可能なら、死ぬまでにはもう一度会いたい、と願う存在がいる(どうしてだろう)。
そのためには一日ごと、ひとつでも小さな何かを実行して積み重ねる必要があり、達成した分だけ対象への距離を縮められるみたいだった。だから日常的に取り組んでいるあらゆる物事は、どんな些細なものであれ自動的に会いたい存在への布石に変わるらしい。
これについて語るとロマンティストに分類されてしまうのだが、私は別に夢想家ではないし、空想の話をしているわけでもない。
現実の世界で過去、まぎれもなく実際に体験したことと、これから先、現実で実際に起こることの話をしているだけ。
他に陸の影などひとつも見えない沖で、摩訶不思議な島を見た。
航海の最中、驚くほど大きな魚に飲み込まれて、けれども帰還できた。
日頃から正直にそう語っているのに、誰にも信じてもらえない旅人の気持ちで歩いているような気がする。もちろん信じてくれと特段願っているわけでもないが、これは空想ではなくて現実の過去の話なのだと、受け入れてもらえた方が過ごしやすくはある。
だって全部本当なのだもの。
不可思議なこと、夢物語のようなことというのは現実に(それも以外に高い頻度で)起きる。妙な土地で思いもかけない人間に出会う。ただ生きて、ごく普通に過ごしているだけで、なぜか……。
想像や夢想というよりも過去、本当に自己の身に起こったことを常時振り返っているので、どれほど突拍子のない妄想に聞こえてもそれは「回想」なのだった。
だから愛したものは忘れないように、また、いつかは忘れるために、記録したい。そうせずには息をしていられないのだし、何かを残すのであれば、できるだけ明確な意志を持って行いたい。
すると今度は理想主義だと言われてしまうのだが、そちらはあながち間違ってはいないだろう。
とにかく重要なのは、私は基本的に「現実」の話しかしていないということ。実際の経験に基づいて、自分の真実を話しているだけ。だからあんまり夢想や空想に比重を置いていると判断されても困ってしまう。
文字通り、血液が沸騰するような感覚を呼び起こす存在と再び邂逅したい。もう一度。
しかし今そういうものを思い出したら次こそ魂が燃え尽きそうな、いや、むしろ生きてこれを燃やし尽くさなければ、何もかも嘘では? という諸々の間で常に心が揺れ動いている。
せっかく見つけた安心の部屋からまた外に出るのは怖い。やっと静かな場所の物陰に心を設置し、周りにはいい感じの草花とかも植えたのだから、もう動かしたくないし何にも動かされたくない……と頭を抱える羽目になる。
どれも本音で、胸の内の「自分」は一人しかいないわけじゃない。これこそが全ての苦悩の元凶。
そうして不思議なことは必ず起こる。私がロマンティシズムになど傾倒していなくても、選ばなくても、勝手に。無慈悲に。
望むと望まざるとにかかわらず。