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彷徨する自由帖

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路上で話しかけてくる怪異

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 振り返れば大学を辞める頃まで、国内にいても、国外にいても、よく宗教の勧誘をされた。

 

 記憶に残っている中で最も古いのは、高校生時代。

 某駅の改札前、広告の貼られた四角い柱のところで友人を待っていたら(多分このとき、制服を着ていたと思う)若い二人組の女性が笑顔で近付いてきて、唐突に「料理や歌を楽しめるイベントに興味はないか」と尋ねられたのだった。

 いやに漠然としているし、いきなりそんなことを聞かれても無論、困ってしまう。

 適当に頷いているうちに質問は続き、今度は例えば私の好きなこととか、ふだん何に興味を持っているのかにまでなぜか話は及んで、他人を邪険にする方法を知らなかった私はあまり適当にあしらえずにその場にいた。

 けなげなものである。

 

 二人組は地元の大学生だと言っていた。

 知らない人間から不躾に話しかけられる際の気持ち悪さもそうだが、何よりも大きな違和感を覚えたのは、相手が私の名前や、どの地域に住んでいるのかまでさりげなく聞き出そうとしてきたとき。

 後に気が付いたのだが、この奇妙な距離の近さは路上での宗教勧誘の大きな特徴らしい。

 もとより信仰の有無やその種類という、ごく個人的で人格の根幹にかかわる問題について、他人にこうして干渉すること自体がかなり距離感の錯誤を感じさせる。認識のおかしさ、安易に踏み越えるべきではない一線の先の、通常なら守られるべき領域に侵入されている危機感、また嫌悪もおぼえる場面。

 以前書いた、往来で道を尋ねられる不快感にも似ているが、話題の種類からして明らかにこちらのほうが深刻な気がする。

 

 やがて、彼女らはそのうち一枚のチラシを私に渡して去っていった。

 ハガキ大の紙ははじめに話題に出した「イベント」に関するものらしく、その概要と、会場はどこぞの施設で日付はだいたい一週間後だとか、特色として国際的かつ友好的な人々が集まる催しで……等々と書かれている。周囲に添えられているのはポップな印象の料理や、合唱をする人間のイラスト。

 でも、おもむろに裏返してみると、別の面には「信心を持たずに地獄に落ちるとこうなります」という言葉とともに、凄惨な炎に焼かれる者たちの姿が描かれていた。

 これ、私は別にいいけれど、何も知らない人が受け取ったら本当に怖い思いをすると思う。趣味の悪い仕掛けだった。

 誰かを遠回しに脅して、自分たちの主張を受け入れさせるような表現に出会うと辟易する。私自身、色々な宗教の聖典に触れる機会は頻繁にあるしそれを楽しんでもいるけれど、こんな風に別の場所から何かに介入されるのは望んでいない。

 信心も不信心も、私のものは私だけのものである。

 

 悪趣味な紙を渡してきた彼女らに対して、どことなく怪異や妖怪のようだと最近思った。

 路上で話しかけてくる怪異。

 ひとりで街中に立っていると不意に人間(のようなもの)が近付いてきて、名前や所在地、趣味を聞いてくる。うっかり答えてしまうと不幸なことが起こる。また、しばらくすると、裏面に恐ろしい図柄の描かれた紙を渡して去っていく。

 ……そんな都市伝説があったとしてもおかしくない。そのくらい、挙動が奇妙なのだもの。

 

 以後もときどき似たような経験をしながら時間は数年後に流れて、海を渡った先の島国でも、かなり印象的な経験をした。

 夕方、大学から家に帰る途中だった。

 ロンドン地下鉄、水色のヴィクトリア線に乗っていて、扉の脇から窓の外を眺めていた。もちろん地下鉄だから外なんて真っ暗で、荒々しいトンネルの壁以外だと、ガラスに反射して映る車内の様子しか視界に入らなかったけれど、ただぼんやりと考え事をしていたわけ。

 すると途中のある駅で乗り込んできたひとりの(に見せかけて、周囲には同志の人達が待機している。本当に)男性が、私の向かいに立って話しかけてきた。

 あぁ、まただ、と思う。

 また、今日一日はどうでしたか、みたいな適当な挨拶に始まって、見ず知らずの私が普段何をしているのか、どのあたりに住んでいるのかを聞いてくる。

 ほんとに妖怪だよ、妖怪……。

 

 しかしこの場合は、すぐに質問がより直接的なものへと変化した。いわく、あなたは何のために生きているのか、また先の見えない世の中で信じられるものはあるか、しまいには神についてどう思うか、等々。

 あのね。それは、初対面の人間と共有したい話題じゃない。

 他がどうだか知らないけれど、私にとっては。

 しかも地下鉄の車内でって、ちょっと、目の前にいる人間のことを舐めすぎだよね。何の資格があって人の気分を害しに来るんだろう、こんな風に。

 

 昔みたいに、親身に話を聞いてあげるだけのけなげさなんてもう持ち合わせていない。とはいえ、狭い車内で相手を煽り倒してトラブルに発展させたくもなかったので、質問に対してはひたすら「そうなんですね」と「よくわかりません」を小声で連発していた。

 生きていて、こんな馬鹿のフリをするほど屈辱的なこともないだろう。とても、疲れた。

 ひとりに見えた男性は明らかに気のない返事を続ける私を諦めたのか、周りにいた数人の仲間とともに次の駅で降りていった。ロンドンにも、日本の地元で遭遇したような怪異ってあるんだな……と実感し、二度と会いたくないと嘆息する。

 けれどそれからも度々、別の人間に路上で会報誌のようなものを渡されたり、ポートレート・ギャラリーの前で呼び止められて語りを聞かされたりもした。

 

 それで私は、街を歩いていると出現するこれらの怪異の避け方と、うっかり出会ってしまったときの対処法を模索することにしたのだ。

 つまりは魔除けにも似たものである。

 古来より人が、何かを身につけたり、言葉を発したりすることによって、禍事を遠ざけようとしたように。都市伝説の口裂け女が、「ポマード」と何度か唱えれば退散すると言われているみたいに。

 それが、無反応という選択。

 路上で話しかけてくる怪異に遭っても、口をきいたらいけない。目を合わせてもいけない。そうして少し耐えると、彼らはいなくなるという設定で。

 

 実際にやってみると効果は歴然だった。

 徹底的に無視、だんまりを決め込む人間に対して、なおも会話を持ちかけてこようとする宗教勧誘者はさすがにいない。街に巣食う邪悪な妖魔も、条件を満たさなければその力を発揮できないと見える。

 やはり、今まではきちんと返事をしてしまっていたのがいけなかったのだろう。

 反応を返すというのは、すなわちその存在や、効力を認めることに繋がるから。

 

 かなり興味深かったのは、あるときの相手の反応だった。

 東京の、比較的人通りの多い交差点で信号待ちをしていたら、横から知らない人間……もとい怪異に話しかけられた。募金の呼びかけらしかったが、腕章や看板の団体名がきちんとしたところのものではなかったので、私は反応を控える。

 きゅっと口をつぐみ、表情を変えず真っ直ぐに赤信号を見つめて、その色が変わるのを待っていた。

 そうしたら、声をかけてきた怪異の方がぎょっとしたように動きを止めて、こちらの様子を伺うのが分かった。まるで、突然恐ろしい生き物でも見つけた風で固まっている。

 きっと相手は、話しかけた人間に無視されるという経験をあまりしてこなかったのだろう。むしろ、どうして面識のない人間にいきなり接触してきて、何の対価もなしに、親切に返事をしてもらえると思い込んでいるのか疑問だが……。

 怪しい行為に手を染めているのは明らかに相手の側なのに、そんな相手に、私の方が怪異を見るような目を向けられてしまった。

 こんなに面白いこともなかなか無いのでは。

 もう二度と、私に話しかけないでね。知らない誰かさん。

 胸の内で呟いた。

 

 街を歩いているといろいろな、危ない怪異に出会う。

 そのたび祈るような気持ちで、静かに「対処法」を実践し、なんとか事なきを得ている。