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彷徨する自由帖

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井の頭恩賜公園さんぽ:昭和レトロな趣の連れ込み宿「旅荘 和歌水」の建物内部にいつか入ってみたい

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 この「井の頭恩賜公園」の名前を聞いてまっさきに思い浮かべる事柄といえば、なんといっても1994年(私の生まれる1年前)に発生した、奇怪極まるバラバラ殺人事件にほかならない。

 意図的なものを感じさせる遺体の切断状況、処理のされ方、それから結局は時効を迎えたこと……どの要素をとっても「悪夢的」としか表現できない類の未解決事件。

 夏、涼しげな碧い池のふちに立って考える。

 視界の風景に重なるのは、月光の下でびっしりと絡まる藻が毛糸やみみずのようにズルズルと蠢いて、蒼褪めた人間をゆっくりと分解しながら水底に沈めていく幻想。また夜が明けてから、何も知らない訪問客がスワンボートのペダルを漕いで、その上を行くのだ。

 きっと陽の光はきらきらと眩しい。

 

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 ……いや最悪、最悪。そもそも実際の事件で遺体が遺棄されていたのは公園のゴミ箱であって、井の頭池とはまったく関係がない。一体、何をどうしたら藻が人を絡め取るというのだろうか? たんぱく質を養分にでもするつもりで?

 そんな妄想をしてしまうのは、日頃から、いわゆる物語や絵画の世界に浸りすぎた弊害なのかもしれない。むしろそちらが現実で、いま見たり感じたりしているものの方がその焼き直しなのだと言われても、心から信じられるくらいだ。

 ちなみに、今はトマス・ハリスの小説《カリ・モーラ》を読んでいる(これ自体にはそこまでサイコ・スリラーの趣はない)。朝から通勤電車で摂取するにはいささか重たい血肉の描写が際立つが、それなりに面白いし、主人公のカリはとても魅力的な女性だ。同じ年齢であるとはとても思えない。

 しかしそんなことは本当にどうでもいいのである。

 

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 上の写真を見てほしい。井の頭公園の北、吉祥寺駅方面に続く大きめの道に出るあたりで、私はこの魅力的な建物《旅荘 和歌水》に遭遇した。

 ただ前を通っただけなのに、一目で陥落してしまったのだ。

 左端の方に少しだけ写っている鮮やかな青緑の壁。そこが入り口で、近くの壁には笹の紋章のような銅板が取り付けてあった。外に掲示してある扇形の「御休憩」「御宿泊」の案内から察するに、いわゆる連れ込み宿、ラブホテル的な施設なのだろう。

 くすんだ黄緑色の塀と奥まった部分に顔を覗かせる水色、コバルトの瓦、爽やかな彩りが水辺の雰囲気を演出していて良い。何歩か引いた場所から全体を眺めてみれば、路に面した部分は和風の構えで、客室が並んでいるのだろう背後の四角い部分は、ファンライトつきの窓も含めて洋風の趣がある。

 当時は立ち寄る時間も無かったけれど、いつかはここに入ってみたい。

 そう渇望しつつweb検索をすれば、やはり同じように魅力を感じた人達の訪問記事がぽつぽつと見つかる。内部の写真を見ているだけでも楽しいし、ますます興味が募った。

 

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 井の頭公園の隣には自然文化園といって、魚や動物などを観察できる場所もある。そこに柔らかな数羽のあひるがいた。両手でそっと包み込んだら丁度良さそうな白いレモンの形をして。お風呂場にあるゴムの玩具みたいな橙色のくちばしに、脚と水かき。

 ちなみに、フランス出身の作家、ジュール・ルナールが著した素敵な《博物誌》の中で、あひるはこんな風に表現されている。

 

しまったドアの前で、二羽とも眠っている、からだをくっつけ合わせ、地べたにぺしゃりとなって、まるで、病人の見舞いにきたとなりの女の木靴がならんでいるように。

 

(岩波文庫「博物誌」(1998) 著:ジュール・ルナール / 訳:辻昶 p.29)

 

 ああ、まさに! 誰かが脱いでから並べて置かれた木靴とは、なんと的確な表現だろう。私は初めて読んだとき深く感銘を受けたのを憶えている。確かに、地面に座ったあひるの印象そのままではないか。

 彼のような観察眼と表現力を培うことができれば、物事の描写はさぞ楽しかろう、と憧れる。しかし、修行してどうにかなるようなものではない気もするのだ。

 

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 そんなことを考えながら友人と一緒にこのあたりで食事をしたのも、かなり前の出来事になってしまった。

 もはや最近の記事の恒例と化しているが、ふたたび気兼ねなく誰かと外出のできる日が訪れることを願って、筆を置く。