見出されず、安心できる居場所も発見できず生き続けるのも十分に怖い。一体なぜ存在するのか、何を為すべきで、どこへ向かうのが最善なのかを永劫に考え続けなければならないから。人間としての努力が水泡に帰し、ヒトの繁栄にも貢献できなかった場合、生まれてきたことが間違いだったと自己嫌悪に陥らずにはいられないからだ。でもホルガ村は嫌。
  • また、名誉で素晴らしい事だと周囲から祝われ、最後に生贄として捧げられる(燃やされる)村の男がいた。儀式の直前に舐めさせられた「麻酔」が機能しなかったのか、あるいは死そのものへの絶望を感じたのか、半身に火がつくと顔を歪めて叫びはじめる。さっきまでは陶酔したように穏やかな笑みを浮かべていたのにもかかわらず。
  • ホルガ村では、自我が(近代的に)成長し思考する際の苦悩が発生しない代わりに、人生における選択を自分で行う権利も与えられない。

 

 

 

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  • 夏至祭の象徴は草花を巻き付けた柱・メイポール。その周囲で女子たちが音楽に合わせ、体力の尽きるまで踊り続ける競技に参加するダニー。彼女は直前に飲んだ薬のお茶に感覚を揺さぶられながら舞い、最後まで勝ち残った結果、今年のメイ・クイーン(女王)に任命された。このシーンで流れる音楽が大好き。
  • 一方、ホルガに新しい血をもたらす人間として選ばれたクリスチャンは、村の娘・マヤと性交していた。前述したようにこれは「村の社会」にとって必要であり、プライバシーの存在しない義務・儀式としての行為。13人の裸の老女たちが歌いながら彼らを囲んでいる。異様な雰囲気に包まれた家屋の内部、そして恋人の不貞をふと覗いてしまったダニーは嘔吐し、最後にはメイ・クイーンとしてクリスチャンを生贄に選ぶ。
  • ……彼は以前からずっと、恋人としてダニーを不誠実かつ雑に扱ってきた。誕生日すら言われるまで思い出さない程に。彼女の家族が全員亡くなった時でさえ心から寄り添えず、それなのにズルズルと関係を続け、果てに村娘と軽率に性交した彼は然るべき報いを受ける。熊の毛皮の内部に縫いつけられ、穢れた魂と共に燃やされるのだ。
  • 全裸で逃げ回るクリスチャンの姿はかなり面白いので必見。
  • 物語の最後、一種の境界線を踏み越えてにっこりと微笑むダニー。
  • 生まれてくる場所とは違い、自分の意思で選ぶことのできる身内であり、望めば友人よりもずっと近い距離に置けるのが恋人というもの。本来は不安を与えるのではなく、何よりも頼りになる存在のはずだ。互いが互いにとって「本物」なのか「偽物」なのか、関係性を改めて検証するのに便利なので、ミッドサマーはカップルで映画館に足を運ぶのがおすすめ。
  • その恋人はあなたが極限まで追い詰められている時、そっと手を差しのべてくれる側の人間か、どうか。もしも「偽物」だったなら…… 心の中で彼もしくは彼女を熊の毛皮に縫いつけて火を放ち、燃やす儀式を実行する、そんな選択肢がある。

 

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 以上、とりとめのない雑記でした。

 おとぎ話や伝承、あるいは孤独や失恋に興味のある方は楽しめる作品かもしれませんので、ぜひ。私は結構好きです。ショッキングなシーンが苦手なら目を限界まで細めて見れば、聴覚からはそこまで侵されないのできっと大丈夫…… な予感。

 もしくは、色彩や構図などの絵面を堪能するだけでも。