大きな窓の上に穴を開け、そこに紐が通されたような商品を1つ買った。紐は赤、白、交互にねじられて、ステッキ型のキャンディを彷彿とさせる趣。口に入れたら甘いかも。
深緑の針葉樹が茂る区域に設けられた柵の内側では、たっぷりとした赤い布の服をまとうおじいさんが大きな布袋(革袋、かもしれない)を両手で逆さにし、明かりが漏れる建物の中へと大量の小箱を注いでいる。
翼を持つふたりの天使たちがその傍らで果物を抱え、もうひとりは地面に落とした幾つかを拾いながら、順番を待っている。
右下に金で記されたA Joyful Yuletideの文字。少し、古めかしい語句だ。
ア・ジョイフル・ユールタイド。
街を歩く人々が上着を羽織り、さらにそのうち半数くらいが首にぐるぐるとマフラーを巻きつけるようになる頃。色々なお店に「赤い服を着て白く長いひげを生やしたおじいさん」の描かれた商品が、たくさん並ぶ。
木にくくりつける金銀の装飾品に囲まれた、そのおじいさんの絵が印刷された品物の数々を見ていると、温かいような寂しいような気持ちになって、家に帰りたくなったり、でも同時にそのまま違う土地に行ってみたくなったりもする。不思議。
赤い服を着て白いひげを生やしたおじいさんは、絵の中では大抵、微笑みを浮かべているようだ。
彼の周囲にいる子供たちも、背中に翼を持つ小さな者たちも、リスやクマやノウサギなどの動物も誰ひとりとして悲しそうな顔や怒った顔はしていない。星の見える夜空の下、世界は危険な場所ではなく、家屋の開口部から漏れる橙色の灯りで照らされるための舞台になっている。オーナメントで飾られたモミの木のそばには、飢えや欠乏や、嘆きや苦しみもないのだ。
どこまでも綺麗で、だからこそ私はむしろ奇妙なほどはっきりとした疎外感を感じるのだろう。
しかし、決して入れない場所は、足を踏み入れることができないからこそ際限なく美しいままで在る。
魅力的なものをモチーフにした商品がたくさん見られるこの季節が好きだった。