「……あるとき遠くへ行ってしまった友人のことが恋しく、ひどく寂しい思いをしていたので、必要な材料を集めて『友人そっくりの存在』を造ろうとした。……」
こんな話がどこかに載っていたような気がして、探したのだけれどなかなか見つからない。もしかしたら「今昔物語集」だったか、他の説話集だったか……頭を捻りつつ、端から本棚を浚ってみたら、全然違うところにあった。怪異集「山峡奇談」(河出文庫)の中で紹介されていた。
その説話「西行の人造人間」の出典は、13世紀頃に成立したとされる「撰集抄」で、作者不詳。また、信憑性についてもはっきりしたことは言えない。
私はこの話の醸し出す何かが好きで、だからきっと、記憶のどこかに引っかかっていたのだろう。
西行は平安時代末期に生まれて鎌倉時代後期に没した武士、かつ著名な歌人であり、出家してからは僧侶でもあった。
彼がとても親しかった友との別れを嘆いていたとき、偶然にも「鬼が人間の骨を集めて人を造った」旨の噂を耳にし、それで自分dも真似をしてみたのだとか。
人造人間を制作する方法は当然ながら奇怪なものだった。死人の骨(一体どこから拾ってくるのだろう)を基礎として、砒霜という薬を塗ったり、藤の若葉の糸で骨をからげて洗ったり、色々な植物の葉を揉みこんだり灰にしてつけたり。その締めくくりが、沈と香を焚く「反魂の秘術」だった。
残念ながら西行の人造人間製作は失敗に終わったのだが。
できあがった「何か」は、彼の友人に似ていないどころか、そもそも人間とも言い難いものだった。
全体的に色が悪く、吹き損じた笛の音のような声しか発さず、内側には心もない。西行は考えた。どうにかしてしまいたいが、人の形に形成してしまった以上、壊せば殺人になってしまう気もする。悩んだ末に、それを人里離れた高野山の奥へと置いてきてしまった。
私は想像する。深い森の奥で、人間に似たよく分からないものが何をするでもなく、ただ不思議な「吹き損じた笛の音のような」音をヒョロヒョロ発しながら彷徨っている様子を。
春夏秋冬、周囲の色が移り変わる中でひとりぼっち、心を持たずにうろついているよく分からないものを想像する。西行が放置した、彼(仮)の姿を。
しばらくして、西行は伏見の前中納言師仲卿を訪ねた。
師仲卿は自分も過去に人間を造ったことがあり、しかもその者はいま卿相(公卿大臣)の地位にあるのだと言い、人造人間に心を与える西行の術がうまくいかなかった理由を教えてくれた。
どうやら香には魔のたぐいを祓い遠ざけ、聖衆(生死を忌む)を集める効果があるため、最終的には焚かない方がよいのだそうだ。反魂の秘術には代わりに沈と乳を焚くべきであると言う。そして執り行う者も、7日のあいだ、飲まず食わずの状態になってから臨むのが適切なのだとも語った。
有益な助言を得た西行だが、なんとなく無意味なことであると思い直し、以後は人造人間の製作に手を伸ばす機会もなかったらしい。
この一連の流れから脳裏に浮かぶ情景や、勝手に推測できる西行の心情は、とても良い。
まず「人造人間でも構わないから傍にいてほしい」と思えるくらい大切だった友人が、彼の心を占めていた事実に感情を動かされる。寂しかったのだろう。多くの事柄について語り合い、短くない時間を共に過ごしたその人が、突然遠くへ行ってしまって。
また、こちらの感覚からすると生命を造るというのは一大事であり、実行する前には相当葛藤するか、結果的にやらない選択肢を選ぶだろうに、ちょうど関連する話を聞いたからということであっさり行動に移してしまえるところは面白かった。
失敗してしまった後も、ソレを山奥に放置してきてしまうし、師仲卿の助言を耳に入れた後の反応も「人間を造るなんてまったく無益だったなぁ」のように随分とドライな感じで。
この「西行と人造人間」の話を知ってから、私の心の高野山の奥地にはずっと、失敗の末に生まれた「彼」が棲みついている。
夜な夜な、耳を澄ますと奇妙な声が聞こえてくる。