青森県、浅虫温泉に宿泊した、昨年の秋の話。
水平線の手前に浮かぶこんもりとした島影を横目に、昨夜宿泊した辰巳館での朝食を済ませ、外に出て表通りを歩いていた。
陸地の反対側で何にも遮られず広がる空に、細い指で千切られた綿の形の雲がなびいていて、時間が経つごとに徐々に数を増やしていく。この調子だと正午を迎える前には天気そのものが曇りになるかもしれなかった。
海由来のものを口にして海のそばを歩いていると、どういうわけか身体の一部が沖から来る風とうっかり同化しそうになる。お茶を飲んで念入りに歯を磨いたとしても食材の奥底に隠された風味が、あるいはそれらが陸に上がる前に生きていた場所に満ちる水の残滓が、いまだ、元いたところへ帰ろうと強く働いている。
朝食でまっさきに思い出すのは平たい貝殻。立ちのぼる強い潮の香り。火にかけられた貝の上にグラタンのごとく具材が煮えていて、あとから溶いた卵を流し込み、よくかき混ぜて食べる料理。柔らかい食感の……料理。最近、料理の「名前」というのが何も分からない。
東京は墨田区にあるたばこと塩の博物館の、常設展示で言及されていた内容を振り返る。人間や他の生物が生存するのに、水だけではなく一定量の「塩」を必要とするのはまるで、私達がかつて生まれたとされる海に惹かれているようでもあると。だから月の満ち欠けと、潮の満ち引きに影響を受ける。
人によっては失笑を買いそうな発言だが、私は "神秘に満ちた" この独特の感じや香りがあまり得意ではなく、だから普段はあまり魚や貝を食べない。それもあって、こうして稀に海の近くを訪れ、新鮮なものをいただくのがなおさら楽しみでもあった。当日、ここで採れた中でも厳選された種類のものを、ほんの少しだけ食べる。贅沢な話だ。
贅沢なことが好きだった。
大通りをぶらついていると、かつてはショーウインドウか何かだったのか、正面の一角が大きくガラス張りになった建物が道の片側に見えてくる。
宿屋か雑貨屋か、飲食店か分からないけれど、とにかくもう営業をしているようではなく、ただ建物の奥の方が引き続き住居として使われているみたいな印象を受けた。ガラスの内側、手前には段ボールが置かれていたり、簡易的な椅子や机が見えたり。
そこに1匹の犬がいた。
床に身体を伏せた状態から首をもたげて、通りがかった私の影に反応するように顔を上げていた。体長は、丸まった状態で抱え上げられるかどうか判断に迷うくらい、いわば中型の成犬、毛は短くて真白い色。尻尾は細長くもふんわりと膨らむ。耳はぴんとした三角形で、鼻は桃色だった。表面がわずかに濡れて陽に当たり、光っていた。
どちらかというとお年寄りに見える。日光浴でもしていたのか。ガラス壁のそばで、見えてはいる大通りから安全な場所に隔てられ、手足を畳むように軽く体を湾曲させて。そこでなんとなく視線を戸口の方に向けた私は、縦に細長いステッカーが貼られているのを見つける。
鈍い銀色の地に黒い漢字4文字で、猛犬注意、と書いてあった。
猛犬?
足元の白い犬に目を戻す。射し込む午前の眩しさに黒い眼をわずかに眇めて、眼球をうるませ、静かにこちらを見返している様子は、とても「猛犬注意」という言葉が喚起するひとつの像からはかけ離れていた。あたかも今、目覚めたばかりだと言うみたいに、周囲に何があるのか把握しようとして思考を巡らせている(と、見ている側に思わせる)姿。
三角の耳は立ち、開口部が前方に向けられている。風の音も話し声もガラス越しではかすかにしか届かないだろう。その糸口を掴むためになのか、そうではなく常に耳は建てた状態でいるものなのか、こちらからは伺えない。ただじっと、この世界を通り過ぎてゆく全ての足音を聞き、それら全ての持ち主である生命に思いを馳せていると信じたくなる表情で、犬はぱちりとどこか億劫なまばたきをした。
とても、眩しそうに。一切の鳴き声を発することなく、完全に起き上がることもなく。
私はその白い毛が反射する光の眩しさと、不可解な神々しさを前に、目を細めた。
かつてこの老犬にも、激しく猛り暴れる犬だった時期があったのだろうか。
それとも、あくまでも注意喚起の名目で貼られたステッカーが戸口にあるだけで、犬は昔からこうして穏やかな気質を隠さず過ごしていたのだろうか。偶然その前を行き過ぎただけでは真相など分からない。
白い猛犬は、在りし日の夢をこちらに少しも開示する素振りを見せず、元あった位置にそうっと頭を戻して日光浴を続けた。そこからもう、私が立ち去るまで目と目が合うことはなかった。