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彷徨する自由帖

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泥水の染みたパン

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 どうにも幸先の悪い日というやつは、いちど地面に落としたパンみたいなもの。

 

 決して食べられない訳じゃない。けれど付着した砂を払っても、あるいは乾かしてみても、地面に落ちて汚れた事実だけは消えない。名前も知らない、体によくない物質が残っているかもしれない。

 だっていつも多くの人間や動物が踏みしだく、地面という場所に落ちたのだから。

 

 バターやジャムでごまかすか。味だけならどうにかなるかもしれないが、内部に染みた泥水だって、姿を隠して一緒に喉を滑りおちてくるだろう。

 私はそれを、何のためらいもなく口に運ぶことができるか? という問いを、この比喩は内包している。

 

 たとえば、大幅に遅れた公共交通機関、机の上に置いたままの忘れもの、誰かの不愉快なひとこと、突然よみがえってきた過去の悪夢。また、駅前で困っている人を誰も助けようとしない、朝の風景。見ようとしたわけではなく視界に入ってしまった行い。

 

 それらとともにある一日は、いうまでもなく最悪だ。どう足掻いても、本質が「もうすでに落としたパン」に変わってしまったあとでは、元のまっさらな状態には戻せないから。

 ひとつでも嫌なことがあると全てがことごとく台無しになる。

 人生もおんなじだ。

 

 丹精込めて焼いたパン、生きていくためにこしらえた糧を、おもむろに見えざる手がひょいとつまみ上げて地面に放る。それも乾いた地面ではなく、雨上がりの後で幾分か湿ったアスファルトへ。

 なすすべなく立ち尽くした自分の耳に、実際にそうは聞こえないはずの、べしゃりという音が届いた気がした。

 

 不意に、食え、と言われて前方をにらみつける。

 

 相手の前で濡れた地面に膝をつき、泥水を吸ったパンをひろい、噛みしだけと声が言う。こちらの矜持を著しく傷つけようとし、屈辱を味わわせようとしている声が。

 ふざけるな、と私は思った。いったい何の権利があってこんなことをする。

 響きわたる声には意思がない。ただ、決まりきった事実を告げているだけだ。落としたものをひろえと。だがそもそもこの状況を作ったのは私の側ではない。お前がそうしたのだろう、と憤って、そいつの喉元に刃を向けたところで無駄だった。「それ」には人間の道理が通用しない。

 

 結局、私は膝をつく。

 

 落としたものであろうと何であろうと、食べて消化しなければ飢え、死んでしまうから。いっそその方が良かったのかもしれないが、実行する気分にはなれない。

 灰色の水が染みたひどい味のパン。日々の糧として、一生懸命に焼いた大切なもの。もう汚れてしまったそれを掴んで口の中に思い切り押し込む。必死で咀嚼していると、涙が出てきた。どうして。どうしてこんなことを。

 食べている間は奴の声がしない。ほんとうに腹立たしい。たまにせき込んで嘔吐感が高まると、また、言葉が投げつけられる。意思のない声が。

 まぎれもない屈辱だった。

 

 でも、私は絶対に心から頭を垂れたり、こちらを弄する見えざる手の理不尽に屈服したりしない。

 

 すべてがうまくいく日にはこんな思いをしなくても済む。

 だから、その日をできるだけ素晴らしいものにするために、いつも気を配って生活をしている。決してあの手に、それから声に、濡れた地面へとパンを落とされないように。

 完成された完璧な一日が好きだ。ほんとうに大切な時間。

 何か悪いことのおかげで良い出来事が際立つ、というのは、それこそ泥水にまみれて汚れた理屈だと思うから、きらい。もちろんそこにも正義はあるけれど、私の側のルールには合致しない。

 

 明日もパンを焼くうもり。

 とても、美味しいパンを。