海を望む岬の上にはどでかいお城が聳えているし、その近くには、人魚の住んでいる妖しい岩場だってある。なぜか強烈な既視感をおぼえる宇宙人も着物を着てさまよっていた。もちろん嘘なんかじゃない、ぜんぶ、実際に現地で目の当たりにした、本当のこと。
その証拠にほら、写真だってきちんとあるでしょう。
信じてよ。みんな本当にあったんだから……。
それほど長く間を空けず、だいたい年に1度くらいは繰り返し訪れている場所でも、足を運ぶたび新鮮な感想を抱くことは可能であるらしかった。
これまでくまなく色々な通りを歩いてきたつもりなのに、意外と決まりきった場所にしか関心を注いでいなかったり、たとえ同じ場所であっても、昼と夜の時間帯とで表情や雰囲気が大きく変わる事実に無頓着であったりするもの。少なくとも、私はそれをよく実感する。
JR東海道線に乗って、熱海の駅で下車。何度も来ているところだから、駅舎を出ると、懐かしさにも似た奇妙な安心感を誘われるくらい。この街をあてどなく散策するのが、本当に好きだ。
とはいえ、熱海にピンク色をしたクラーケンの亜種が生息しているなんて、先日まで寡聞にして知らなかったのだけれど。アーケードの下、特選舶来品、の文字が浮き出た店舗のわりと近くで発見してしまった。
満面の笑みでにっ……こりとした、なぜかうすら寒ささえ感じさせる表情のクラーケン君(看板に「イカ」と明記されているが勝手にそう呼ぶ)。その仕事は、大きく開いた口から「大成功おみくじ」を吐き出して、人間相手に商売することのよう。
私がこの道を通ったのは初めてではなく、ピンクの彼も決して短くはない期間ここに浮かんでいるのだろうが、友達から「あ、そこになんかいるよ」と指摘されるまで存在に気が付いたことはなかった。常にきょろきょろ周囲を見ているようで、実は見えていなかったものの代表格。
さて。通常なら、こういう類の生き物に遭遇して倒すと、経験値やその世界の通貨が獲得できることが多いものだが、この場合はどうだろう。そもそも店先にいるものを勝手に討伐するわけにはいかない。だから剣は振りかざさず、黙って脇をすり抜けて、笑顔のクラーケンをやり過ごす……。
もとより存在すらしていなかった勇者の資格を、改めて失った気がする。仕方がないので散策者に戻ろう。うん、いわゆる冒険の世界にも、実はそういう奴らがごまんといるはずだもの。とりたてて描かれてはいないだけで。
結構な角度の斜面にも平気で家は建つし、人が住み、店も開かれる。
私は神奈川県の横浜出身・在住の人間で、たとえば国内でも長崎や呉に比べれば大したことはないのだが、坂の多い地形はわりと見慣れている。特に住宅地であればなおさら。それにしても、熱海は傾斜という特徴が顕著な場所だと思って調べたら、なんと斜面市街地の割合ランキングでは、栄えある1位にその名が据えられていた。成程どおりで、と納得する。
入口の正面に立つと、その右下が坂道ですっぱりと切られているようにように見える、赤い半円の屋根の下のシャッター。「杉山園茶店」の左側にじっと目を凝らすと「喫茶 ぐりむ」と書いてある。ひらがな3文字表記なのが、なんとも可愛らしいではないか。
そのまま坂道を下って、壁の風合いに味がある旅館の前に差し掛かる。窓と戸袋の下にマットが3段重なっているような、丸みを帯びた段差があるのが、滅茶苦茶に良かった。撫でまわしたくなる。ざらついた表面はどこかケーキのスポンジも思わせた。さらに手前の街灯との相乗効果で、テンションが爆上がり。
このあたりの「旧赤線」の趣がたまらない。
また、付近にあるものに関しては、以下の過去記事もぜひ参照してみてほしい。
いよいよここから熱海銀座周辺、昔のロマンス座を利用した店舗や喫茶店のある通りを過ぎて、幾度となくぶらついている糸川方面に向かって歩いていくのだけれど、今までの散策とは明確に異なっている要素がひとつある。
そう、時間帯。
これまでは昼間に来て夕方のうちに帰っていたところ、今回はわりと夜遅くまでとどまることにした。駅横の宿泊施設に泊まって、日付を挟んだら早朝にもう一度街歩きをしてみる、そんな探検を試みたのだった。結果としてこれが大正解、さらに土地への愛着が深まり、好奇心も同時に満たせて満足する。
日が落ちて、事物の輪郭が曖昧になればなるほど、不思議とくっきり浮かび上がってくるものが沢山あるようだ。強いて見ようとしなくても、存在感を主張してくるものたち。建物も、もちろんそれ以外も。
夜に美しく浮かび上がる街の妖精といえば、ネオンの看板や、柱の上の電灯。
なかでも写真に写った「なぎさ中通り」の街灯が素晴らしかった。これは尋常ではなくときめく存在。イラストの太陽が妖しく微笑んでいて、まるで何らかの力を示すように、周囲に白色の球体を複数浮かべている。じっと眺めていると今にも回転しだしそうな上、日没後にうっかり付近の通りを歩くと、知らずのうちに冥界へ連れて行かれそう。
熱に浮かされて見る夢に登場するやつだ……。脳波を乱すオーラを発して、精神的な攻撃を仕掛けてくる敵。
この辺りは川沿いに梅の木が植えてあり、ちょうど開花の時期だったから、宵闇に浮かび上がる花弁は美しかった。もはや花ではなくて別の何かにも見えてくる。ふわふわした発光する綿みたいな。あるいは食べたら甘そうな雪とか。聖書に登場するマナ。ふと顔を上げると、人間ではない別の生き物が口を開けている。このあたりに生息している石の魔物なんだろう。
いつも心底惚れ惚れしている「スナック亜」の、夜の佇まいを前にして、ツタの葉の堂々たる紋章が本当に権威のようだと思いつつ袋小路に迷い込む。
ここには前にも来たことがあったはず。夜ではなく、昼間に。突き当たりの壁に寄りかかるような街灯風の照明が、実際に灯されるとどんな色をもって輝くのか、今まで知らずにいた。白い3つの光。それと目のような防犯カメラのレンズに睥睨されて、特に用という用を持たず、単に歩き回っているだけの私達はたじろぐのだった。
スナック、パブ、風俗、ほか夜間に開くはずの店、明らかにそのような佇まいをしているのに開いていない建物は、すでに営業をしていないものなのかもしれない。上の2つの角が丸く、半円の弧を描いた、それらしいうす桃色の扉。
これは壁がごく淡いクリーム色に見えるのだが、夜が明けて、白日の下で観察してみるとペールグリーンなのだと判明した。やはり人と同じく建物も、異なる状況と角度から視点を変えて、判断するべきらしいと考えるなど……。
熱海の夜散歩を経験して明らかになったのは、私は夜に栄える街の一角を、あえて昼間に歩くのが相当好きなのだという事実だった。
太陽に照らされている時間帯でも、誘い込むように蛇行する道の形とか、建物の造作なんかを眺めていると、そこに漂う妖しい感じの雰囲気は如実に伝わってくる。けれども本来の目的で活動するにはまだ早く、人影もほとんどない。セットなど準備だけが整った舞台上を自由に歩いている気分になるのだった。
明るいと、当然そこにあるものの輪郭がはっきりする。そのかわり、窓から漏れる明かりや煙などから、壁の内側にも存在しているであろう世界を伺うのは難しくなる。だからむしろ印象が茫洋としているのだ。つかみどころのなさ。対照的に顕著な、視覚的要素がもたらす効果。
建物と建物の接続する点に通路が口を開けていて、まるで貴婦人の傘みたいな(この表現を私はとても気に入っている)、汚れた青い半円の屋根が、存在を主張するわけでもなく黙って佇んでいたのが印象的だった。
これは細い路地で行き当たった場所。入口に引かれた黄色いチェーンと、階段を下りた先の見通せない暗がりが気になった。郵便受けまですっかり廃墟らしく錆びついているのに、中途半端にしか道を阻まれていないから、ずんずん入って行けそうに錯覚してしまう。
秘され、隠されているからこそ視線が引き寄せられてしまう矛盾。
そこに実際には足を踏み入れないことの愉悦、それがとても良い。地下迷宮に巣食う怪物と、わざわざ戦わなければならない道理なんてどこにもないから武器も持たない。鞄を肩に下げただけ。
ぼんやりしていたら、細く糸を引く雨が降ってきた。