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※以下は作品の内容や詳細に言及しているネタバレありのメモです。
鑑賞メモ(1回目)
ある日、友人からLINEによる長文のメッセージが送られてきた。
内容を要約すれば、アニメ「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」を視聴しなさい、という勧誘に尽きる。私はそれから監督の古川知宏氏を調べて知った、幾原邦彦作品との関係にがぜん興味を惹かれて、地上波版全12話を一気に見た。
続けて再生産総集編のロンド・ロンド・ロンドも。
もともと原作ミュージカルの舞台に立っていた俳優が各キャラクターの声優を担当していることもあってか、信頼のおける歌と楽曲はもちろん、アニメーションならではの演出も楽しめた。
今回の劇場版は総集編ロロロの正統な続編で、本編でもう少しこういう所を掘り下げてほしかったなー、と観客としてぼんやり思っていた部分にきちんと言及してくれた印象がある。そんな風に感じたのは前に《劇場版 遊☆戯☆王DSOD(2016)》を鑑賞して以来。
メインの9人が皆それぞれに好きなのは大前提として、個人的にいちばん心を寄せているのは天堂真矢なので、この鑑賞メモは彼女に対するコメントが中心です。
ところで最初のトマトがブシャァ……ッと潰される場面、むしろ私の肝が潰された。
いつも観客としてお芝居を見ている側からしても、役者と、演じること自体の関係はおもしろい。一体どこからどこまでが演技なのか。どこまでの要素がシナリオに沿っていて、どこにアドリブが加えられたのか。あるいはそれすら計算されていた範囲の出来事なのかと、常に考えさせられる。
私たちはもう舞台の上。
上映中に繰り返されるこの言葉が作品を貫いているようで。演じるために生きるというよりか、もはや演じるように生きる行為への覚悟、だからこそ彼らにとっては人生そのものが舞台の演目なのだとも捉えられる。
劇場版スタァライトでは特に、3年に進級したメインキャラクターたちが聖翔音楽学園を卒業してどうするのかが、総集編を経ても解決されなかった各々の問題や課題に絡めて語られるのが嬉しい。
愛も 自由も 敗者の戯れ言
—— 天堂真矢
特に天堂真矢と西條クロディーヌの精神的な繋がりは、地上波とロロロでの描写がぜんぜん物足りない! と身勝手にも思っていたため、劇場版での掘り下げが実に良かった。
2人のレヴュー場面はまさにファウスト博士と悪魔メフィストーフェレス(ゲーテの戯曲で有名な組み合わせ)を模したもの。もしもその琴線を震わせることができたら、かわりに魂をもらう、という例の契約はとても彼女たちらしい。
元の戯曲では博士の魂を少女グレートヒェンが救ったが、真矢とクロディーヌは離れず、共に堕ちていく存在となる。
また、優れた役者が「空の器」であると称されたのには納得する。そこに絵画を引き立たせる役目を担う道具、無数の額縁が画面を舞うヴィジュアルにも説得力があって。
徹底的に自我を廃し、演じる登場人物の特徴を反映する雑味なき装置として働くのが名俳優だとして、真矢は決してそうではないとクロディーヌは追求するのだ。お前は胸の内に強い欲望を持ち、時には迷いもする、ひとりの人間なのだと。
舞台に生きる互いが互いをどんな形で必要としているのかが、いっそう丁寧に描かれていた。これは歌も映像も劇場で鑑賞(監督いわく、どちらかというと観劇体験だそうだ)するのが最適解だったしもういちど見に行きたい。
魂のレヴュー直前、どうぶつ将棋でひよこが可哀そうだと言って負ける真矢様、ほんとうに可愛いですね。
鑑賞後は一連の監督のインタビューを読みながら、劇中で示唆される「舞台少女の死」が意味しているものの範囲にいろいろ思いを馳せた。
それは本編のオーディションにおいてキラめきを奪われるのにも似ているようで異なる気がする。そもそも演技ができなくなることか、演技の先に何も見出せなくなり、演じる動機を失ってしまうことか。
終盤、華恋の口から零れたあの台詞を聞けたことで、彼女がいままで主張していた「ひかりちゃんと2人でスタァになる」という言葉への、もやもやして不完全燃焼な感じがなくなった。個人的にずっと納得できていなかったので。
劇場版できちんとその先の答えが提示されている。
君たちはこの期に及んでまだ続けるのかとツッコみたくなる香子と双葉も、役者として想像以上に成長したまひるも、自らの言葉を掴んだ純那とそれを目の当たりにした大場ななも……。
あの、唐突にアルチンボルドの油彩画みたいな(元の絵を知らない人がいたらぜひ調べてみて欲しい)野菜の塊に変貌するキリン、スクリーンに出てきたとき正直かなり興奮したし笑った。
ちなみに来場者特典のミニ色紙(第2弾)で引いたのは……
なんと真矢様でした。やったぁ!
鑑賞メモ(2回目)
楽しい体験だったのでもういちど映画館に足を運んでしまった。
公開3週目ということで、特典配布のスタッフ本をもらう。表紙と裏表紙が作中に出てくるスタァライトのポスターそのままなのが良い。ごく小さく"Japanese Directed by Yuichiro Tendo"とある方は、天堂家の関係者なのでしょうかね。
同一の作品でも、2回目の鑑賞だとまた違った印象になる。きっと気持ちに余裕がある分、はじめは注意を向けられなかった台詞や演出にも意識を割けるからだろう。
序盤の、銀座の服部時計店(和光本店)前の交差点で佇んでいるキリンの絵面とか……。中の人が津田健次郎さんだからか、これDSODの海馬瀬人じゃん! って思ってしまった。止まっている車が何台かつかえているのもじわじわくる。はやくどいてあげて。
双葉と香子のレヴューは特にそうなのだけれど、あの「私は一体何を見せられているんだ感」が結構好き。清水からデコトラごと飛び降りるとか。アニメ本編でもオーディションの私物化だなんて突っ込まれていて、それでも観客の前でああして展開されている以上、それはれっきとした舞台。
そこにも関連して、露崎まひるがひかりに対して言う「舞台の上なのにどうして演技しないの?」は沁みる。まひる本人は自分の実力に対してまだまだだと評しているけれど、その精神性こそがもう立派な役者で。
なんだかんだ、新国立第一歌劇団での活躍を一番見てみたいのは彼女かもしれない。
また、星見純那と大場ななの「狩りのレヴュー」は曲のタイトルが「ペン:力:刀」なのが良い。おそらくはいわゆる「ペンは剣よりも強し」という格言の変形で、ペンと刀(剣)の力関係が「~よりも」ではなく、「:」で繋がっていることで等価になっている。
今までぐずぐずと燻っていた純那に対して大場さんがかける言葉の数々は、あれだけ理想の眩しい舞台を追い求めて何度も再演を繰り返していた彼女には、そのまま特大ブーメランとして返ってくるものだと思う。
そんな二人の最終的な進路選択がエンドロールで見られて感動だった。イギリスとアメリカ、という二国に別れて行ったところも個人的にかなり胸が熱い。
真矢様とクロちゃんに関しては1回目の鑑賞メモで喋った分を割愛。レヴューでの演技、通常時と声の色が全然違うのが本当にすごいし何度浴びても楽しめる。曲「美しき人 或いは其れは」の中に、あの「誇りと驕り」のメロディーが組み込まれているのも……。
そしてやっぱり、最後、この台詞を聞けてよかった。
ひかりに負けたくない
—— 愛城華恋
炎で手紙が燃やされるシーンも。
劇中歌アルバムVol.1は2021年7月下旬に発売の様子、はやく通して聴きたい。