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マルタ共和国旅行(2) 古代の遺跡編|巨石神殿と巨人は言葉で語らない

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 前回の続きです。

 

 私がマルタを訪れたのは、まだ夏の厳しい暑さの残る、8月末から9月頭にかけて。

 現地ガイドさん曰く、10月以降は風も涼しく観光客も少なくなってとても過ごしやすいとのこと。素敵な場所なので、秋の旅行先候補としてどうだろうか。

 今回の記事では魅力的な神殿群を巡る。

 

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神殿横から海とフィルフラ島を

 

  • 古代遺跡の引力

 古代遺跡、という面からマルタ共和国の名を意識するようになったのは、エジプト旅行から帰国して少し経った6月ごろのこと。

 どうやら、エジプトのピラミッドやスフィンクスよりもずっと昔に建造された、人類史上でも最古に分類される石造建築物が、地中海の島にあるらしい......とある日耳にしたのだ。とても、興味を惹かれた。

 今回の滞在中に観光できたのは、マルタ島にある遺跡ふたつと、ゴゾ島にある遺跡ひとつ。

 

 一般には、マルタを訪れる人々の大半は遺跡ではなく、美しい海に囲まれたリゾートを目的にして来ている。彼らにとって古代文明要素はおまけ。

 そのせいか、一人で現地で過ごしていて、正直なところ強烈な疎外感を感じていた。

 遊歩道に沿って歩き、何故私はここにいるのだろう? と自問して、ゆっくり本を読んだり遺跡を見たりするためだろう、と自答してみる。理由は特に重要じゃない。結局は、渡航先で「見てみたい何か」の存在も口実に過ぎず、旅に出ること自体が目的だったのだからそれでいい。

 

参考サイト・書籍:

Visit Malta(マルタ観光情報サイト)

Visit Gozo(ゴゾ島観光情報サイト)

 

 

マルタの巨石神殿群

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遺跡の横にいたネコ

 1980年に初めてユネスコ世界遺産のリストへと登録された、マルタ・ゴゾ島のジュガンティーヤ神殿。

 それに追随して、1992年には範囲の拡張がなされ、今では合計6つの遺跡が《マルタの巨石神殿群》として知られている。それぞれの建設された年代は異なっているが、現代に比べて技術の発展や生活スタイルの変化がゆっくりだったためか、各遺跡の基本的な構造はとてもよく似ていた。

 古代に生きた彼らは何を思い、巨大な石の建築物を造り上げたのか。そしてなぜ、ある時点から神殿の利用をやめ、それが朽ちるままに放置することになったのだろうか。

 私達の時代に建てられたもののなかで、果たしてどれほどが、今から5000年以上後にも残るだろう。

 

 これから紹介する二つの神殿は位置的に、前回紹介したブルー・グロットと近いので、訪れた際は併せて観光すると移動が少なく楽かもしれない。

 Hagarというバス停で降りればよく、1本で行ける。

 

  • ハジャール・イム神殿(Ħaġar Qim)

 2009年から白い天井で覆われているこの場所。

 柔らかなグロビゲリナ・ライムストーンという石灰岩の一種で構成されたハジャール・イム神殿は、風化の進行を抑えるため、こうして人の手で保護されることになった。視線を海に向ければ、フィルフラ島がかすかに望める。

 解説によると、古代のマルタの人々がその島を特別視して、あえてこの場所に神殿を作った可能性もあるとのことだ。

 

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外観

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内部奥の部屋

 始めにぐるりと周囲を歩いてみた感想は、まるで地面から歯が生えているよう、だった。高さ5メートルを超える石の並びからは、特に下の前歯の形を強く連想させられる。放っておくと風雨という虫歯に侵されていくのがかなりそれらしい。

 神殿の部屋も半円形をしたものが連なっており、内部に足を踏み入れる際は巨人の口腔内に忍び込むようで少しドキドキした。この「巨人」という言葉については、後のジュガンティーヤ神殿の項でもう少し述べるつもり。

 壁の中ほどに設けられた入り口は、垂直に立った二つの石の上にもう一つの石が渡される、トリリトンと呼ばれる形式が採用されていた(イギリスの世界遺産ストーンヘンジの一部と同じだ)。

 

 しばらく佇んでいると、この神殿には屋根がないことに気が付く。

 考えられる理由は幾つかある。もともと屋根は存在していなかった説と、全て崩落した説、そして草や布などの傷みやすい素材で作られたため残っていない説......など。

 個人的には、祭祀を行う場所の一般的なイメージから、石でも他の素材でも使って、何らかの方法で神殿内部を薄暗く保っていたのではないかと思っているが、どうだろう。

 

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側にある小神殿

 マルタのヴィーナスと名付けられた女性像が複数発見されたのが、このハジャール・イム神殿の周辺だった。

 マルタで出土した人型の像は首が欠損しているものが非常に多く、当時の宗教的な風習と何らかの関わりがあることが示唆されている。

 加えて後期の像では性的な身体特徴が大きく省略されていることがあり、それが中性、あるいは無性の概念を表現したものではないかと言われることも。

 

 また、近隣に埋まっていた多数の動物の骨と、神殿の床に設けられた謎の穴は、併せて儀式の痕跡だとみなされていた。

 おそらくは神(か、それに等しい存在)に捧げられた動物を屠った際の血液や神酒の類を、穴に流し込んでいたのではないか。似たものの痕跡は他の場所でも見つかっている。石灰岩は水を良く吸う性質を持つので、その現象に注目した当時の人々が、何らかの意味をそこに感じたと考えても不思議ではない。

 床ではなく通路の脇に2か所ずつ設けられた貫通型の穴に関しては、注連縄のようなロープを通すのに使われていたのかもしれないという。

 考えれば考えるほど、その情景が浮かんでくるようなこないような、不思議な気持ちになる。遠い昔に生きていた人々の風習のこと。その片鱗は私のような素人が空想を頑張ったところで、当然ながらなかなか掴めない。

 

 

 

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細い道を歩く

 この神殿の奥には、イムナイドラ神殿に続く道がある。

 入場券はハジャール・イム神殿とセットになっているのでそのまま進んでいこう。帰り道は坂が少しきついが、1ユーロで電動カートに乗せてもらえる。そちらは歩くのが苦手な人向け。

 約500メートルの道半ばでは、季節によってサボテンの実がたわわになっているのを近くで見られた。

 

  • イムナイドラ神殿(Mnajdra)

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正面から

 ハジャール・イム神殿に使われていたグロビゲリナ・ライムストーンよりも、少し硬めの珊瑚質の石灰岩で作られたため状態が良好な、イムナイドラ神殿。建造された年代と機能が異なる3つの神殿の集合体だ。

 マルタで発行される、セント硬貨の一部の絵柄にもこの神殿が使われている。

 

 南側にあるものが最も古い機構だと言われており、どうやら入口から差し込む光線によって、太陽の運行を観察できるようだった。例えば春分秋分には神殿正面から奥の壁が真っすぐに照らされる。そして、夏至の日には右から、冬至の日には逆の側から光が入り込んで、手前の部屋をそれぞれ照らす。これにより季節の巡りを可視化できるというわけ。

 後にエジプトで建てられた、アブ・シンベル神殿にも似た仕掛けが施されているのをふと思い出した。

 繰り返し沈んでは昇り、恵みと渇きの双方を人間に与える太陽という存在。地球上のどの地域にいてもこの天体と無縁ではいられない。ましてや古代の人々にとって、それがどれほど生活と密接に結びついていたのかは、改めて考えるまでもない。

 

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謎の小部屋

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出入り口のようなもの

 神殿内部には生贄を捧げる際に用いられる火打ち石ナイフ等の他に、ベンチやテーブルなど、家具のような物品も置いてあったそうだ。

 また、たくさんの穴が穿たれ装飾されていた柱があったが、トライポフォビアの人はじっと眺めるとぞわぞわしてしまうかもしれない......。

 奥の部屋の壁には神殿の設計図かイメージ図のようなが刻まれており、建設の際に何らかの指標としていた可能性も示唆されていた。

 動物の骨が多く発掘されたのに対して人間の骨は見当たらないことから、ここが墓地として使われていなかったことがはっきりしている。おそらく、病を癒したり豊穣を祈ったりするのが主な役割だったのではないか――と言われているが詳細は未だ不明で、より研究が進むのを待つほかない。

 

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港から船に乗って

 そこからはフェリー乗り場に移動し、隣のゴゾ島へと向かった。

 マルタ本島~ゴゾ島は所要時間およそ20分程度で、あっという間に到着する。早速、バスで神殿の入り口(博物館になっている)まで向かった。

 

  • ジュガンティーヤ神殿(Ġgantija)

 巨人、ないし巨人による建築物を意味する神殿名、Ġgantija(ジュガンティーヤ)。

 島の伝説によれば、かつてこの地にはソラマメと蜂蜜を主食とする、サンスーナという女巨人が暮らしていたのだという。彼女は人間との間にもうけた赤子を肩に担ぎながら、たった一人でジュガンティーヤ神殿を造り上げ、そこを祈りの場としていたらしい。

 この話になぞらえてか、外壁に残っている手のような形の穴が彼女の痕跡だと称されることもあるそうだ。

 

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遠目から

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最も古い部分の壁

 最大で6メートル、重さ50トンにもなる巨石がずらり、並んでいるのを目の前にすれば、巨人の存在は想像の世界からぬるりと抜け出して、現実感とともに目の前に迫ってくる。

 遥か昔の金属も車輪も無かった時代に、これだけの大きさと重さを持つ石柱を切り出して動かし、ひとつの神殿を造り上げる労力と技術は一体どこから来たものなのだろうか。

 周辺からは球状の石が多く発見されたそうだが、一説ではそれらを下敷きにして、転がすように柱を運んだとも考えられている。

 

 外壁には丈夫な固めの石灰岩が積まれ、内部は細工や装飾がしやすいよう柔らかめの石で構成されていた。そこからは点や渦巻き模様の施された柱が発掘されたほか、それぞれの部屋には漆喰で塗装されていた跡も存在する。

 また、入口が南東の方角を向いているのは、マルタにある多くの巨石神殿群に共通する特徴だ。ここも、太陽の光が特定の日になると真っすぐ射し込むようになっている。

 そして奥の小部屋にあった、祠のような壁龕が並ぶ場所が下の写真。数々の観光客が訪れる現代においてもなお、神聖な雰囲気は全く失われていないと感じた。

 

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神殿の一角

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棒を差し込むためのような穴

 存在自体は昔からよく知られていたものの、19世紀にその価値が判明するまではほとんど打ち捨てられ、関心を払われていなかったマルタの巨石神殿群。こうして保存と調査が進むようになったいま、さらなる驚異の発見をひそかに期待している。

 神殿を見た後はここから移動して、今度はゴゾ島内の散策へと出かけることにした。

 大小の教会や城塞など、魅力的な史跡が数多くあるのでわくわくする。マルタ島よりもさらに敬虔なカトリック教徒の割合が多く、住宅街を歩いているだけで、聖人たちの像をたくさん拝むことができた。

 

 マルタ共和国旅行記事は次の(3)へと続きます。

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