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埼玉県・川越の町で、近代の蔵造り建築の特徴を探して歩く|小江戸散策(1)

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 数年前の夏に川越の氷川神社を訪れて、風車の群れに遭遇した。

 普段はここに風鈴のトンネルがあるそうだ。

 薄紫と白を交互にあしらった羽根が、昼間の熱気を運ぶ弱い風を横から受けて、これまた億劫そうに回転していたのが印象的だったのを思い出す。境内に彩りを添える彼らも、その変わり映えしない日々や、存在の仕方に倦むことがあるだろうか。

 

 氷川神社は、以前も当ブログに訪問記録を残した日本郵船 氷川丸にゆかりがある。そもそも船の名前がこの神社から拝借されているのだ。

 神社webサイト内のページにも説明が載っており、一般公開されている船内で八雲神紋を見られる場所や、船の略歴を知ることができた。近代産業遺産やアール・デコ風の室内装飾に興味があるなら、ぜひ氷川丸の方も訪れてみてほしい。

 そこから鳥居を出てしばらく西へ歩けば、散見される建物が徐々に「それらしい」ものへと変わっていく。小江戸と称されて栄えた川越は今も、特に明治以降の商家建築を良い状態で擁する、稀有な地域なのであった。

 休日は本当に混雑していて、のんびり写真を撮るどころではなかったので、平日の早朝などに歩きに行くのが個人的にはおすすめです。

 

参考サイト・書籍:

川越市蔵造り資料館公式ホームページ

建築デザインの解剖図鑑(著・スタジオワークス)

 

 

たのしい川越の建物群

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 川越の目玉ともいえる一番街の大通りに辿り着く手前で、一軒のそば店に出会う。

 魅力的、かつ典型的でお手本のような看板建築だった。看板建築とは町家、商店の正面のみを平らな板のように見立てて装飾を施し、行き交う客の目を惹くような意匠にしている建築様式の一種で、主に大正12年の震災後に多く建てられたものを指してそう呼ぶ。

 その独特な佇まいは私自身を含め、愛好家の心を掴んでやまない。

 三階の窓、それぞれの上部にあしらわれている開放ペディメントは、平塚にある『八幡山の洋館』と似ている。

 全体的に表面は銅板葺きだろうか。その一文字葺き風の文様や、重厚感を演出する最上部の段差が良い雰囲気を醸し出していた。二階の方の窓は洋風の、レリーフ状に浮き出させているだけの偽柱装飾に挟まれて並んでいる。

 

 そば店横の十字路の信号を渡って、二番目の角……札の辻を左に曲がれば、そこはもう川越の中核ともいえるエリア。

 蔵造りの建物が多く並び、近代の雰囲気を未だ残す大通りとなっている。

 

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 中でもこれは、明治26年の川越大火後に建てられた、陶舗やまわさんというお店の建物。

 分厚い観音開きの扉と屋根、鬼瓦などに大きな特徴がみられた。角に建っているので眺める位置を変えて楽しむことができる。

 二階の扉をよく見比べてみると、対になっている二枚の大きさが異なるのに気付く。右側よりも左側の方が幅広だ。

 細い方が男戸、反対側が女戸と呼ばれており、火災の発生した際には窓枠の型(雁型)にぴったりと嵌まって火や風の侵入を防ぐ。蔵造りの建築は他にも、壁の漆喰が15cm以上の厚さに塗りこめられていたり、虫籠窓と呼ばれる格子が設けられていたりと、延焼を起こさないようにする工夫で一杯だ。

 上の写真では分かりにくいが、箱棟の両端に位置し、建物のてっぺんを飾る鬼瓦の背は木と漆喰で支えられている影盛(かげもり)で、内部は空洞になっている。雨水が侵入してこないようにする工夫だ。

 そんな一連の特徴を探して目を凝らすと、屋根の上の一角には邪気払いの効果が期待される、鍾馗の像が隠れていた。中国の伝承にある神様で、かの玄宗の夢に出た鬼を退治してくれた存在とされる。

 

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 また、こんな風に横に板を張った外壁を下見板張りという。

 直角に交差し、縦に等間隔で並んでいる細い棒状のものは縦桟で、主に「ささら子」と「押縁」の二種類があり、横板が波打ったり湾曲して割れたりするのを防ぐ役割がある。

 

 

 

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 今度はこの写真の右端に写る、建物のひさしの上…… 隣の店との間に、小さな白い壁のようなものが突き出ているのが見えるだろうか。まるで棚の仕切りのような。

 あれが所謂「うだつ」というものになる。

 うだつが上がらない、の慣用句は一般によく用いられているが、それが指しているものが何かを知っている人の数は意外と多くない。要するに、商売が軌道に乗ればそれだけ立派なうだつを掲げられるわけで、一種の商人のステータスとして捉えられていたのだろう。

 写真のうだつは切妻屋根を冠している。調べてみると、寄棟屋根のものがあったり設置された位置が異なったりと、種類が実に多様だった。店によっては鏝絵などの装飾を施しているところもあるようだ。

 

 それから適当なところで路を折れ、首を伸ばすと目立つ町の象徴が視界に飛び込んでくる。火の見櫓を思わせる塔の外観。他に高い建物がないから、殊更にその存在が際立っている。

 名称を「時の鐘」といった。

 

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 はじめは約400年前の川越藩主、酒井忠勝によって建てられ、火事が起こるたびに再建されてきたという立派な風体の鐘。高さは16メートルほどになる。

 昔は人が櫓に上りその音を響かせていたが、今は機械仕掛けで、定められた時間になれば自動的に鳴るらしい。長年の変化を経験しながら、そうして皆を見守ってきたのだろう。

 明治には川越鉄道、そして大正には東上鉄道……と交通網の発達によって賑わいが増し、栄えてきた近代以降の町の雰囲気を、現地では存分に感じられる。

 

 

 蔵造り建築の探訪が楽しい小江戸散策は、千葉の「佐原」編に続きます。