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彷徨する自由帖

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日帰り滋賀県・近江八幡散策(2) レンガ塀の住宅街と趣深い洋風建築 - ヴォーリズ(一柳米来留)という人物の軌跡

 

 

 

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 前回の記事の続きです。

 

参考サイト:

(一社)近江八幡観光物産協会 

一粒社ヴォーリズ建築事務所

 

W・M・ヴォーリズと彼の設計した邸宅群

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 明治38年、24歳の頃に来日してから近江八幡に居を構え、生涯を通して建築家や伝道者として熱心に活動した人物——ウィリアム・メレル・ヴォーリズ。

 彼の自邸は現在、ヴォーリズ記念館として予約制で公開されている。電話での予約のみ受け付けがされており、弾丸旅行では内部を見学するのが難しいのだが、外観だけは自由に眺めることができるので周囲をぐるぐると気の済むまで回った。煙突の上のアーチが気になる。

 建物は昭和6年の竣工で、門扉の脇の柱のところには「一柳」と表札が出ているのがわかる。

 これはヴォーリズと大正8年に結婚した夫人、子爵令嬢であった一柳満喜子氏の姓であり、後に日本国籍を取得するにあたってヴォーリズ自身が名乗った「一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)」に由来するものだ。かつて米国から来てここに留まる、そんな字義と元のミドルネームの音(Merrell)を組み合わせた洒脱な名前だ。

 

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 彼はもとより建築家を志していて、日本でも数多くの施設や邸宅の設計(その数なんと一千を超える)を手掛けたが、何より心血を注いだのはキリスト教の伝道活動だった。

 はじめは滋賀県立商業学校(現在の八幡商業高等学校)で英語教師として教鞭をとり、その傍ら、放課後に聖書のクラスを設けるなどして多くの生徒を信仰の道へと導いたほか、1907年には近江ミッションを創設。

 このあと一度アメリカに帰国しているのは、仏教色の強かった地域との不和があり、教職の契約更新がされなかったためだと言われている。

 やがて再来日してから建築事務所を立ち上げ、知人の建築技師レスター・チェーピンや、教え子の吉田悦蔵とともにヴォーリズ合名会社(後に近江兄弟社メンタームへと発展する、近江セールズ株式会社の前身)も設立したが、全ての活動を通して己の利益ではなく社会貢献とキリスト教の伝道を念頭に置いていた。

 

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 上2枚の写真は、明治時代に建てられたYMCA会館を昭和10年に移築してアンドリュース記念館としたもの。そして下1枚は通りを挟んだその向かいの地塩寮になる。

 アンドリュース記念館は当初、ヴォーリズの学生時代の親友、ハーバード・アンドリュース氏を記念してその名前を冠したキリスト教青年会館だった。移築に際して古い資材をそのまま用い、面積を同じにして、ヴォーリズが使っていた書斎や小部屋もそのまま残してあるそうだ。

 地塩寮に関してはヴォーリズ本人ではなく、彼の建築事務所に所属していた西井一郎氏が設計を担当している。近江兄弟社の独身寮として昭和15年に竣工、その後民間に売却され、昭和59年に日本キリスト教団近江八幡教会が買い取り、改築。

 公開日はなく、内部を見学することはできないので、外から建物が経てきた年月に思いを馳せるにとどめる。これまで沢山の人達が暮らし、そして現在も様々な活動が営まれている場所だった。

 

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 ヴォーリズの展開した社会事業は多岐に渡る。

 メアリー・ツッカー女史の寄付を受けて大正7年に近江サナトリウム(今のヴォーリズ記念病院)を建てたり、大正11年には伴侶である満喜子夫人とともにヴォーリズ学園を設立したりと、支援者に事欠かなかったのは、ひとえに彼の人柄と伝道への熱意ゆえだったことだろう。

 近江八幡の池田町と呼ばれる区域にはヴォーリズの手がけた邸宅が未だに残っており、上の写真のウォーターハウス記念館や、吉田悦蔵邸もそのうちに含まれる。

 ウォーターハウス氏はヴォーリズを師と仰ぎ、近江ミッションの一員として活動していた一人だった。大正2年に建てられ、現在は記念館となっているその家は木造3階建て、コロニアル様式を採用しており、壁に張りつくようにして設置された煙突が遠くからでも目立つ。

 すぐそばに残るのはともに合名会社を設立した教え子、吉田悦蔵氏の邸宅。これもウォーターハウス邸と同年の竣工だが、こちらはだいぶ趣が異なる。ざらついた壁の質感と色が魅力的。現在も、一般の住民の方がここで生活をされているとのことだった。

 

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 レンガの塀を辿って行くと現れるのが、ダブルハウス。大正9~10年に建てられた二世帯住宅で、かつては近江ミッションのスタッフが利用するための住宅であった。こちらも現役の住居だ。

 不揃いな感じのごつごつとしたレンガは、重厚感や威圧感よりも温かみを感じさせる。思わず触れてみたくなるくらいに。調べると、これは焼き過ぎた膨張レンガを使用している故の外観なのだという。ヴォーリズの作品、特に旧八幡郵便局などの公共施設とはまた違った邸宅の佇まいは、同時代のどの建物とも異なっている。

 決して主張が強いわけではなくとも特徴が滲み出ているような、素朴で親しみやすい感じが設計者本人の意図を反映しているのだろう。

 ウィリアム・メレル・ヴォーリズは昭和39年に近江八幡でその生涯を閉じた。満喜子夫人はその5年後に亡くなり、両者はともに、また他の社員の多くと一緒に、近江兄弟社霊園である恒春園に眠っている。

 

 近江八幡の散策記録は次の記事に続きます。