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彷徨する自由帖

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洋館の跡を見つけた茅ヶ崎散歩:高砂緑地と美術館、そして海辺

 

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テトラポットと浜

 まだ肌寒かった頃の話だ。森や山が好きなのに、その全くの方角へと足を運んだ。私は偶にそういうことをしたくなる。仕事が休みになったので自由な時間が選べたのと、平日で電車もある程度空いているだろうという算段で唐突に予定を組んだような気がするが、詳細は忘れてしまった。

 計画通りに物事を進めるのが好きな人間にとって、無目的な外出は時にストレスになる。だがそれと同時に、何らかの空想を趣味や生業にするのならば、散歩はとても有意義で心地よい行為だ。今までにも近所の動物園埋め立て地にある温室など、幾つか最適そうなところを探してきた。些事を気にせず、人を「ただ考え事をしながら彷徨うこと」に没頭させてくれる場所は、意外と多くない。

 この日は海辺という、普段あまり近寄らない界隈への遠征で、思いがけず自分の心を高揚させるものを見つけた。それが、大正時代に建てられた洋館の痕跡だったのだ。

参考サイト:

ちがさきナビ(観光情報サイト)

松籟庵-しょうらいあん- (茶室・松籟庵のサイト)

藤沢市公式ホームページ(藤沢市のサイト)

茅ヶ崎

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駅前

 神輿を海中に引き入れる変わった祭の浜降祭や、歴史ある鶴嶺八幡宮などに由縁ある神奈川県・茅ヶ崎の地。

 同県の横浜市に在住している私は、最終的な目的地をサザンビーチちがさき(砂浜)に設定し、後は何も考えずに適当に家を出た。JR線のどれかが最寄りの駅を通ることだけは知っている。当時はまだ1月の下旬で、コートにマフラーを重ねなければ凍え......てしまうかと思いきや、空は晴れていて気温もさほど低くはなかった。むしろずっと歩き続けていたせいか、そのうち額に汗までかいてしまった。

 茅ケ崎駅を出て南に行けば30分もかからず浜へ出られるはずと思い、道に沿って進んでいくと、立ち並ぶ住宅の合間に少し開けた場所を見つけた。看板を見ると高砂緑地とある。幅の狭い通りで車や自転車とすれ違うのに疲れたので、ここで少し横道に逸れることを決め、敷地内に立ち入ってみた。

 すると、日本庭園と横の茶室から少し離れた場所で、木々の隙間から廃墟のような遺構が垣間見えたのだ。

  • 松籟荘跡

 はじめは積まれた煉瓦でできた単なる塀かと思ったが、しばらく眺めてみるとそれが家屋の壁の一部であるということに気が付く。掲示を読むと、ここはどうやら原安三郎という人物が昭和6年に建てた、洋館の名残のようだった。

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遺された前庭の壁

 原安三郎は日本火薬製造株式会社の社長を務めていた人物で、かつて川上音二郎(後述する)が所有していた土地を大正8年に買い取り、建てた別邸に《松籟荘》と名付けた。今も一般に別荘地として好まれている茅ヶ崎の地だが、その人気は昔から変わらなかったようだ。私も実際にここを歩いてみて、休暇を過ごすのに良さそうな場所だと身をもって感じた。

 当時は南ヨーロッパ風の、白い壁に橙色の屋根が鮮やかな美しい邸宅だったのだろう。現在、館の全貌は見る影もないが、かろうじて前庭とそこに面した塀だけが綺麗に残っている。張り付いた二つの丸い照明も可愛らしい。老朽化に伴って1984年に解体されてしまったそうだが、残念に思うと同時に、周囲の草や木々と洋館跡の親和性について考えずにはいられなかった。建物の保護という観点からみれば劣悪な状態のこの廃墟は、太陽の光と茂る葉の影をその身に受けて、快くまどろんでいるようにも感じられる。

 黒くつぶれてしまっていて写真からは分からないものの、階段の側面に施された装飾にも心を惹かれた。松籟荘に限らず、近代に建てられた日本の洋館の細部には魅力的な造形を見つけられることが多い。

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石畳

 床に使われているタイルのシンプルでぱきりとした形が綺麗だ。下の写真の左側、鉢の後ろに見える遺構は、その昔噴水として機能していたものなのだという。松籟(松の間を吹き抜ける風)の名が示す通り、この地で余暇を過ごした安三郎とその家族も、滞在中は爽やかな気分で前庭を眺めたに違いない。今ではその面影の片鱗だけが漂っている。かつて存在していた人々の記憶は目に見えるもの以外、例えば温度や湿度、香りにも刻まれることがあるのだろうとぼんやり考えた。

 第二次大戦後、松籟荘は米国の将校たちが暮らす住居として提供されていた時期もあったらしい。昭和59年には市が土地と建物を買い取り、洋館の膝元に広がっていた日本庭園と共に、高砂緑地として一般公開を始めた。庭園に点在する幾つかの灯篭は、安三郎と親交のあった人物たちから贈られたもので、訪れる人々の目を楽しませている。

 ところで、ここに彼の別邸が建てられる以前、土地を所有し利用していたのは一体どんな人物だったのだろうか?

  • 高砂緑地に住んだ明治の俳優

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緑地の日本庭園
 

 明治の日本、世間にその顔を良く知られた人気俳優がいた。名前を川上音二郎という。

 自由民権運動への参加や「オッペケペー節」の考案で有名な彼は、1902年の頃に妻の貞奴と茅ヶ崎に居を構え、萬松園と称した。欧州での興行から帰国して間もない時分のことだ。それが現在の高砂緑地の前身であり、原安三郎が別邸を買い取り別邸を建設する前は、この一帯の土地は音二郎の所有領だった。当時は同じ市内に九代目市川団十郎の別荘があり、それを慕ってこの地を選んだのではないか......と推測されるそうだ。いまでは住居の後は全く残っていないが、当時使用していたと推測される井戸がぽつりと佇んでいる。

 川上音二郎は役者・演出家として、当時の日本ではまだ珍しかった翻訳劇(シェイクスピアなど)を積極的に上演し人気を博した。芸術家として新しいものを取り入れる姿勢や、同じ場所にじっとしていることが少なかった経歴から、その性格の一端が垣間見える気がする。明治という時代の気風もそれを後押ししていたのかもしれない。

 そんな彼は若いころ福澤諭吉に見出され、一時期は当時の慶應義塾で雑事をこなしながら学んでいた。そこには後に「電力王」として知られることになる福澤桃介もおり、貞奴をめぐる関係といい、不可思議な縁を感じさせられる。今回の話の本筋から外れるので詳細を省くが、この辺りを詳しく知りたい人は、ぜひ彼らの繋がりを調べてみてほしい。

 ちなみに以下は妻の貞奴が音二郎の死後に、かねてより浅からぬ想いを抱いていた福沢桃介と暮らした邸宅を訪れた記録。文化のみち二葉館という名前で復元され、保存されている。

  • 茅ヶ崎市美術館

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 松籟荘の跡から地続きになっている場所に、小さな美術館があった。開催されていたのは《開館20周年記念-版の美Ⅲ-現代版画の可能性》という企画展と地下展示室での特別展。前者は江戸時代から現代にかけての版画の技法・表現の変遷を学べるもので、後者は岡山県出身の芸術家である、小野耕石の作品を紹介するものだった。

 小野耕石は版画の中でも、シルクスクリーンの手法を主に採用し制作をしている。それは、目の細かい網のような版にインクを乗せ、切り抜かれた型の部分にだけ落ちるようにして紙に絵柄を印刷する技法だ。ただし彼は具象的な絵柄ではなく、無数の点の集積にも見える抽象的な図を画面上に展開する。色褪せた写真のような、バグを起こしている液晶画面のような、あるいは無作為に垂らした水彩絵の具のような世界。

 これらの作品群、実は完全に平面的なものではなく、近寄ってじっと見つめると表面の凹凸がよく分かる。これは何度も同じ画面上に版を刷って重ねることで、鍾乳石のように点が成長し、柱状になることで発生したものだ。刷る色を徐々に変えていくことで、側面には地層を思わせるグラデーションができていた。

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オーロラのように変化する色

 作品の前でうろうろしてみると、見る角度によって色彩の波が移り変わっていくのがわかる。始めの方の層と一番上の層が重なり合ったり、隙間から地が透けて見えたりして、視覚的な面白さを演出していた。

 作者は制作において、作業中の夜間のアトリエに侵入してきた「蛾」が着想になったと語っている。光を反射する無数の複眼、鱗粉を纏った羽根の鮮やかさ、触覚――それらへの関心は、確かに画面の上に反映されているように思えた。眺めるほどに一種のぞわぞわと心地よさが浮き彫りになる作風で、2015年にはVOCA展で賞も獲得している。今回はその表現の一端を覗くことができて興味深かった。

展覧会:茅ヶ崎市美術館|開館20周年記念-版の美Ⅲ-「現代版画の可能性」

  • サザンビーチちがさき

 美術館から15分ほど歩けば、砂浜が見えてくる。

 こうして寄り道をしながら海に到着したが、やはり大きな感慨はわかなかった。私は森や山が好きだ。海辺を歩くと靴に入り込む砂が苦手なのかもしれないし、干からびた海藻や漂う潮の匂いで鼻をやられるのが嫌なのかもしれないし、要因はいつも判然としない。ただ、波打ち際を静かに眺めるのだけは少しだけ心地がよかった。

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冬の日差し

 閑散とした冬の、平日の砂浜でも、ちらほらとそこを訪れる人影がある。彼らは犬の散歩をしたり、書き物をしたりしていた。私といえば本当に何もすることが無いので、最近働き始めた職場のこと、創作のこと、これからのことをじっと座って考えていた。そこで気が付いたことがある。自分はおそらく、ここに一人で来るのが嫌だったのだ。

 365日ある一年のうち、300日は一人でしながら過ごしたい。残りの65日は親しい人間たちと接していたい。まあ現実はそう都合の良いものではなく、必ずどこかに偏りが生まれる。この日はたまたま、ソロ活をするような気分ではなかったということなのだろう。それでも気まぐれに出歩いたおかげで洋館跡を見つけられて、美術館では新しい作家も知ることができたので、良かったと思う。

 ふと足元を見ると、魚が太陽の光を浴びてきらきらと銀色に光っていて、綺麗だと感じた。

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