古い時代の祭祀の痕跡。
なかでも、いわゆる「高台」に存在する遺構のことをなんとなく考えていた。元から自然の丘陵があって築かれたものもあれば、平地か斜面に土を盛って、人工の丘を形成してから作られたものもある。
どちらにせよ「周囲より一段階高い位置にあること」自体が、そこでは祭祀の場として重要な意味を持っていたと推察されるのだった。
“何かがいる場所というのはあるもんさ。「何か」は分からんけど。
あの屋敷がいつから建ってるのかは知らん。かなり古いということしか。よりによってあんな場所に。丘の真上に。”
(角川文庫「私の家では何も起こらない」(2022) 恩田陸 p.115)
先史時代からあるらしい丘の上に建つ、2階建ての館。この物語に登場した。
そこで、土地に蓄積された過去の全ての記憶がデジャ・ビュとして現れ、「幽霊」に似た姿で観測される現象。
聖地か墓地か不明だが、とにかく特別な場所だったのだろう、と作中で語られる丘の描写から私が連想したのは、先日訪れた青森県の小牧野遺跡だった。大規模な工事で作られた丘の上に、縄文時代の環状列石が残っている。
偶然にも小説の著者の恩田陸は青森生まれの作家である。
昔の遺跡は「そこに人がいた」ことを示唆する。
時間を超えて幾人もが訪れ、去り、私もまた丘を訪れて去った。それらの記憶はどこかに蓄積されている。あるいは丘の上のさらにその上、あまねく事物を俯瞰するように、何かがこちらを見ている。
向こうでは姿を見られることを忌避しながら、夜毎、斜面を徘徊して。
引用部分を除いて約500文字
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