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彷徨する自由帖

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塔屋のある明治期の建築、八幡山の洋館 - 旧横浜ゴム平塚製造所記念館

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芝の上の洋館

 

 横浜港周辺や横須賀、鎌倉、そして箱根に小田原と、神奈川県内には優れた近代建築を拝めるエリアが沢山ある。いち県民としては本当にありがたい……。だが、それらから少し離れた平塚の地にも、魅力的かつ貴重な明治時代の洋館が一件佇んでいることはあまり知られていないようす。

 先日訪れたのは、平塚八幡宮からほど近い場所にある「八幡山の洋館」

 現在の名称を《旧横浜ゴム平塚製造所記念館》といい、かつては海軍火薬廠高等官クラブの集会所としても使われていた、国の登録有形文化財だ。

 入場見学が無料なだけでなく、市民の催しやサークル活動にも使用され、一般に開かれ愛されているこの施設。背景にある歴史を辿りながら当時の人々に思いを馳せ、建物に施された意匠の妙にも存分に浸りたい。

 

公式サイト:

『八幡山の洋館』旧横浜ゴム平塚製造所記念館

旧横浜ゴム平塚製造所記念館の概要(平塚市)

 

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白塗りの壁が眩しい

 所在地の八幡山公園は、丘という程の規模ではないがわずかに隆起しており、少し離れた場所からでも洋館の存在は際立って見える。母屋の塔から避雷針のように伸びる飾りは何かの目印のようだ。小さなドームは、古典主義建築に用いられるものを模した形。

 平塚八幡神社前の通りから公園に足を踏み入れつつ、靴の下で踏まれる芝が立てる小さな音を聞いた。

 陽に照らされて眩しく輝く外壁は、同時期の他の洋館にもしばしば確認できるドイツ下見板張り。アーチを描く窓の欄間(ファンライト)や、下部に施されたひし形の模様がシンプルなのにしっかりと鑑賞者の心をくすぐる。

 上部の廂はペディメントと呼ばれており、かつてはギリシャ神殿風の三角の部分を指したが、今では半円形のものもそう呼ぶそうだ。その意匠はクリームやアイシングで描かれたケーキのデコレーションのよう。

 

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通気口の空いた煉瓦基礎

 この建物は、日本海軍とイギリスの会社三社(アームストロング社、チルウォーズ社、ノーベル社)の合弁によって設立された、日本火薬製造株式会社の工場に付随する施設だったと言われている。

 おそらくはイギリス人技術者もしくは支配人の執務室か、住居か。他に食堂やホールなどの施設もあったそう。

 平塚に置かれたのは支店で、本社はロンドンにあった。

 

 ちなみに、日本火薬製造株式会社(現・日本化薬)の社長に就任していた原安三郎の別荘—―正確にはその廃墟が茅ヶ崎に残っている。

 

 八幡山の洋館は竣工以来、一度は火災で焼失してしまったようだが明治45年には再建されており、移築された今もほとんど当時の姿のままで佇んでいる。

 関東大震災や太平洋戦争時の空襲にも、丈夫な石とイギリス積み煉瓦の基礎はしっかりと耐えた。その部分は移築時にコンクリートへと置き換わっているが、残る痕跡が屋外に展示されていた。

 各部屋を繋ぐ廊下と下がる照明はまるで学び舎のよう。腰壁より上の白い部分は漆喰塗り。天井の感じが、長崎のグラバー園で見た旧スチイル記念学校や、明治村の第四高等学校物理化学教室を連想させられる。建てられたのも同時期だ。

 

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美麗なシャンデリア

 イベント開催中だったので立ち入りはできなかったものの、ベイウィンドウのある第一会議室の、天井に君臨するシャンデリアを目にした際は震えた。かなり良い。最上部、ツノのような多角形の枠の下に蜂の巣状の格子があって、さらにその下には大きく膨らみを持たせた部分が。一つの工芸品だ。曇ったガラスの内側から漏れる光は絹布のように柔らかい。

 この地に火薬工場が建設されるに至ったのは、明治20年ごろ横浜・国府津間に鉄道が開通した恩恵を受けて、開発と工業化の流れが興ったこと。近隣を流れる相模川も資材の運搬に便利だった。

 加えて、平塚は江戸時代から続く幕府管轄の林が残る場所で、文明開化以降は皇室の御料所として管理されていたため、広大な土地を有していたのだ。

 渡航してきたイギリス人技術者23人の任期は約10年間。かつて滞在していた彼らもこの部屋の窓から、平塚の街の様子が変遷していくのを眺めていたのだろうか。

 

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再現された暖炉

 応接室のカーテンは昭和30年に掛け替えられたもので、同年に国体が開催され、昭和天皇が行幸した際にはこの部屋に滞在している。表面の模様もさることながら、重厚なようで細やかな光を透かすのが綺麗だ。

 よく観察するとカーテンレールは枠のアーチに合わせて湾曲し留められていた。

 いわゆる上げ下げ窓なので、開閉は重しのついた紐を使って行う。中途半端な位置で手を放してもきちんと戸が固定されるようになっている。 

 花型の照明がソファの柄と呼応するようで、空間に統一感をもたらしていた。ここで日がな一日本を読み、紅茶を飲んで昼寝して――そんな風に過ごせたらどんなに良いだろう。どだい無理な話だが。

 また、壁に設置してあるように見える暖炉は、改修の際に付け加えられた飾り。本物は関東大震災で壊れてしまったらしい。今では、幻の炎が訪問者の頭の中で燃えるのみ……。

 

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タイル

 八幡山の洋館の魅力をさらに拡張する空間が、コロニアル様式風に部屋の外周を囲むこのベランダだ。木の細い角柱と石段に張られたタイルが素敵。

 風通しが良く、庭に植えられた色とりどりの薔薇や草木を眺めるのに最適な環境となっていて、設置された椅子やテーブルもおあつらえ向き。ピクニックでもしたい。

 洋館全体を支配する、柔らかな桃色と薄緑色の組み合わせを選んだ人間のセンスを賞賛する。初めの方でも言及したが、まるでケーキなどの洋菓子みたいだ。甘く優しい色。青い空の下にあると夢の家のよう。

 外壁に点在する六角形の照明には繊細な紋様があって、どこか行灯に似ていると思った。施設の方の説明によれば、ほぼ創建当時から残っているものも多いとのこと。通常は午後9時半ごろまで開館しているので、夜に電気が点る時間帯に来てみるのも一興かもしれない。

 

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光と風のベランダ

 瀟洒で可憐ながら、注目されたり話題になったりする機会は割と少ない、八幡山の洋館。周辺には平塚八幡宮博物館、美術館もあるので、どこかに用があった際には合わせて立ち寄るのもおすすめ。

 もちろん、建物単体を見るためだけにわざわざ来たって良い。

 手入れをしてくれている方々のおかげで、庭全体と花々、草木の状態はいつも綺麗に保たれている。

 竣工当時から大切に利用され保存されてきたこの洋館の歴史が、できるだけ長く続くよう願ってやまない。これからもずっと先の未来に受け継がれていって欲しいと思う。

 

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薔薇の庭