たとえ自分が頻繁に訪れたり、実際に暮らしたりしている馴染み深い街であっても、足を踏み入れたことのない領域は必ず存在している。
時には、いつもその「前」は通っているけれど入ってみたことはない道……というのがあるもの。振り返ってみれば思っていたよりも沢山。その通路の伸びる方向に顔を向ければ住宅ほか、建物が並んでいるのは見えるが、ほんの数十歩でも奥に行ってみた先で何が視界に飛び込んでくるのかは全然分からない場所。
案外、通勤通学で毎日のように歩く場所の方が、そういう領域は生まれやすいのかもしれないと思う。
例えば旅行で訪れた場所なら散策を楽しむのに、路地を端から端までくまなく回ってみる場合もあるだろう。普段の朝、目的地があって忙しい時などに、人はまずそんなことをしないから。
この路地のここの角で一度も曲がったことがないが、坂の先には絶対何か「ある」気がするし、確実に良いものが待っている。
……そういう予感に導かれて歩いていったら本当に「当たり」を引いたので、ああ曲がらなきゃ、と理由もなく直感したら、とりあえず角を曲がるべきなのかもしれない。深く考えるよりも先に。
今日は角を曲がった。大当たりだった。
けれど四辻にも三叉路にも魔が宿る。古今東西を問わずそう囁かれてきているから、用心に越したことはないのだろう。待ち受けているものはとても良いものかもしれないが、良いと同時に、危険なものかもしれない。町の魔。抜け出せなくなる魅力的な仕掛けがどこにでも。
出会ったのはもう営業されていない商店の建物だった。道路に面したファサードの上部が平たくなっていて、大きく店名が書いてある典型的な造り、これは誰が見てもそうと分かる「らしい」佇まい。
つやのある、たばこ小賣所と書かれたホーロー看板(琺瑯風の看板)。周辺は全体的にあまり古い建物が残っている場所ではないので、野生のものをこうして見られる機会は少なく、かなり珍しい。
赤い地に白い文字は、どこまでも強く鮮やかだ。経年で褪せた店名周辺の色合いと対比するとなお一層。捉えようによってはどこか、時代に対しても抵抗しているようだが、じっと観察を続けても特にそんなそぶりは見られない。ただ、静かに壁に打ち付けられている。
破れ、千々になって上から垂れる布かゴムの庇が前髪みたいだった。あるいはお祭りか何かの飾り。別のものだと、注連縄に取り付けられた紙垂とか。
たばこ小賣所というからにはどこかに商品を置いていたはずで、その痕跡は探すまでもなくすぐに見つけられた。この、城の守衛が待機できそうな形の縦に長いショーケース。陳列スペース。
これこそが商店の角に取り付けられた、たばこ販売所。
水色の板で覆われていても、かつてその裏側がガラス張りであったことには疑いがない。出掛けた先で発見するたびに、たとえようもない喜びを感じるこの構造物……検索するとアンティーク家具の一種として売られているのも見かける。いったい誰が初めに考えたのだろう。こんな風にして煙草を一カ所に並べて、その窓口に座った人間が、訪れた客に売る仕組みなんて。
心惹かれるのは形状ばかりではない。基盤となる下の方を覆っているのは正方形のタイルなのだ。装飾しようという意図の存在があったこと自体が、良い。
こういった販売所の数は近年劇的に減った。もはや、ここでの売買はおとぎ話に出てくる取引のよう。誤解しないでほしいのだが、私は別にそれを嘆こうというのではなくて、ただ往時の光景に思いを馳せるのが好きだからそうしているだけ。
たまに思う。むしろ、気を抜くといつの間にかなくなってしまいそうなものだから好きなのかもしれないと。
元ショーケースの横に自動販売機がある。肩幅が広く四角くて、硬そうだ。きっと思い切り体当たりしても動じない。
正面のアクリル板上の印刷がすっかり白くなり、薄くぼやけて、往時は簡単に視認できたはずの麒麟の姿は今にも雲の向こうに消えていきそうな風貌である。たぶん、理想的な君主の器となる人物はここにいなかったのだろう。
左側のボタンからビール、ビール、ビール、と6つ数え、2つ空白を開けて、いちばん右に息づいていたのはネッスルコーヒーだった。ネッスルコーヒー。
日本語での呼称が「ネスレ」に変化したのは一体いつ頃だったのか、ネスレ公式サイトの「よくある質問」を確認してみると1994(平成6)年とのこと。意外と最近なのだな、と思う。
使われていない自動販売機にお金を入れてボタンを押したくなったけれど、理性が正常に働いたのでそれはやめた。
かわりに頭の中でたくさん押した。100回くらい、押した。