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彷徨する自由帖

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本館と新館が隣り合う、銀座アパートメント:奥野ビル

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 短い小説と訪問メモ、上のようないつもの妄想文+α。

 

 

昭和 銀座アパートメント

 

 画室の外に出て玄関の扉を閉ざし、横を見れば、いま閉めたのと全く同じ色と形をした四角い扉があった。これをそっくりそのまま、密かに入れ替えてみても、きっと誰にも気が付かれないだろう。

 だからふと、まるで「自分の姿だけ映らない鏡」がそこに置いてあるようだ……と思ったのだ。

 

 時折こんな空想をしていた。このアパートメントの片側の棟は、うすい硝子の板を一枚隔てた先に広がる、光の反射と屈折が生み出した複製の領域。たぶん向こうはひどく静謐な——こちらのように音や、香りや、温度の存在しない——銀色の鏡の世界なのだと。

 コピー(複製)、あるいはフォージェリ(贋作)……過去に本で覚えた単語をいくつか頭に浮かべてから、いや、とわたしは首を振った。

 ……むしろ向こうの方から見れば、こちら側こそが鏡の世界であるに違いない。

 

 どういうわけか、今まで誰ともすれ違ったことのない廊下と階段を足早に歩きつつ、壁に開けられた小さな窓越しに「反対側」を眺め、ずっと遠くの階で昇降機(エレベーター)の手動扉が開閉する重たい音を聞いた。

 

 

 しばらく続く曇天に気が塞いだから、ここから4丁目の教文館までは、短い距離だけれど狭い路地ではなく大通りの方を辿って行こう。夕焼けが綺麗に見えるはず。

 理由は分からないのに、確かに路面電車の走行している風景が好きだった。

 

 ◇      ◇      ◇

 

 いまから2年前——すなわち昭和9年の頃。

 この銀座アパートメントに新館が併設されて以来、わたしはモデルとして雇われている師の画室を去るのに扉を開けるたび、とても奇妙な感覚にとらわれたものだった。それは階段や壁、通路に部屋など、建物内に存在するありとあらゆる物の配置のせいだ。

 ロビーから外に出て、反対側の歩道から建物全体を見上げると、その念はさらに強くなる。

 

 厳密に計測すればもちろん違うのだろうが、本館と横に並ぶ新館の二棟は、肉眼だとほとんど左右対称に見えた。さながら双子のごとく。

 内部の構造も同じで、それぞれの棟が持つ同じ形の階段が、中央部の壁を隔ててぴったりと寄り添っている。各玄関扉の並びも全く一緒だった。

 だから二棟のあいだの壁が「鏡」を連想させ、慣れ親しんだ本館の側から新館に目をやれば(真中を貫通している廊下のほか、壁に開けられている窓のおかげで反対側を覗けるのだ)、自分だけが映っていない風景を眺めている気分になる……というわけだった。

 

 

 6階の一室に住んでいる師が描く、ほぼカマイユに近い色幅のタブロオから取り出したような、周りを構成するコンクリートとタイルの灰。くすんだ青。銀座アパートメントの内装は、視界から感じる温度が低く、瀟洒だ。

 それらもわたしが鏡の世界——どこまでも静謐な、銀色の領域を想起する一因なのだろう。

 

 けれどしばらく前から、この視界には驚くほど鮮やかな色が灯されるようになった。わたしがここに来る日の夕方、毎回ではないけれど、たまに。

 初めて邂逅したとき、彼女はちょうど向こうの(つまりは新館の側の)部屋の扉の前に立っていた。わたしがその存在に気付いて、他の住民を目撃したことに対する一瞬の戸惑いで立ちすくむうち、眼を見開いてこちらの顔を凝視しこう言った。

 

「……まあ、画噺の世界に来てしまったようです」

 

 柔らかな声を廊下に響かせたのは、眉の形や頬にまだ幼さの残る女学生。どこかで見たことのある制服を着ていた。

 その好奇に満ちた視線を注がれて、あらゆる音や、香りや、温度が、またたく間に辺りの空気に充満し——弾けてしまいそうだとすら直感したのだった。

 

 ◇      ◇      ◇

 

 何とはなしに5丁目のトリコロールまで連れてきた彼女は、ここの珈琲は飲み慣れているし、とても好きな類の味なのだと微笑んだ。

 

「それにしても、さきほどは失礼いたしました。私はアキと申します。黒須アキ」

「アキさんね。じゃあ、わたしのことはカズ、と呼んでくださいな」

 

 本名は和子という。

 けれど自分は、その堅苦しい名前の字にも響きにも昔から全くなじめなくて、可能であればいつでも相手に省略した呼称を求めた。さながら体の上に服を纏って、もうひとつの自己像、もうひとりの自分を外側に作り上げるがごとく。心の中で、和子とカズは別の人間だった。

 向かいのアキは洋菓子が運ばれてくるのを待っているのか、テーブルの間を縫って動き回る給仕を定期的に目で追っている。そもそも小柄な子だったが、喫茶店の椅子に腰かけていると殊更に小さく見えた。

 でも、人形のよう、では決してない。常に動き、変化しているその表情に挙動は。

 

「わかりました、カズさん。私、さっきは玄関を出て、あんまりお綺麗な方を前にしたものだから、うっかり書物の中に迷い込んでしまったのかと思ったんですよ」

「いやだ、大袈裟。あなたも本が好き?」

「ええ。手の届く場所にあれば、大抵のものは読みます。でも一番は小説とか、旅行記とか、あとはいろんな教本も……ううん、やっぱり選べません」

 

 彼女の髪が揺れる。

 わたしも同じだ。幼い頃から、文字を目で追うのが好きだった。物質、空間、そういうものに阻まれない世界を、あてどなく歩き回るのが面白かった。小説でなくても構わない。新聞でも広告の説明文でも、なんだって。

 あいにく生まれ育った家に本なんてほとんどなかったけれど、どういう巡り合わせかなのか、近所に忌憚なく貸してくれる人がいたのだ。上に兄姉の居ないわたしはその人を姉のようだと勝手に思っていた。

 

「カズさんも銀座アパートメントにお住まいなの?」

 

 やがて机に置かれた甘い洋生菓子の角を、少女はそっと、金属のフォークで難なく削りとる。その柔らかさ。煉瓦が風化して崩れるのにかかる時間に比べたら、本当に一瞬の間なのだろう。

 そんな空想に思考の一端を割きながら答えた。

 

「いえ、わたしは画家の篠原先生にモデルとして雇われているの。ちょうど今日も仕事が終わって帰るところで、ちょうど扉を閉めたら……アキさんに会ったのね」

「モデルをされているんですか! ……どおりで。本当に美人さんだもの。篠原さんのところには、引っ越してきたとき一度ご挨拶に伺ったきりなのですけれど、絵を描かれていたのだとは知りませんでした」

 

 ……そう、師はあまり社交的な類の人ではないから、そもそも他の住民と進んで顔を合わせはしないだろうし、ましてや自分が普段何をしているかなんて、あえて語りもしないだろう。談話室や地下の共同浴場にもほとんど足を向けていないはずだ。

 このあいだは外出の予定もないのにやたらと化粧に凝っていて、口紅の色がどうも合わない気がする、と絵筆を走らせながら絶えず不満をこぼしていた。かなり独特な雰囲気の人だと思う。加えて篠原先生は絵筆を握っているときよく喋る。

 以前は、画家は誰もが黙々と仕事をするものだと思い込んでいたけれど、どうもそういうわけではないらしい。そう話せばアキはまた微笑んでいた。

 

「あのアパートメントに新館ができてすぐ、部屋をふたつ借りて別宅にしたい、って父母が言い出して……」

「完成した当初から話題になっていたものね」

「ええ、実際に見てみたら私もすぐに気に入りました——各部屋に暖房も電話もありますし。

 それにしてもあの新館、廊下で繋がっている元の本館と隣り合わせで、ぴったり並んで、対になっているみたいですよね。なんだか変わってる」

 

 隣り合わせ、鏡合わせ。

 

「そうね。わたしは常々、鏡があるみたいだと思ってた。階段を上っていると不思議な感じがするの。全く同じ階段と扉が真横に写っているのに、自分の姿だけ片側にしか存在しないみたいで、ちょっと妙だなって」

 

 鏡の世界。

 師が描く絵と、モデルである私の関係性のような、建物の配置だ。

 

「だからかしらね。暗くなってくる時間帯のアパートメントを歩くのは、実はちょっと怖いんだ」

「あら、鏡に映らないだなんて、吸血鬼の物語みたい」

「えっ」

 

 聞きなれない言葉にわたしは瞠目して、首を傾けた。あの、江戸川乱歩の小説に出てくる吸血鬼とか、そういうもののことだろうか。

 短く切りそろえた前髪の下から、杯に注がれた黒い珈琲の表面を思わせる色が覗き、少女の光彩に貫かれる。唇の下には美しく輝く白い歯の粒が並んでいた。頬だけが、わずかな絵の具を溶いて刷いたようにほんのり赤い。

 小さな唇が蠢く。

 

「西洋の怪奇小説に出てくる吸血鬼のうち、真実の姿が鏡に映らないものがいるんですよ。外見は年を重ねず、人を惑わす容姿をしていて、信仰心を象徴するものをひどく嫌うんです。だから」

 

 そこで、彼女は言葉を切る。とても楽しそうにしていた。

 数刻前に初めて会ったばかりなのに、あまり初対面のように感じられないのは、一体どうしてなのだろう。

 

「私、カズさんに避けられないようにしなくちゃ。ほら、姓が『黒須』でしょう? 授業で習ったの、英語のクロスって、キリスト教の十字架のことなんだって。とっても相性が悪そうだとは思いません?」

「まあ……わたしは吸血鬼なんかじゃないわ」

 

 少しも怒ってなどいなかったけれど、念のため軽く目を剥いてみせた。鏡の向こう側からこちら側の世界に、いきたり飛び出して来た少女に対して。

 

「ふふふ、ごめんなさい。ちゃんと分かってます」

 

 その明るく人好きのする様子を眺めていてわたしは思った。今度、彼女にあることを頼んでみようか……。

 実のところ、銀座アパートメントを訪れるたび、わざわざ6階まで行くのに階段を使っていた理由は、あの昇降機(エレベーター)という乗り物にひどく苦手意識を持っていたからだ。動作自体も、そこから発生する音も、たとえようもなく自分を不安にさせた。

 けれど好奇心は抑えきれず、いつかは必ず試してみようと考えていたのだ。

 篠原先生は、そもそも用もないのに画室から出たがらないだろう。でも一方、先生と同じ階に住んでいるこの少女なら、付き合ってくれるかもしれない。

 なけなしの勇気を振り絞るために、一緒に昇降機に乗ってみてほしい、と尋ねることにして、わたしは杯の中に残ったわずかな液体を飲み干した。

 

 これが、初めてわたしがアキと出会い、話した日のことだった。

 

 

 

 

令和 奥野ビル

 

 道路に面したベランダ、左右対称に並ぶ窓それぞれの下に、風に吹かれて緑の草が揺れていた。

 かつての銀座アパートメントは現在「奥野ビル」の呼称で親しまれている。

 

 もともとこの場所には奥野治助氏が建設した部品工場が建っており、それが関東大震災で被害を受け移転してから、残された土地を活用するために集合住宅を建てたことで銀座アパートメントが誕生したのだという。

 正面から向かって左側、本館の方の竣工は昭和7(1932)年で、新館はその2年後の昭和9(1934)年に完成。

 この時代の多くの建物がそうであるように、震災の経験を意識した鉄筋コンクリート造りとなっている。特に、多くの住宅が密集する都市部では、木造のものに比べて火事に強い建物が求められていた。

 

 設計を担当したのは、同じ東京都内にある九段会館も手がけている建築家の川元良一だ。ほかにも建築部長を務めた同潤会アパート群(現在は残念ながら、その全てが一度解体されている)では、水洗トイレやエレベーターなど、近代的な仕様で話題を集めた。

 銀座アパートメントも当時から各部屋に電話線が引かれ、暖房設備、洗濯室、談話室に地下の共同浴場と、住民はさまざまな設備を利用できたそうだ。

 

 

 扉の開閉が手動式、かつ壁の古めかしい階数表示器が印象的なエレベーターは今でも健在で、奥野ビルのテナントであるショップやギャラリーを訪れる際には誰もが利用できる。

 なお、乗降時に扉を閉め忘れないことだけ注意したい。

 

 外壁や内装に施されているスクラッチタイルは昭和初期の近代建築の多くに見られるものである。

 大通りから建物の前まで足を運んでみれば、その雰囲気に1丁目という立地も相まってか、この奥野ビルの存在そのものが銀座におけるノスタルジーの象徴のようだと感じられた。

 

 

 ちなみに過去、アパートメントの本館竣工当時からその306号室で「スダ美容室」を営み、廃業後も最後まで住み続けた女性、須田芳子さんの生活の軌跡と共に奥野ビルの変遷を見守る有志の方々の活動がある。

 

 

 プロジェクトの一環で、毎月6日には部屋が一般に公開されており、ボランティアの方々が案内してくれる。

 開催および中止のお知らせは上のページに掲載されているようだった。

 

 

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