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彷徨する自由帖

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趣深くロマン溢れる近代建築10選 - 明治・大正・昭和初期の邸宅や施設など

 

 

はてなブログ10周年特別お題「好きな◯◯10選

 

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漫画「金カム」にて鯉登邸のモデルになった西郷從道邸(博物館明治村)

 

 国内旅行で、目的地の周辺にあれば必ず足を延ばして見学する、大好きな近代の建物。

 明治・大正・昭和初期という変化の大きな時代に建てられた邸宅や施設の数々は、当時の人々の生活様式や趣味、あるいは国や自治体の意図を如実に反映していて、遭遇するたびに学びがあり心をわくわくさせてくれる存在です。

 最近では大河ドラマ「青天を衝け」も近代の史実をもとにした物語ですし、辻村深月さんの小説「東京會舘とわたし」にも、あるいは漫画「ゴールデンカムイ」や「鬼滅の刃」にも同時代の事物がたくさん描かれていて、そこから興味を持たれた方々も少なくないのではないでしょうか?

 

 今回は「10周年特別お題」に沿って、当ブログ開設から現在まで(約3年半という短い間ですが)、実際に訪れた中で印象に残っている近代の建物を10件選んで紹介します。もちろんとても選びきれない……!  という思いが非常に強いですが、それが企画の趣旨ということで。

 書き手が神奈川県在住ということもあり、全体的に関東・東海地方にあるものが多めです。

 異なる地域にお住まいの方はぜひ、これから旅行などにいらした際に立ち寄ってみてください。

 

目次:

 

北海道

①北海道庁旧本庁舎

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 屋根に星の旗がひらめく赤煉瓦の庁舎、その竣工は明治21年。

 荘厳さと複雑さ・整合性の特徴を併せ持つ「アメリカ風ネオ・バロック様式」が採用されていて、規則正しく並んでいる窓も、その様式に則っているのを外観から確認できました。

 これに限らず、北海道の開拓にあたっては、顧問としてアメリカから招かれたお雇い外国人たちの影響がその端々から伺えます。

 

 

 見どころは、入り口から正面に向かって伸びる美しい階段と上部のアーチ。

 各部屋ごとの展示物も多岐にわたっていて、開拓使の歴史をはじめ隣国ロシアとの関係と協力の歴史や、アイヌの人々の文化や歴史などをひろく学ぶことのできる資料の数々が展示されています。

 

②ニッカウヰスキー余市蒸留所

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 予約制の見学ツアーが無料で行われている、ニッカウヰスキーの余市蒸留所。創立は昭和9年です。

 実際にスコットランドへ留学し、本場でウイスキーの製法を学んだ竹鶴政孝。

 彼は当時の寿屋(サントリー株式会社)を退職した後に、気候や材料の入手しやすさ、また、この事業の初期段階を支えたジュース製造に役立つ「りんご」の産地だということから、余市に根を下ろしました。

 

 

 各施設の屋根を彩るのは美しく赤い色。

 かつてそれらは全て緑であったそうですが(同じ敷地内にある旧竹鶴邸やリタ・ハウス、旧事務所などにその名残が……)、余市の空が晴れ渡る時の、澄んだ青色に映えるのは他ならぬ赤色だ、と気付いた竹鶴が塗り直しを命じた結果、現在のような姿になっているそう。

 また、耐震性に問題があると判断された建物は現在立ち入り禁止になっているものの、基本的に大きな地震が少ないこの場所では、石造りの各棟の多くが当時のままの姿で長くここに佇んでいたのです。

 

東京都

③旧前田侯爵邸

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 加賀百万石の藩主、そして大名でもあった前田家の16代目当主・利為(としなり)が家族と暮らすために建設した邸宅が、現在の駒場公園にあります。洋館部分の竣工は戦前の昭和4年。

 前田利為氏は大正2年にドイツへ留学し、昭和2年からは英国駐在武官としてロンドンに滞在していたため、それを通してヨーロッパの生活様式を気に入った末にこの邸宅を建てたのかもしれません。

 大きな規模でありながら無料で入場し見学できる旧前田侯爵邸には、当時の華族の暮らしぶりを知る手掛かりが沢山残されています。

 

 

 小さな暖炉の上部に展開する階段に足を掛ければ、あれよという間に時代は遡り、気分はすっかりこの邸宅の住民のもの。踊り場の壁に設えられた縦長のステンドグラスと、手の込んだシャンデリアが圧巻です。

 前田利為の殉死後、一家は別の場所へと移ってしまいましたから、この豪奢な大邸宅はほんの10年ほどしか本来の用途として使われなかったことになりますね。100人以上いたと言われる使用人たちも国許へ帰ったり、付近で別の仕事を探したりしたのでしょうか。

 残された旧前田侯爵邸は、今も日本の邸宅史の中にぽつりと浮かんでいる感じがします。

 

④旧岩崎邸庭園

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 竣工は明治29年、洋館部分の設計を担当したのは旧古河邸やニコライ堂、三菱一号館も手掛けたイギリス人のジョサイア・コンドル。一部のみが現存する和館の方は、大工の大河喜十郎によるものとされています。

 重厚な割に軽やかさを感じさせる佇まいは、ひとえに建物全体が木造であることに由来するのだと感じました。下見板張りの外壁。水を含み風を通す、この地の気候に合致する素材。

 ちなみに、当時来日した技術者の中でも日本文化に造詣の深かった設計者のコンドルは、仕事の傍ら絵画や舞踊も嗜んでいたそうです。

 

 

 玄関扉上の半円は羅針盤のような模様で、そこから射す光がとても柔らかいです。両脇の硝子にも細かな意匠が施されていて、きっちりと板の並ぶ天井からは、家主の経済的豊かさを存分に感じた。

 こんな屋敷に主賓として招かれたいもの……。

 岩崎邸の土地を購入したのは岩崎弥太郎だが、実際に邸宅の建設を行ったのは三代目の岩崎久弥。共に大財閥であり、海運業で名を馳せた三菱の総帥を務めていました。

 

 

 

 

神奈川県

⑤厚木市古民家岸邸

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 決してアクセスが良いとは言えず、神奈川県内在住でないとなかなか訪れにくい位置にあるが、時間をかけても見に行くに値する近代の邸宅が厚木市にあります。それが古民家、岸邸。

 竣工はおそらく明治24年ごろと言われていて、大正時代から昭和初期にかけて様々な増改築が繰り返されているようです。後で上る二階の天井が低いのは、平屋が一般的だった時代から二階建ての形式へ移行するにあたっての名残り。

 玄関は大きく土間も広く感じますが、同時代の他の農家に比べると少し狭いのだそう。理由として、主屋が農作業や養蚕を行う空間とある程度切り離され、もっぱら生活や接客に用いられていたからとのこと。

 

 

 

 特筆すべきなのは、二階部分の窓の部分に、贅沢に用いられた赤と透明のガラス。突然誰かの夢の中に放り込まれたような気分になった覚えがあります。それらが演出するのは光だけではなく、家屋全体に響くかすかな音も含まれていました。

 庭の草木がザワザワ揺れる他に、ガラス戸がカラコロという軽やかな音が、微かに混じって聴こえてきて。

 もう訪問時は絶対にここを見てください。

 

⑥猿島砲台跡

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 冒頭から官庁建築、蒸留所、邸宅と紹介してきましたが、こちらはもともと軍の要塞だった場所です。

 主に幕末から明治にかけて数々の軍事的な施設が建設され、東京湾の防衛拠点として利用されてきた猿島。民間人の立ち入りは禁じられ、戦後の一時期は米国に接収されていたこともありますが、今はこうして見学が可能に。

 タブの木に周囲を囲まれた島の内部へ進んでいくと、先に満ちていたのは不思議な静寂でした。 

 

 

 切通しに並ぶ、兵舎を含む色々な旧要塞施設の遺構は、2015年に国の史跡として指定を受けました。

 時代ごとに増設や改築を繰り返していた猿島の要塞では、オランダ積みやイギリス積み、それから小口積みなど、多様な煉瓦が確認できます。焼成時間が異なる煉瓦の組み合わせが目を引く箇所もちらほらと。

 なかでも特筆すべきなのはトンネルで、フランス(フランドル)積みを採用した同時代の建築物は、日本国内でも数か所にしか現存しない貴重なものなのだそう。

 

⑦松籟荘跡

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 少し変わり種なのがこちら。近代建築といっても、現在の形態はかつてあった邸宅の廃墟なのです。

 実は私自身も散歩中に偶然発見したもので、はじめは煉瓦でできた単なる塀かと思いつつ近寄り、しばらく眺めてみるとそれが家屋の壁の一部であると気が付きました。踏み込んでいくと石畳や階段のようなものまで。

 掲示を読むと、どうやら原安三郎という人物が昭和6年に建てた、洋館の名残のようなのです。

 

 

 当時は南ヨーロッパ風の、白い壁に橙色の屋根が鮮やかな美しい邸宅だったのでしょう。現在、館の全貌は見る影もありませんが、かろうじて前庭とそこに面した塀だけが綺麗に残っています。それと、張り付いたような二つの丸い照明も可愛らしい。

 老朽化に伴って1984年に解体されてしまったものの、それを残念に思うと同時に、周囲の草や木々と洋館跡の親和性について考えずにはいられませんでした。陳腐な言葉ですが、本当に絵になります。

 

静岡県

⑧起雲閣

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 一度の訪問で沢山の要素が楽しめる、おいしい(と個人的に評している)近代建築が熱海にあります。

 JR熱海駅から徒歩25分程度、ちょうど糸川と初川の間あたりに広い敷地を持つ立派な元別荘——現在の名前は「起雲閣」。実業家であり政治家の内田信也が別邸として建て、根津嘉一郎に受け継がれた後、旅館として生まれ変わった歴史ある施設です。

 一時期は競売にかけられて取り壊しが危ぶまれたものの、熱海市と地域の方々の尽力によって保存され、公開されるに至りました。

 

 

 心に残ったのは、天井からも窓からも外光を贅沢に取り込んだ、アールデコのサンルーム。床にはびっしりと豆タイルが敷かれていて、月日が経っても変わらず色鮮やかに輝いているのが伺えました。

 ここで一人、忘我の時を過ごすことができればどんなに良いか。庭の緑が透けて部屋にさらなる彩度を添えているのもすばらしいです。

 また、鉄骨によって支えられた屋根は近代における技術の結晶ともいえ、郷愁を誘う大正浪漫的な雰囲気に、心地よいメリハリを与えていたのが印象的。

 

愛知県

⑨旧井元為三郎邸

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 その住所名に由来して、現在は「文化のみち橦木館(しゅもくかん)」という愛称で呼ばれている邸宅、旧井元為三郎邸。

 見学する時間帯は夕方がおすすめです。なぜかというと、二階の濃い黄色のステンドグラスから差し込む光が、おそらくは一番美しく映える頃だから。上の欄間部分のかわいらしい記号にもぜひ注目してください。

 他にも、カフェ(入場料なしで利用できる)となっているテラスの窓や階段の左横、化粧室の上部に設置された青い鳥モチーフの可憐なステンドグラスなど、館内には遊び心とセンス溢れる意匠が満載です。

 

 

 井元為三郎は明治30年――当時24歳にして独立し、主に絵付けの陶磁器を扱う井元商店を設立した若き実業家でした。

 東南アジアの国々へ積極的に商品を輸出するなど、その活動は日本国内にとどまらず、後に米国にも会社を持つようになっています。橦木館内にはそれらに関する展示も充実。ダチョウに乗った彼の写真もありましたよ。

 

長崎県

⑩香港上海銀行長崎支店

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 今記事で最後にご紹介するのがこちら。

 建築家・下田菊太郎によって設計され、明治37年に完成した香港上海銀行長崎支店は、彼の手掛けた作品の中で現存する唯一のもの。正面(ファサード)にあしらわれたアーチや、立ち並ぶコリント式の柱の数々が、優美さの中にも硬質な銀行らしさを醸し出しているように私の眼には映りました。

 昭和初期に銀行が長崎から撤退した後も警察署や民俗資料館として活用され、市民の要望によって今でもこうして保存されています。

 

 

 ここでは長崎の近代交流史に関する充実した展示を鑑賞することができますが、なかでも私が興味を持ったのは国際通信、特に電報についてのあれこれ。

 貿易の重要な拠点として横浜、長崎、そして上海が船(三菱商会)の定期航路で結ばれた頃、海底には電信ケーブルがひかれ、上海やウラジオストクなどの遠方へといち早く情報を伝達できるようになったのです。

 とはいえ電報は発信から受信までにいくつかのプロセスを経る必要があり、言うまでもなくスピードに関しては現在の電子メールに遠く及びません。想像するだけで途方に暮れるような、まるで別世界の出来事で、だからこそ面白いと思います。

 

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 他にも、近代遺産カテゴリーにはさまざまな近代建築や関連する史跡の訪問記録を残しています。

 機会がありましたら覗いてみてくださいね。

 

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