聖地巡礼をしました:
《蘇りの秘術》を得たくば、呪い殺せ
昭和後期の東京都墨田区を舞台に、呪いの力を得た9人の男女が七不思議に隠された《蘇りの秘術》の行使を巡ってそれぞれの想いをぶつけ合う、群像ホラーミステリーADV。
最後にあなたに待ち受ける謎とは…!?
(スクウェア・エニックス「パラノマサイト FILE 23 本所七不思議」公式サイトより)
目次:
パラノマサイト FILE23 本所七不思議
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ネタバレ【無】感想
ホラーミステリーADV「パラノマサイト FILE23 本所七不思議」をプレイした。
つい360度写真のように「パノラマ」と読んでしまいそうになるが、タイトルは「パラノマサイト」。ノ、よりも先にラ、が来る。パラノーマル(paranormal)+サイト(sight)の造語らしい。
わりとあっさりした短めのシナリオで、内容も(キャラクター達には重い背景や悲劇もありつつ)身構えずプレイできるタイプの話。欲を言えば、もっと全体的なボリュームや分岐点の数が欲しかった。
結末で読み取れる、いわゆる制作側のメッセージ的なものが滅茶苦茶シンプルなのには「塩むすび」に似た味わいがあった。高級飲食店で出される料理、じゃなくて、塩むすび。しかし米と塩と海苔の種類にはこだわっている……みたいな。
なんだろうこの感想?
ネタバレを避けようとするとこうなる。
七不思議などの伝承、呪いや怪談系だけでなく、都市・町の散策が趣味の人に結構おすすめできる気がした。
また、私はそこまでゲームに親しんできていない人間だけれど、何かを読んだり考えたりすることがわりと好きなら直感的に進んでいける難易度だったと思う。
要所で多少時間はかかっても、外部の攻略情報は一切見ずにゲーム内資料だけで最後の真相ルートまで辿り着けた。ヒントの出され方が丁寧で、その分、細かな見落としによっては行き詰まる印象。個人的に某場面の変なところで何十分もしばらく躓いていました。
スマートフォン版でプレイする場合、オプションの「ビデオ」の項で描画負荷を「低負荷」に設定しておくと動作が重くならないかも……?
いつもは明治・大正時代から昭和"初期"にかけて生まれた近代遺産を巡ったり、当時の文化に思いを馳せたり、関連する文学作品などを楽しんだりしているこのブログの管理人。
パラノマサイトの舞台は昭和後期の東京で、作中に「高度経済成長期に発展」した企業〈ヒハク石鹸〉などが登場するところを見ると、西暦1973年以降の事象がまだ尾を引く社会、80年代初頭にかけての設定なのだと思われる。いわゆるオカルトブームの渦中にあった世の中。
なので、だいぶ日頃の興味の範囲よりは後の時代だ。
たとえば京極夏彦の小説「百鬼夜行シリーズ」の舞台よりも、ひとまわりかふたまわり先に進んだ世界を想像した。明治・大正と何より異なるのは、この頃の空気を実際に体感していて、令和5年現在でまだ存命の人の数はかなり多いだろう……という部分。
私は90年代に神奈川県で生まれ同県で育っており、東京という土地が身近だったのは、品川区の高校に通っていた3年間のみ……と短い。そのため、パラノマサイトでゲーム内の各所を探索する際に伴うのは「遠出のようなわくわく」だった。
「どこか知っている感じ」と「まったく知らない感じ」が半々の。何かをレトロだと思うのにはそこに理由がある。
〈旧安田庭園〉なら、自分が江戸東京博物館へ行くときだいたい一緒に寄る場所だから、ここで作中キャラクターがあれこれしていた様子も明確に思い浮かべられる。本所七不思議のひとつ〈落葉なき椎〉ってこの辺りに縁があったんだ!
それから〈喫茶店 黒桔梗〉の説明文にも目が留まった。資料欄にある「近年では テーブル型筐体のゲームが大ヒットしたため 多くの喫茶店に人が押し寄せるという社会現象も起こっている」……の記載。
このゲームテーブル、地味に好きなのだ。インベーダー系、麻雀ほか、置いてある店舗によって種類もいろいろあって面白い。
上の写真は最近実際に訪れた昭和創業の喫茶店(喫茶店巡りが好きです)にあったもので、これらの描写からも作中世界とプレイヤーのいる場所が部分的に地続きになる感覚が個人的に楽しいと思う。だから冒頭で「都市や町の散策が趣味の人には結構おすすめできる気がする」と述べた次第。
振り返れば「駄菓子屋さん」も、通っていた小学校の近くに確かにあった。友達と一緒に立ち寄ってもいた。年配の方が多分お一人で経営されていて、いつの間にか看板は下ろされてしまっていたけれど。
ゲーム登場キャラクターの逆崎約子は、昭和初期から子ども達に親しまれている〈駄菓子 せんのや〉の3代目という設定で、休日には店番に立っているとのこと。
魅力的な空間。世相や客層の変化で衰退していく致し方なさはあるが、博物館や資料館にはこうしてきちんと記録が残されている。
あとは公式Twitterを参照すると、春恵が住んでいる〈志岐間邸〉の外観のモデルは旧小山家住宅だったのだと分かった。今度行ってみよう。
【立花大正民家園 旧小山家住宅 - 墨田区公式ウェブサイト】
初回プレイ時はとにかく続きの展開を確かめたいのと、見落としがないか念入りに調査を行う作業とで、常に目がどこかへ奪われがちだった。一気に読み進める疾走感は味わえたので、次は別の要素も意識しつつのんびり物語を辿ってみることにする。
ところで志岐間春恵と櫂利飛太のコンビ、会話などのやり取り、妙に癖になるような「良さ」があったのだけれどこれは一体なんなんだろうな……。
どこかしらで自分の萌えのスイッチが押されている気がする。ちょっとこれから深く考えます。
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作品と関係する要素の簡易年表
1970年代
【1970年】東京都公害防止条例の大幅改正
開始時、すでに稼働停止していたヒハク石鹸の廃工場(法恩寺橋近く)もこの影響を受けていたか。
【1972年】ボウリングブームと施設数の急増
この頃警察学校時代の襟尾純が、同期の櫂利飛太をボウリングに誘っている。
テレビでもゴールデンタイムにボウリングが放送されていた。
【1973年】第一次オカルトブーム本格発生
ネッシーやツチノコやヒバゴンをはじめとした未確認生物の目撃情報が多数。
スプーン曲げ、心霊現象関連などのほか、逆崎約子と黒鈴ミヲが行っていた「こっくりさん」もこのとき大流行して知名度を上げた。
【1978年】7月 隅田川の花火大会が再開
川の水質汚染により、1962(昭和37)年から中止されていた。
志岐間春恵が駒形橋の上から当時の様子に言及している。
【1978年】12月「スペースインベーダー」発売
喫茶店に設置されたテーブル型筐体のゲームが大ヒットする(パラノマサイトでは資料「喫茶店 黒桔梗」の説明文で言及)。
1980年代
【1980年】なめ猫のグッズ発売
ゲーム内の「なめどり」を彷彿とさせる。パロディか。1982年まで大流行し、グッズは数十億円の売り上げを達成した。
志岐間春恵の息子、修一も「なめどり」が好きだった。
【1981年】少年非行問題の顕在化
鈴木善幸元首相が施政方針演説でこれに言及。
また、吉見肇も若い頃所属していた「暴走族」が全盛期を迎える。
【1982年】テレホンカード対応公衆電話の登場
作中の錦糸堀公園にもあったもの。
日本で最初に「絵柄」が印刷された磁気テレホンカードは、岡本太郎による意匠。
【1985年】電気通信と端末接続の自由化
ファクシミリ(FAX)機器が徐々に一般に普及し始める。
志岐間邸応接間に存在。
【1986年】菓子のおまけシール大流行
前年に発売されたロッテのビックリマンチョコ(ランダムでシールが封入されている)「悪魔VS天使」が児童の注目を集め、一世を風靡。
櫂利飛太がせんのやで集めていたのは《なめどりくじ》のシール。
……などなど。
※この先をお読みになられる場合は、最後までゲームをプレイしてから!
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ネタバレ【有】感想
タイトルの〈FILE23〉が「ナカゴシ案件のファイルNo.23」ということなら、もちろん他にも警視庁の心霊対策室(シンタイ)が携わった事件の記録が残っているわけで、ゲームがシリーズ化してくれるのであればそれらも見られるのかな、と思う。見たい。
23……はもしかして「東京23区」にもかけた数字なのだろうか?
各区それぞれで土地にまつわる妙な騒ぎが起こって、また異なる登場人物たちが活躍して、の一部始終が楽しめたら面白そう。今作からのゲストなら津詰警部(寒天みつ豆を食べたがる素振りを見せていたのたまらなくないですか……)や襟尾巡査部長は特に出てきてほしいような。
春恵&利飛太のスピンオフエピソードどこかで下さい。
警視庁幹部の志岐間氏は冷たい上に単身赴任であまり帰ってこないそうなので、もう2人して駄菓子店巡りの散歩なんかに出ていればいいし、なめどりシール発見や遊具で子どもみたいにはしゃぐ利飛太を眺め、春恵さんも穏やかに笑っていたら良いんじゃないかな~って勝手に思いますね。勝手に。
プレイヤーの立場が「何」で、その選択がゲームのシナリオにどう影響するのかは、確かに興家くんルート以前の口上からずっと小出しに示唆されてきた要素だった。
でも、最初に呪詛行使ボタンを押していないのに呪詛が行使された時は「弓岡さん殺したくないです! あの、 私は殺したくなかったんですけど! 興家くんが勝手に!」って内心で呟いてしまった。それからも〈置いてけ堀〉で誰かを屠るたび。
一方両国橋で、津詰警部視点で並垣と対峙したときにはかなり積極的に(画面の左上に表示されるたび)呪詛行使を押しまくっていたのでこの変わりようである。並垣くん、ごめんね。〈落葉なき椎〉の発動条件が明快かつ便利だったから……さ。
黒鈴ミヲさんの照れ笑いはあんまり愛らしかったので忘れられない。
このゲームのイラスト好きだな。
紹介文の「それぞれの想いをぶつけ合う」そのままが主軸になった話運び、描写の面でも人間の感情表現にとりわけ力が入っていた中で、ごく個人的に灯野あやめに対して異様なシンパシーを感じてしまったことは否めない。
どの家庭もそれぞれにワケありなのだとは思うが、頑なな隠蔽は時に罪と同じだ。「正直に話さない」理由がたとえ優しさでも。保護者が子どもに隠し立てをしたり、あまり目を掛けなかったりして距離が生まれれば子どもの側にはきちんと分かるし、それでどんどん孤独を深めていってしまうのも実感として理解できる。
〈津軽の太鼓〉はあやめの境遇にぴったりの呪詛珠。
しかも、いかなる状況でも絶対に自分の味方になってくれるのか、と父親の立場の人に問えば、「それは無理だ」と答えられるのだから苦しい。津詰の職業が他でもない「警察」であったのも、あまりに状況と相性が悪すぎた。家族がどんなに大切でも世の平和と社会的正義を優先しなければならない。彼は。
だからといって、灯野あやめが呪詛珠を持ちながらあんなに平然としていられるものか? と思う人もいるかもしれないけれど、人生に対する諦念が強すぎるだけで実はそれほど平然としてなどいないし、それだけ彼女はこの世界も己のことも好きではなく、だからこそ葛飾北斎とその作品のみを拠り所としていたわけで。
読んでいてあらゆる方面からつらかった。
作中終盤で本所七不思議の真相、伝承の根幹となる〈本所事変〉の詳細が明らかになるが、その資料説明で「(晴曼と蘆乃の)夜明けまで続いた壮絶な法術合戦は 知らぬものには不気味に乱れ飛ぶ鬼火の瞬きに見えたという」なる描写があって、私はその様子を見たかった。こういうの好きだよ。
ふたたび自分自身でもよく分からない萌えの話をすると、たとえば興家彰吾に憑りついた土御門晴曼と福永葉子に憑りついた蘆乃とで、最初のルートで言っていたようにモスコミュールでも飲みに行ってみてほしい、のだった。
なんか現代に蘇ったこの2人の会話をすごく聞きたい気持ちがある。
呪詛や法術バトルじゃなくて、お酒の飲み比べで勝負する分岐もあったら喜んで読んだ。いや本当に何の感想なんだろう……これ。
続編というかシリーズ化、期待します。
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