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彷徨する自由帖

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《倫敦塔》夏目漱石 - イギリス|近代日本の小説家による、外国を舞台にした短編のお気に入り(2)

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 前回は、ドイツを舞台にした森鴎外の作品《うたかたの記》を紹介しました。

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 これを読んでいる方々の中に、空想を日常的に好んで行うと自認している人はどの位いるだろうか。

 もしくは、普段から意識していないのに頭の方が勝手に働き、色々な出来事がどんどん脳内で展開してしまう、という人。

 その数は決して少なくないと思うし、かくいう私もそのうちの一人だ。目の前に何らかの種を与えられると、嬉々として水をやり育てずにはいられない。物語の破片ははっきりと見えなくても、あらゆるものの陰にそっと息をひそめて隠れているから。

 前回に引き続いて紹介したい短編は、作者がイギリスの首都・ロンドンの観光名所《ロンドン塔(Tower of London)》を訪れた際の出来事が、臨場感とともに描写されているもの。

 そこで遭遇した数々の人物・事物と、それを鍵として開かれた空想の扉から垣間見える、少し怪しげだが幻想的で美しい世界のお話だ。

 

 物語の終盤、古い塔の雰囲気に首まで浸ったあと帰路につき、到着した宿で明かされたある事実も、非常に漱石らしい語り口で叙述されていて面白い。幻想的だが平易で、わかりやすくもあるのが夏目漱石作品の魅力。

 宿の主人からの無粋な「種明かし」を受けて、彼はさも落胆して鼻白らんだかのように見せているが、実のところ漱石本人も「空想なんてのはこんなものだ」と初めからに構えていたのではないかと読者の側に感じさせる。

 さて、そんな彼をロンドン塔で待ち受けていたものとは一体何だったのだろう。

 

目次:

 

参考・引用元:

青空文庫(電子図書館)

 

 

※物語の内容やその詳細に言及しています。

※また、この記事中で紹介しているのはパブリックドメインの作品です。

 

夏目漱石(1867~1916)

 神奈川近代文学館で開催されていた、《特別展「100年目に出会う 夏目漱石」》を鑑賞しに行ったのはもう3年も前になる。光陰矢の如し。漱石が没してから百と少しの年数が経過してもなお、紡がれた多くの物語は、人々の心を惹きつけてやまない。

 自己と他者、そして日本と外国の狭間に立ちながら文学と人間について考え続けた彼の葛藤には、それだけ普遍的な要素が含まれているということだろう。

 文部省から「英文学研究」の名目でイギリスへの渡航が命じられたのは、西暦1900年――漱石が33歳の時。当時まだ小説作品は発表しておらず、1903年に帰国してしばらくの間も、英文科の講師として帝国大学に勤務していた。

 かの小泉八雲の後任としてやってきたのだが、生徒からの授業の評判は芳しくなかったらしい。

 

 彼が本格的に執筆を始めたのはこの頃で、38歳になって《吾輩は猫である》を出版する運びとなった。

 ロンドン滞在中の経験に着想を得たこの《倫敦塔》も、比較的初期の1905年に発表された作品だ。

 

  • 《倫敦塔》あらすじ

 そもそもロンドン塔とは、イングランド王ウィリアム1世によって11世紀に建設が命じられた要塞。時代が移り変わるに従って天文台や造幣局、監獄処刑場として使われるようにもなり、特に15~17世紀には数々の著名な人物がここで死んでいった。

 現在では貴重な史跡として、ユネスコ世界文化遺産のリストに登録されている。

 

二年の留学中ただ一度倫敦塔を見物した事がある。その後再び行こうと思った日もあるがやめにした。人から誘われた事もあるが断った。一度で得た記憶を二返目に打壊すのは惜しい、三たび目に拭い去るのはもっとも残念だ。「塔」の見物は一度に限ると思う。

 

 まだロンドンに着いて間もない時分のこと。

 漱石は観光でもする気分だったのか、不慣れな街を歩くのに苦労しながら、どんよりとした曇りの日にテムズ川の畔を訪ねた。そして向かい側に建つ塔をじっと見つめるうちに、自分を強く引きつける不思議な力を感じ、入口まで小走りで向かう。

 門をくぐり、石橋を渡り、敷地内を歩き始めた彼の双眸に映っていたのは、もはや現在の倫敦塔の姿ではなかった。

 

余はこの時すでに常態を失っている。

 

 イギリスの歴史を通してこの塔に関わったあらゆる人物の影が、視界に現れては消えていく。それは、まだ塔の周辺の堀に水が張られていたころ船を操った船頭であったり、下卑た戯れに身をやつす見張りの番兵であったりした。

 不意に透けた眼前の石壁の向こうに、処刑を明日に控えた可哀そうな王子たちが、寄り添いながら健気に祈る姿すら間近に浮かぶ。その情景の、真に迫ることといったら。

 もちろん、実際に漱石が対峙していた塔はもう使われていない只の史跡であり、これらの映像は全て彼の空想・妄想だ。それが、あたかも本当に目の前で起こっている出来事であるかのような描写で物語は進む。映画のように。

 彼が想像力の翼を羽ばたかせながら更に歩を進めていくと、ある美しい女性が息子と思わしき子供を連れて、塔内を見物しているのに出くわした。

 二人の視線の先には三羽のカラスがいる。寒そうだから餌をやりたい、とごねる子供に対して女性はただこう言った。

 

女は静かに「あの鴉は何にもたべたがっていやしません」と云う。小供は「なぜ」と聞く。女は長い睫の奥に漾うているような眼で鴉を見詰めながら「あの鴉は五羽います」といったぎり小供の問には答えない。何か独りで考えているかと思わるるくらい澄ましている。

 

 それは少々不可解な光景だった。子供の傍らに立ち、どこからどう見ても三羽しかいないカラスを指して「五羽いる」と断言する、面妖な雰囲気の女性。底知れぬ怪しさを感じながらも、漱石はひとまずこの場をやりすごした。

 だがどういうわけか、次に足を踏み入れた部屋でも遭遇した先程の親子は、さらに謎めいた雰囲気を纏って、これまた奇妙なことを話している。

 特に女性の方は、かすれて殆ど判別できないような図柄を迷うことなく指して子供に説明し、ついには石の壁一面に刻まれた囚人たちの叫び(落書き)や各家の紋章を前にして、何か古めかしい詩句を諳んじ始めたのだ。

 彼らは一体何者なのか。そして、空想と奇妙な現実の間で戸惑いながら帰り着いた漱石を待っていた、宿の主人の言葉とは......? 本編を最後まで読むとそれが分かります。

 

 

 

 

  • 好きな要素

 まず、序盤で使われていた二つの印象的な比喩が気に入っている。

 

その頃は方角もよく分らんし、地理などは固より知らん。まるで御殿場の兎が急に日本橋の真中へ抛り出されたような心持ちであった。

(中略)

この響き、この群集の中に二年住んでいたら吾が神経の繊維もついには鍋の中の麩海苔のごとくべとべとになるだろうとマクス・ノルダウの退化論を今さらのごとく大真理と思う折さえあった。

 

 とても面白い例えだと思うし、《倫敦塔》にはこんな表現がたびたび出てくる。

 ある部分では、塔に吸い寄せられるように近付いた際の自分を、「過去の一大磁石に吸収された小鉄屑」と称してもいた。読者が不覚にもクスリと笑ってしまうような言い回しの数々は、漱石の著作の大きな魅力の一つだろう。

 

 この短編の味わいどころは何といっても、彼の空想の中で現れては消えていく、幻想的な人物や情景の奔流。まるでイッツ・ア・スモールワールドのアトラクションみたい。どんよりと曇ったロンドンの空が不意に割け、突然に用意された舞台の上で、歴史をなぞった演目が始まる。

 ある場所では、かつて塔に幽閉されていたエドワード5世とその9歳の弟が寒さと処刑に怯えながら寄り添い、本を読む姿が「再生」されていた。

 むき出しの石壁、色あせたタペストリー、不気味に鳴く夜中の風の音。僕たちは一体いつ、殺されてしまうのだろうか――と不安げに囁かれる二人の可憐な声。

 それは徐々に遠くなり、次に映し出されたのは、彼らの母親とおぼしき人と門番の影だった。

 

忽然舞台が廻る。見ると塔門の前に一人の女が黒い喪服を着て悄然として立っている。面影は青白く窶れてはいるが、どことなく品格のよい気高い婦人である。やがて錠のきしる音がしてぎいと扉が開くと内から一人の男が出て来て恭しく婦人の前に礼をする。
「逢う事を許されてか」と女が問う。「否」と気の毒そうに男が答える。「逢わせまつらんと思えど、公けの掟なればぜひなしと諦めたまえ。私の情け売るは安き間の事にてあれど」と急に口を緘みてあたりを見渡す。濠の内からかいつぶりがひょいと浮き上る。

 

 こうして母と息子たちとの面会があえなく拒絶された後、無慈悲にも処刑は執行される。

 それは血塗られたロンドン塔で起こった、数ある凄惨な出来事のうちのひとつだ。名もなき囚人の遺した壁の落書きも、ドラローシュの絵画で有名なジェーン・グレイの斬首も、一つの巨大な織物の縦糸と横糸のように織られ重なって、この塔を彩っている。

 

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《ジェーン・グレイ》ポール・ドラローシュ © The National Gallery

 

 全ては自分の空想でありながら、度を越えて現実味を帯びてくる風景に漱石は少し動揺し、ついには塔を後にしようとした。途中で出逢った母子もどこか不気味で怪しい。

 急ぎ足で去ろうとする彼に追い打ちをかけるように、ガイ・フォークス(17世紀の人物)が鐘つき塔の窓から顔を出して、国会爆破計画の失敗をくやしげにぼやくのだが、私はこの場面も大好きだ。

《倫敦塔》を手に取ると、目の前にあるものから空想をどんどん展開する楽しさと、最後にそれをあっけなく砕かれてしまう悲哀の両方を感じられる。ふと思い立った時に、何度でも初めから頁を開いてしまいたくなる素敵な作品なので、幻想や英国の歴史が好きな人におすすめ。

 

 以下のリンクから全文が読めます。

夏目漱石 - 倫敦塔 全文|青空文庫

 紙媒体の購入はこちら。

 

 明治39年当時、同じ本『漾虚集』に収録されていた短編「カーライル博物館」については以下で:

 

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 次回は夢野久作の《死後の恋》を紹介したいと思います。