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彷徨する自由帖

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刻んだ玉ねぎとひき肉を炒め、数種類の豆と一緒にトマトの汁で煮込み、甘辛いスパイスを加えた料理。傍らには必ずうす茶色の食パンがあった。

 

 

 

 

 神奈川県横浜市で生まれ育ち、中学までは公立の学校に通っていた。

 最近知ったことがある。実は2021年の春になるまで、横浜市内で完全給食を実施している公立中学校は、なんと1校も(!)なかったのだという。現在ではデリバリー式の給食提供も一部でされているようだが、なにしろもう10年以上前に卒業してしまったので詳細は知らない。

 例に漏れず、2008~2010年の3年間在籍していた私の母校でも中学校給食は存在していなかったから、校内で調理されたものをクラスの全員で食べる、いわゆる「給食らしい給食」の記憶を振り返ろうとすると、小学生時代にまで遡らなくてはいけない。

 

 通っていた公立小学校の廊下は、南のA校舎に桃色、北のB校舎には緑色の石のような硬い素材が敷かれ、真ん中から白い点線で分けられていた。右側通行、厳守のルール。

 昼食準備時間になると、そこを給食係の行列が行き交う。白い白衣に白い帽子、白い布マスクに身を包んだ配膳者の生徒一団が、教室と調理室のあいだを黙ってスルスル移動するさまは、どこか儀式じみて妖しくもあった。

 今になってみると結構あぶない作業をさせられていたものだな、とも思う。必ず2人1組になって、相当に熱い汁物の入った金属の鍋や、焼きたての魚が並んだ蓋つきのバットを運搬していた。重たいし、階段を上り下りする際にはペアの相手と息を合わせる必要がある。不意に手元が狂うか、運が悪ければ火傷や打撲になるだろう。

 だから、細心の注意を必要とする給食運びと配膳の際に「おふざけ」とか「無用のおしゃべり」などは厳禁で、普段はどんなお調子者であったとしても同じく、粛然と廊下を通行していたのだった。

 

 小学校高学年に至るまで、給食は苦手だったのをおぼえている。

 まず食べるのが遅く、当時は小食でもあったため「完食するまで席を立てない制限(という、不可解なもの)」をかけられると、お昼の休憩時間がことごとくつぶれてしまった。他にやりたいこともあったし、昼食の席にずっと残されているのはなんだか見せしめのようで、他にも残されている子が多くいたけれど、終始もやもやとした気分だった。

 それから食わず嫌いとはまた違うような気がするが、外食を除いて家の人間以外が作り、しかも他の生徒が給仕したものをすすんで口に入れる習慣がなく、おそらくその形式に慣れるのにも数年を要したのだと思う。定期的に献立表に載る品目を記憶する頃には、少ないながらもいくつか、好きになれた料理も増えていた。

 なかでも印象に残っているのが「チリコンカン」というもので、母校のメニューには「チリコンカーン」と表記されていた。

 

 その源流を辿ればメキシコに至ると推測される、現在はアメリカのテキサス州でよく食されている料理、チリコンカン。主に豆とひき肉とトマトで構成された、夏に食べても冬に食べても箸が……いいや、この場合は「匙」がすすむ、給食で出てくると嬉しい品目だった。

 煮込まれた白と赤茶、2種類の豆にはトマトの汁が染み込み絡んでいて、よく噛むほどに口の中で潰れ、最後にはなめらかになるのが堪らない。おそらくは裏に隠れているのであろう、細かく刻まれてしっかり炒められた、にんにくと甘い玉ねぎの風味もきちんとある。ひき肉の質量がそこに確かな満足感を加えていた。

 また適度な粘性。あまりサラッとしていてもいけないし、極端に固まっているとそれはそれで重たすぎる。母校の給食で提供されていたチリコンカンは、スプーンですくうのに不便を感じないくらいの、中間のとろみ。

 何よりその名前にも冠している、いわゆるチリパウダーと呼ばれる類のスパイスの数々が味の決め手だった。

 もちろん小学生のための給食なので辛さというのは控えめだけれど、確かに食欲を増進される意味で、刺激的。強く元の食材の味を覆ってしまうのではなく、どこか舌が感じる奥行きを作るような効果(と、表現してもよいだろうか)があって、年月が経って振り返ると、なおさら香辛料は偉大だと納得させられた。

 

 そして忘れてはならないのが、食パンのことだ。

 小学校の給食の献立表にチリコンカンが掲載されるとき、それは必ず食パンと共にあった。白いものではなく、全粒粉を用いたうす茶色のもの。ゆえに、通常であればトルティーヤや三角のチップスが連想されるであろうチリコンカンという料理を私が脳裏に浮かべる際は、どうしてもあのほんのり甘く、小麦の香ばしい味がする、平たいパンの手触りが同時に蘇ってくる気がする。

 給食の食パンは透明な袋に入れられていた。「いただきます」を唱えて指でそれをつまみ開けた瞬間の匂い、わずかに湿っていて、お盆の上に並んだ器から立ちのぼる湯気と混じり合う、あの感じをはっきりと記憶している。

 年季の入った木の机、細かい傷のあるプラスチックと軽い金属のお皿、青いお花が印刷されたタカナシ3.5牛乳の紙パック……。

 うわばきに包まれた自分の足が見える。制服はなく、私服で通う小学校だった。私はそこまで動き回る方ではなかったのに「動きやすい服」が好きだと事あるごとに口にして、長ズボンばかりを穿いていた。今とは大違いだ。精神の根幹はそれほど変化していなくても、装いの趣味に関しては大きく変わったのだろう。

 閑話休題。

 

 普段好んで食べているものの幅はそこまで狭くないが、別に広くもないので、学校給食の存在が無ければおそらく出会わなかったであろうチリコンカン。その料理と自分との縁を決定的にしたのが、しばらく暮らしていたロンドン市内の、スーパーマーケットでの邂逅だった。

 英国内にある各種のスーパー、TescoやSainsbury’sやらWaitroseだとか……それぞれの特色もどこで何が売っているのかもよく分からなかった頃、売り場をうろついていたらある一角で「チリコンカンの素」を見つけた。そう、チリコンカンの素、である。余談だが、英語でのchilli con carneの発音はチリ、コン、カーニー、に近い。

 商品の形態としてはスパイス類の粉末で、要するに自分で具材を炒めて煮込む際、これを混ぜ込むと簡単にチリコンカンの味になる、という非常にありがたいもの。家で作るとなるとチリ、クミン、コリアンダー、シナモン、パプリカパウダー他、いろいろなスパイスの配合を考えなくてはならず、具体的に好みの味というのが想定できるのなら良いのだろうが、料理の得意ではない私にはちょっと難しい。

 この便利な存在のおかげで、チリコンカンは現地滞在中、最低でも2週間に1度は作る品目に躍り出た。当時どういうものを作って食べていたのかと聞かれたら、ラタトゥイユと並んで、これの名前が挙がることになる。

 キドニービーンズの缶を買ってきて、大量に煮込んで作り置いていた。一度にたくさん調理して保存できるのが楽で、とっても助かった。

 

 前述したように、もともと給食自体そこまで好きというわけでもなかったから、給食を通して知った特定の食べ物が、自分の中でわりと重要な地位を占めている状況は興味深いものである。給食が繋いだ縁、と、言ってもいい。

 私の好きだった、給食メニュー。チリコンカン。

 最近、必要なスパイス類をいくつか買ってきた。「チリコンカンの素」も未だに愛しているけれど、今度は自分なりの味付けも模索してみたくなったので。

 

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2022/07/28 追記:

結果発表があり、優秀賞の10作品に選んでいただけました。ありがとうございます!

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