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東京都庭園美術館《1933年の室内装飾 朝香宮邸をめぐる建築素材と人びと》に見るアール・デコの結晶|建物公開展2019

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 白金台(しろかねだい)の西端を占める皇室の土地。そこに建つのが、旧朝香宮邸――現・東京都庭園美術館。昭和初期に日本で完成した数ある洋風の邸宅の中でも、いっとう美しい作品の一つだと私は思っている。クリーム色の外観は装飾の少ないすっきりとした佇まいだが、ひとたび内部に足を踏み入れればがらりと空気がかわり、間取りや調度品たちが経てきた時代の一端を囁くように語ってくる。

 ここでは年にいちど建物の公開展示が行われており、先日それに足を運んだ。他の特別展開催中も内部を散策することはできるけれど、一部の部屋や家具は公開されていないので、この屋敷を余すことなく楽しめる貴重な機会になる。写真撮影もでき、帰ってから細部をじっくり確認するのにもうってつけだった。

 20世紀初頭のフランスで隆盛だった、アール・デコの系譜を明確に受け継いだ様式、そして垣間見える当時の朝香宮家の生活。装飾性と機能美を兼ね備えた館は、いつの時代に訪れても、懐かしさと新しさの両方を訪問者に感じさせてくれる。

 

参考ページ:

1933年の室内装飾 朝香宮邸をめぐる建築素材と人びと

旧朝香宮邸の歴史を訪ねて|東京都庭園美術館

 

旧朝香宮邸

 玄関から入館し、外套室(受付)を抜けて進んでいく。

 以前から度々ぼやいているように、私はかつて人間が暮らしていた洋館の内部をうろうろするのが大好きだ。美術館博物館として保存されているならそこは絶好の場。

 すかさず、合法的な家宅侵入を心ゆくまで楽しみたい。

 

 

 決して多すぎない量の光が外から差し込み、クルミの木材に囲まれた厳かな雰囲気の大広間では、柔らかな絨毯で覆われた床を踏むことに緊張と少しのためらいが生まれた。

 天井に規則正しく並ぶ丸い照明が近代的で目におもしろい。置いてあるソファは、最近済んだ修復の後に初めて一般の眼前に持ち出されているのだそう。

 旧朝香宮邸が竣工したのは昭和8年、すなわち西暦1933年のことだった。建設のきっかけとなったのは大正12年の関東大震災。これにより、朝香宮家の人々が当時暮らしていた高輪の家も大きな被害を被ったため、白金台の地で新しい邸宅の建設が計画されることになる。設計と内装のデザインにあたってはアンリ・ラパンが登用され、宮内省の内匠寮工務課と共に宮殿づくりが任せられた。

 朝香宮家の創設者・鳩彦(やすひこ)殿下と奥方は1925年のパリ滞在中、現代産業装飾芸術国際博覧会で、アール・デコの最盛期を見届けられている。

 内部を歩けば、両陛下が心ひかれた様式の根幹が建物にも反映され、現在もそのままに残っているのがわかった。建設中も経過を確認しに足繁く現場へ通われていたというから、本当に強い愛着を持たれていたのだろう。もちろん、家族みんなが今後過ごす予定の家なのだから、それは当然のことなのかもしれないが。

 

 

 そもそもアール・デコとは、どのような様式を指す呼称なのだろうか。

 直訳すると「装飾芸術」となる名前は、前述したパリの現代産業装飾芸術国際博覧会からとられたものだ。19世紀末期に流行したアール・ヌーヴォーとは対照的に、直線・曲線を利用した幾何学的な意匠が特徴となっている。工業生産品の時代にも適した、再現が比較的容易でスタイリッシュなデザインは世界中で普及し、特に建築やインテリアの分野で一世を風靡した。ニューヨークの摩天楼クライスラー・ビルディングもそのうちのひとつだ。

 現代に生きる私でも朝香宮邸を訪れたときに新しさを感じるのは、これらの幾何学的な文様が持つ、普遍的な美によるものかもしれない。抽象化され組み合わされた数々の形を眺めていると、ここが昭和初期の邸宅ではなく、どこぞの宇宙船の内部ではないかとすら思えてくるから不思議だ。

 大広間と小客室は次間(つぎのま)で接続されており、そこに設置してある白いモノの形状も少々近未来のオブジェじみている。はじめに見た時は、一体これは何なのだろうかと首をひねったものだった。

 

 

 アンリ・ラパンの手によるこの陶磁器製の塔は、かつて水が流れるようになっていた噴水器......らしい。つるんとしたシルエットと、上部に施されたゼンマイ状の、変形したアンテナのような照明が奇妙だが洒落ている。まるで異星人と交信するときに使う機械みたいだ。

 現在は「香水塔」の愛称で呼ばれることが多いが、それは朝香宮邸時代に香水を上から振りかけ、照明の熱によって香りが部屋へ広がっていくのを楽しんでいたのが由来らしい。こういうアイテムを家の中に置こうという発想がまず良い。潤沢な予算がなければできない事柄の数々は、古今東西の王族や貴族の家を覗く楽しみの一つでもある。

 一介の庶民でしかない私も、小綺麗な靴と服で邸宅を見学する際、想像の中でだけは彼らの一員として振る舞える。とても子供じみた遊びだが、これだけは永劫にやめられそうにない。

 さて、ルネ・ラリック作の照明やアングランのエッチングガラスを鑑賞しながら大客間を抜けて、突き当りの部屋は大食堂。そこは屋敷の中でもひときわ華やかで、弧を描き張り出した窓からの光に目を細めずにはいられない場所だった。

 

 

 

 

 客人との会食に使われた大食堂では、その用途を意識してか、果物や魚貝類のような「食べられる」モチーフが施されている場所が多くみられる。それが面白いと感じた。

 大客間のものと同じく、照明のデザインを担当したのはラリックだ。彼は宝石職人・デザイナーとして大変な人気を博した後、ガラス工芸職人へと転身して規模の大きな作品を制作し続けた。

 アール・ヌーヴォーの全盛期に生み出された、精緻で優雅なアクセサリー類は美しいものの、個人的にはより抽象的かつ洗練された印象を与える後期の作品がとても好き。

 神奈川県・箱根にある、ラリック美術館の展示が充実していると聞いたので、遠くないうちにそちらの方も訪れたいと願っている。

 

 

 ラジエーターの表面を覆うカバーはまるで海の世界。そこに住む彼らもやがて釣られ、調理され、皿の上に飾り立てられて食卓へと並ぶのだ。そう思うと少し、お腹が空いてきた。

 また、同じ1階にある小食堂は家族が利用するために設えられたもので、大食堂とはだいぶ趣が異なる和の空間だ。特に落ち着いた印象を与えるのは寄せ木の床だろうか。

 シンプルながら細部へのこだわりが行き届いた部屋を、とても良い形をした照明が照らしている。

 

 

 ここから2階の居室へと向かったのだが、そこで遭遇する第一階段は、単に上へと続いているだけの通路ではない。これは賓客の多く出入りする1階と、書斎や寝室などプライベートな空間が多い2階を結ぶ経由地であり、それ単体でもひとつの作品として成り立つように手の掛けられた重要な存在だった。

 3種類の大理石を贅沢に使い、特にジグザグ状にデザインされた手すりの部分に重厚感が与えられている。頂点に設置されたランプには、階段下部と同じ椿ののような装飾が施されていた。

 文様のパターンにはどちらかというと和の雰囲気が色濃く出ているようだが、それはこの周辺で、アンリ・ラパンよりも宮内省内匠寮がより多く内装の設計を担当したのも影響しているのだろう。

 海の向こうからもたらされたアール・デコを、当時の職人たちがどう解釈し表現しようとしたのか――その一端を垣間見れるのが、第一階段から2階にかけての空間なのかもしれない。続く大広間のラジエーターにも、日本の伝統的な模様「青海波」が用いられているのを発見した。

 

 

 小さな居間や寝室が連続する2階の見どころは多いが、何といっても数々の照明器具が美しく、それを抜きにして旧朝香宮邸を語ることはできないとすら思わせる。特に、妃殿下の居間の天井から釣り下がった5つの球状のランプに心を動かされた。魔法の宿った光のよう。根元の周辺に施された装飾も一緒にこの空間を作り上げていた。

 滑らかなヴォールト(アーチ)状の天井からは、左官の高い技術が伺える。記録によると、当時の内匠寮工務課は国内のみならず、外国の建築を扱った文献を積極的に参照していたのだそう。

 球状のランプも、フランスの雑誌で紹介されていたジュネ・エ・ミションの作品からの影響が色濃く見られ、伝統に固執するだけでなく新しいものを取り入れようとした職人たちの探求心が感じられる。

 

 

 若宮の居間ではペンダント型の照明が、側面のステンドグラスで部屋に彩りとときめきを添えていた。私も欲しい。

 そして、小さな階段を上った先に、この建物公開展期間中のみ立ち入ることのできる場所がある。名前をウィンター・ガーデンといい、元来は温室として設計された空間だ。「冬でも花を咲かせられる園」とは、実に素敵な呼称だと思う。

 構造上そうなっているのか、朝香宮邸の他のどの部屋よりも蒸し暑かった。市松模様の床や壁は人口の大理石と漆喰でできている。小さくも丁寧に造られた排水溝や、花台の支えの意匠、壁から生えた真鍮製の蛇口が魅力的。

 置いてある赤色の家具は、1932年に鳩彦殿下が直々にご購入されたマルセル・ブロイヤーの椅子と机で、モノトーンの温室に加わったお洒落なアクセントとなっている。また美術館ホームページ掲載の資料を読むと、かつての宮家の方々は、ここに卓球台を持ち込んで遊ぶこともあったそうだ。

 ......楽しそう。

 

 

 温室を楽しんだ後は階段を降り、併設されている新館の展示を併せて見学し、帰宅の途についた。

 帰りも入ってきた玄関から再び外に出ることになる。曇り空だったが、根強く残る暑さの威力にたじろいだ。振り返ればラリック作の一点もの、光を通して幽玄な姿を現す羽の生えたガラスの女性が、人々の来訪と退館を黙って見届けていた。

 彼女は何処へ向かって昇ろうとしているのだろうか。ついでに私も、一緒に連れて行ってくれたら良いのにな。

 

 

 2022年の建物公開展はこちら: