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彷徨する自由帖

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酒入りの洋菓子、あるいはキス / 気難しい相棒としての万年筆

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はてなブログ 今週のお題「雨の日の過ごし方」

 

 雨は地面に潤いをもたらすかたわら、私からは色々なものを奪っていくようだ。外出先で突然降られた時などは特に。冷たい水滴が叩く頭髪や顔、徐々に湿って重たくなる上着……そうして増えた質量のぶんだけ、体温と一緒に何かが失われていく気がしてならない。

 たとえ朝からずっと家にいたとしても、起きて壁や窓ごしに雨音が聴こえればこれによく似た感覚をおぼえる。

 でも実際に外で降られてしまった雨と異なるのは、単純に奪われているというよりか、静かになわばりを侵略されているような印象が強いことだ。私は、部屋で籠城する。

 

 脳裏に浮かぶのはギリシア神話の王女・ダナエ。

 予言を恐れた父王により幽閉されていたダナエを見初めた全能の神・ゼウスは、黄金の雨に姿を変えて牢に忍び込み、彼女の身体に降り注ぐことで性交に及ぶという離れ業をやってのけた。

 その逸話が記憶に残っているからだろうか。

 私にとって雨はいつでも用心すべき対象で、うっかり気を抜いていると、人間からあらゆるものを奪っていくのだと感じられて落ち着かない。

 

 だから、できるだけ雨から遠ざかろうとするのである。物理的にも、精神的にも。

 

 

雨粒から意識を逸らすためにすること

1. 感覚を適切にしびれさせる

 必要なのは、酒入りの洋菓子、あるいはキスのようなもの。

 

 私には飲酒の習慣がない。

 その代わりといってはおかしいが、酒類の使われた洋菓子をよく食べる。サヴァランや、ティラミス。定番のボンボン・ド・ショコラ。ブランデーの染みたスポンジ。あとは昔、バクラヴァにシルバー・ラムをこれでもかと吸わせてから齧るなんて、冒涜的な行いをしたこともある。

 いずれも美味なものだった。

 

 そういったアルコールに自分が求めているのは、口腔や喉を適度に焼くだけの熱さであって、別に酩酊ではないのだと思う。

 普段から、生姜の風味がとりわけ強いジンジャーエールやスパイスの効いたカレー、とうがらし梅茶(これは知らない読者の方々も多いかもしれない)などを愛好している部分にも、それが表れている気がする。

 単純に「酔い」の感覚だけであれば、どちらかというと酒精よりも、言葉や音楽によるものの方が好きだ。それも下手を打つと、何日も別の世界から帰ってこられなくなるくらいに強力なもの……。

 閑話休題。

 

 空模様の芳しくない日は特に、唇や舌へと作用する適切な刺激物を欲している。窓の外から、絶え間なくこちらの意識への侵入を試みている、雨の気配を頭から締め出すために。それでよく、酒入りの菓子類を部屋で黙って食べている。

 口がしびれるような感覚が脳に伝わるのは心地が良い。

 キスにとてもよく似ている。

 

 両者の唇は乾いているのも不便だが、あまり極端に濡れていても、無為につるつる滑ってしまってどこか味気ない。触れ合わせるのに適切な湿度とは、果たしてどれほどのものなのだろうか。未だに正解を知らない。

 そっと舌を伸ばして、かすかにざらついた相手の粘膜の表面を探し当てるとき。これがたぶん、菓子類の風味の中にアルコールを見出す瞬間と重なる。

 あんまり長く続けていると本当に何の感覚もなくなってしまうから、そうなる前にほどほどで切り上げるのが理想的だが、けっこう難しい。実際にそんなことを危惧しながら誰かと触れ合っていたのも、もう相当前の話だ。

 

 菓子類は甘い。合法的に、一部の感覚を麻痺させる。意識は灰色の雨雲に覆えないほど遠くの領域へと勝手に旅立つ。

 外で降っている雨粒はそこに辿り着けなくて、やがては諦めてくれる。思考に入り込んでいたずらに頭をかきまわすのを。私はおやつに付随してきた酒精のしびれと追憶に引き続き浸って、もう少し、深いところまで降りてみることにする。

 エウリュディケを連れ戻すため、地中の冥府へと下ったオルフェウスみたいに。

 違うのは、私は初めから別に、そこから誰も連れ戻す気などないのだという部分だ。

 

 

 

 

2. 追憶に漂った後は没頭する

 必要なのは、少しばかり気難しい相棒としての万年筆。

 

 雨の日におやつを与えたあとの頭はいつもより回る。そうして深く何かを考えていると、過程や結果を書き残しておきたくなるものだ。できるだけ細かに。私はこの記事の下書きをするのに、普段から使っているペンとノートを出してきた。

 紙の表紙は想像通りにうっすら湿気を含んでいて、例年よりも早いと予想されている、間近な今年の梅雨入りを思う。

 

 万年筆は使うほど手になじむとよく言われるが、私の実感としてはその反対で、いつも徹底的に「自分の手の側が万年筆に合わせている」のだと捉えている。

 まるで、非常に有能だけれど繊細で気難しい相棒と一緒に仕事をしているような。相手に対して、ねぇもう少しこんな風には動けないかな……と無理に促せば、容赦ない反発をくらうというわけ。

 

 たとえば、私は長らく鉛筆(しかも4H~2Hという硬さのもの)を好んで用いていた人間なので、その癖が完全に抜けきっておらず、つい筆記具の軸を垂直に立てて紙を削るように文字を刻む動きをしがちだ。たまにうっかり回転させそうにもなってしまう。

 万年筆はそれを最も嫌う。持ち方が適切ではない、と即座に指先へ訴えてきて、あまり乱暴な雇い主は好かれませんよと鋭く小言を呈してくる。

 そこで私が筆記の姿勢を改め、斜め45度を保ったままペン先を滑らせるように文字を綴ると、彼(一番よく使う万年筆はどこか男性的な感じがするのでこう呼ぶ)は得意げに、滑らかなインク運びと色の濃淡で満足を示してくるのだ。

 

 どうです、私の助言を聞き入れれば万事がうまくいくでしょう。

 ……そんな声がどこからか聴こえてくるようでおかしい。

 

 実際、きちんとした持ち方で万年筆を使うと手に不必要な力を込めずに済むし、中指のペンだこをぎゅっと圧迫する瞬間が減るから、相棒がこちらの負担を肩代わりしてくれているようで気分がいい。きっと優秀なサイドキックを従えた主人や探偵も、こんな感情を抱くことがしばしばあるのではないだろうか。

 今日も「彼」は、カフリンクスを思わせる金色の円いパーツをキャップのてっぺんに頂いて、仕事の際はいつでもお呼びくださいとばかりに、筆箱の隅で待機している。

 

ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー

 

 思考と筆記に没頭して、切れそうなインクを補充するときに当然ながら指先を汚した。皮膚の表面に滲んだものは拭きとって、爪の狭い隙間に入り込んでしまった青紫色の方は、入浴時にお湯で落とすのがいいだろう。

 ふと、あえて窓の外へ意識を向ける。

 天上から降り続いている雨ではこのインクは落とせまい、と。たとえそれが、容赦なくあらゆるものを奪う性質を持っているのだとしても、手に染みついた痕跡を落とすのにはきっと足りない。

 

 たとえ文章を綴る、執筆という行為が一般的な意味の、肉体的な暴力から遠く隔たっていようとも、この手をまったく汚さずに何かを書き表せるなどというのは傲慢なのだ。無意識に、あるいは意識的に観察の結果から切り取ったものを晒す、想像以上の危うさを考える。

 あるいは手入れの際にそういうことを教えてくれるのも、万年筆の持つ興味深い一面であるのかもしれないと、唐突に思った。