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彷徨する自由帖

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喫茶店随想(3) みどり色したカーテンの幻

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 JR横浜線、中山駅前のやけに入り組んだ路地にある、昭和54(1979)年から営業している小さな喫茶店。その創業年は、玄関脇の壁に掛けられた焼き物の皿に刻まれているのだと教えてもらった。

 遠目からの印象は草に覆われた民家というか、ある程度のところまで近付かないと、本当にただの草叢にしか見えない。茂っている。けれど細い道に踏み込めばそのうち赤い屋根が視界に入り、確かに「純喫茶 バウハウス」と書かれた看板も存在しているのだった。

 落ち着いた色調の木の扉は、ノブに手をかけて押すと想像以上に軽く、ごく自然に内部の空間へと招かれる。それなのに、ひとたび扉が閉まるとあらゆる音が遠くなり、店の壁は壁としての役割を果たす。窓は窓として、外の光を取り入れている。茂った草木の葉越しに。

 入店して、柱のそばの椅子に腰掛けた。本当に居心地のよいところだ、ここは。店主の人柄からも明るく、かつ穏やかなものを感じられて。

 

 

 昔は窓の内側に、ごくうすい緑のカーテンがかかっていたはずで、でも先日行ったら取り外されていたようだった。懐かしく思い出す。木漏れ日を思わせるとても綺麗な、透ける緑色のカーテンを。

 そう、私が小さい頃にどこかの霊園の隅で見つけた、小さな雨蛙にそっくりな色の……。

 最近、窓際に座っているとかなりの頻度で、彼方よりカエルの鳴き声が聞こえてくる。この喫茶店に私がいた時は周囲にいないようだったが、家に帰ってぼんやりしていると、忘れた頃に外から響くのだ。

 私はそのケロコロいう軽やかな、可愛らしいと表現してもよさそうな響きから、緑色のちんまりとした雨蛙を想像していたのに、いいやそんな可愛いやつじゃないよ、怖い方のカエルだよ、とある日他人に言われてから、頭に思い描く姿もなんだかおどろおどろしく怖いものになってしまった。怖い方のカエルとは一体どれだというのか、よく分からない。

 けれど調べてみると「雨蛙の鳴き声は可愛くない」らしく、それなら最近耳にしている鳴き声の持ち主は、本当にその人が言うような怖い方のカエルなのかもしれない。

 

 

 すっかり化かされているみたいだ。外観が可愛いのに鳴き声は可愛くなくて、鳴き声の可愛いやつは、見た目が怖いものかもしれないだなんて。そんな風に人間を欺いて一体どうしようというのか。

 そもそも私は未だに彼らの姿を観測していない。耳で聞いているだけで、実際に目にしてはいない。

 見えないのに鳴き声だけが聞こえる存在、というと怪異のようで、でもそういうものは身近にかなりよくある現象で、音がするならばその「本体」も必ずどこかに存在しているのだろうと反射的に考えている。「実体がない、鳴き声だけのカエル」も、ひょっとしたらいるかもしれないのに。

 考えているうちにブレンドコーヒーとトーストがやってきた。

 重たくはない、それでいて地に足のついた、堅実な味わいのコーヒー。それから厚い、表面のさくさくと内側のもっちりが、耳によって束ねられているトースト。これにヨーグルトが付く。軽い青色をしたシロップで、わずかに甘さを加えたものが。

 

 

 バターと苺ジャムの組み合わせには何か魔性のものがある。私はちゃんと知っている。

 トーストの表面に両方とも少しずつ塗ってから咀嚼する間、カウンターの前に並ぶ、すばらしい椅子の佇まいを眺めていた。手触りの良さそうなベルベット風の赤い布地。リボンの端のような部位もわずかに見える……背もたれに薄いクッションを固定する役割のよう。

 自分が座っているテーブル側の椅子も、基本的には同じような素材。反発せず、けれど深く沈み込みもせず、身体を支えてくれる調度品。

 ああ、素晴らしかった。

 カウンターの上に置かれている百合の花瓶を一瞥して、ここへ来るまでに自分が百合の花のことをしばらく考えていたのは、一種の「不思議な導き」のようなものだと勝手に決めたのだった。