江崎グリコ株式会社から販売されている、「カフェゼリー」という商品名のコーヒーゼリー。
昭和54(1979)年にはじめて登場し、その後2015年にリニューアルされてからも生産が続いている、40年以上のロングセラーらしい。私は偶然にも冷蔵庫を覗いたらこれを見つけただけで、詳細はきちんと調べてみるまで知らなかった。
ワイングラスのようにきゅっと細くくびれた容器の部分、そこにクリームがセットされているのが外観の大きな特徴になる。
初夏の夜に食べるコーヒーゼリーはとりわけ美味しい。つめたくて、軽やかで。
グリコのカフェゼリーに限らず、大抵はプラスチックの容器に込めて売られているコーヒーゼリーの類は、これまたよくあるプラスチックの小さなスプーンで食べるのが最も正しい方法のような気がする。台所を物色すれば、今までに集めたものが1本とはいわず出てくるだろう。
けれど私は普段、グレープフルーツスプーンという、ふちの輪郭がのこぎりを思わせる形状のスプーンを使う。どうしてなのかは全く分からないのだが、とにかく家には沢山これがあるのだ。
グレープフルーツスプーンでコーヒーゼリーをすくう(いや、削る?)と、すてきな効果がゼリーの表面にあらわれることに、ある日気がついた。
石をのみで削り出した痕跡にも似た、細かな波状の凹凸の溝がクリームをそこにとどめる。平坦なままでは表面からはじかれ、滑ってしまうであろう分も。心なしかゼリーの口当たりもやさしく、例えるならば、やすりをかける前とかけた後くらいに変化する。
それが単純にいいな、と思う。ほんの100gぽっちのデザートをすべて賞味してしまうまでのあいだ、いつもより少しだけ、何かおもしろいことを考えていられるようになる。
このカフェゼリーは容器もすぐれている。皿の半分を帯のように一周する、カットガラス風の稜角が滑り止めになって持ちやすいだけでなく、見た目にも楽しい。あってもなくてもいいけれど、明らかにあったほうがいいものの典型だ。
平筆で塗ったような黄土色のロゴ、「ゼ」の濁点の菱形ふたつが奇妙な郷愁を誘う。
この容器を深更の、冷蔵庫の立てる寝息しか聴こえない台所できれいに洗い、乾かして部屋に置く。幾度となく手に取って眺める。そこに土を詰めて草を植えるとか、あるいはビー玉なり貝殻なりを入れておくとか、いろいろなことを適当に想像しながら。
想像だけしてあえて実行に移さない自由は、とても稀有で、守られるべき贅沢だと思う。おそらくそれはいつの時代の、どんな場所であったとしても、往々にして軽んじられてしまう性質のものなのだけれど。
私はその自由を失くさないように、誰にも壊されないようにしまっておく。空の、半透明のプラスチック容器が棚に落としている影の、内側にそっと。