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彷徨する自由帖

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旅行とビジネスホテルと私

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「予約している○○と申しますけれども」

「はい、お待ちしておりました」

 

 ……このやり取りが懐かしく、恋しい。

 

 

 ◇      ◇      ◇

 

 

 自分の家を離れて旅行するときはいつでも心細い。

 

 知らない土地、あるいは知らない国。ひとりの知己もおらず、まったく馴染みのない場所で、私は正しく途方に暮れている。

 目的は、たぶんある。現地で見聞きしたいものがいろいろと。でなければ、わざわざ玄関の扉を開けて外になど出ない。そもそも布団から起き上がるのすら億劫に過ぎるのだから。

 けれど目的があるから旅行をしに来たのか、反対に旅行がしたかったから目的の方を用意したのか、実際のところはよく分からないというのが本音だ。ひとつ確かなのは、移動中も、目的地に着いてからもずっと、自分がたとえようもない虚しさを感じていることだけである。

 

 いつからか、もうなんだっていい、と思うようになった。あらゆる物事に対して。

 

 そのはずだったけれど、どうしても断ち切れない糸のようなものを指先でくるくるしていると、予想だにしなかったものを引っ掛けるときがある。興味深いことに、それを面白い、と捉えられるだけの余裕が心にはあるわけだ。けだし空虚であるからこそ。

 だから足がどこかへ向く。遠くへ移動するのに決して安くないお金を費やして、それにもかかわらず、到着した先では別に大したことをしない。これが常。

 

 そんな風に旅行中の心が空っぽで幽霊みたいに透けていたとしても、実体のある身体の方がもれなくそれに付随してくるわけで、夜には適当に寝る場所が必要になってくる。望むと望まざるとにかかわらず。

 

 私が選択するのは、だいたいビジネスホテルだ。価格帯の区分からバジェットホテルと呼ばれることもあるが、説明のしやすさから前者の呼称を使っている。

 

 

 ◇      ◇      ◇

 

 

 ビジネスホテルの、すべてにおいて過不足のない単純さが好き。

 一人旅には煩雑なやり取りも手続きもいらない。お金を払って、泊まれる静かな場所を借りるだけ。路上での睡眠とは違い、外からの干渉を受けない場所を。

 

 鍵を受け取って部屋へと向かい、扉を閉じると、思わず笑いだしそうになる。指先で下ろした錠がひとつ、これで自分の安全を確保したあとはどう過ごしてもいいのだ。

 この土地に知っている人間が誰もいなくても、どこに行けば何をできるのかさっぱり分からなくても、部屋の中では関係ない。私の気分が上がろうと落ちようと空間は既に提供されていて、それはチェックアウトまで変わらないことが安心に繋がる。

 いちど靴を脱いで揃えたら、もう次の日の朝まで履くことはない。スリッパに履き替えて荷物を隅に置き、必要なものを出して、何よりも先にお風呂に入る。外界の塵でシーツを少しも汚したくないから。

 最低限の清潔さが保証されているバスルームで、簡単にお湯が出せる喜びを味わう。

 

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 無味乾燥な複製絵画の演出する硬い空気も、気持ちに不思議な安らぎをもたらすもののひとつ。

 

 入浴後は備え付けの寝間着に着替えてお茶を淹れる。

 机にあるのは大抵、粉末かティーバッグの緑茶にほうじ茶、紅茶、それからコーヒー。まれに別の選択肢が提示される飲み物の種類はホテルによって異なっていて、宿泊してみるまでのお楽しみ。こんなことすらも楽しみにできるのは、紛れもない幸福だ。

 

 それで、近隣のコンビニか弁当店で買ったものを口に入れながら片手で本を読む。

 とても行儀の悪い行為だ。こういうことは公共の場においてしてはならないと育てられた。だからぬかりなく、誰もいない部屋の中で実行するわけ。テレビの電源は入れない。無音の膜の先に空調なのか何なのか、低いうなりが聴こえるような。

 歯を磨いて布団に潜り込んでも本を手放せない。もしくは、メモ帳に何かを書いているときもある。これを完全に睡魔に呑み込まれるまで続ける。

 

 ふと顔を上げて、自分の見渡せる範囲の中に納まっている部屋の広さに、この上ない満足感を抱いた。

 ビジネスホテルに泊まりたい理由の最たるものが、適切な狭さかもしれない。もしもよりランクの高い施設に滞在できるだけの旅費をぽんと渡されたら、その金額分だけ宿泊日数を増やし、ビジネスホテルで過ごすだろう。だってこんなにも快適なのだ。

 必要のないものがない。それでいて、必要なものは十分に揃っている。

 

 明かりを消して眠りに落ちるときに考えていた。私の状態がどうでも一切頓着せず保証されているこの空間が、救いのようだと思ったのだ。

 まったく知らない土地、すべてにおいて馴染みのない場所の隅っこに、頻繁に一人旅を決行する人間にとってのアサイラムがある。旅程が喜びに満ちていても、あるいは心中でひどい悪夢に苛まれていても関係なく、それで拒まれたことはない。

 とにかく現地での滞在中に、延々と孤独を練ることを許されている施設。

 

 これからもきっと、何度でもその扉を叩くだろう。