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「雪の女王」と「氷姫」- アンデルセンの持つ多面性の一端、冷たく美しい世界の描写|近代の創作童話

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ハラルド・ソールベリの絵画「山の冬」

参考・引用元:

 

ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー

 

 肺腑まで凍りつくような冷たさ。

 その温度に支配された世界の、美しさ。

 

 デンマークの作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンの手がけた物語の中で、とりわけ私の印象に残っているのが「雪の女王 (Snedronningen)」と「氷姫 (Iisjomfruen)」であり、同時にそのタイトルが示すふたりの登場人物でもあった。

 いいや、登場人物というか、あるいは何というべきか。ふたりともそれぞれ別の概念を体現する、いうなれば要素が擬人化された像として存在しているから、はっきり人物と言い切ってしまうのもいささか不自然(ヒトではないため)なのだけれど……ここでは便宜上、そうさせてもらう。

 そして、数々のモチーフや再解釈作品の元ネタとして採用されている「雪の女王」に比べ、「氷姫」の方は世間的な知名度がだいぶ低い。これは前者に比べた物語内容の複雑さと、あと単純に長さも影響しているのだろう。

 

 ふたつの作品には共通点と相違点がある。

 どちらも少年と少女、あるいはもう少し年嵩の男女ふたりの関係を絡めて、キリスト教的信仰という主題が物語に沿い展開されていくのだが、「雪の女王」の最後、カイはゲルダによって救われる。一方、「氷姫」において、バベッテはルーディをこの世に引き留めることができない。

 また、雪の女王は主に「知性の領域」を体現し、氷姫は「自然の領域」を体現している部分も、大きく異なる。確かに同じ冷たい世界の支配者ではあるが、その意味においては、むしろ本質が反対に近いともいえるのだった。

 

 キリスト教的な信仰、その信仰心にまつわる事柄。それらがふたつの物語にとどまらず、他のアンデルセン童話でも、著者本人の人生にとっても重要なテーマであったことは疑いがない。

 しかし、単純に人が信仰を志したり、神へと至る道を歩んだりする際の道筋を示すような語り口ではなく、もっと複雑で奥深く、なおかつ多面的な要素が彼の「おはなし」にはふんだんに盛り込まれている。時には皮肉交じりに、時には冷笑を交えて。そこが実に厄介であり、魅力的でもあるのだと、実際に作品を読んでみれば分かるだろう。

 そもそもアンデルセンの信仰自体、彼が生涯をかけて己の内側で築き上げていった独特なもので、要するにこういうことだ、と思い込みの型にはめて説明することはできない事実も忘れないようにしたい。

 

 昨日はこれまで何度も紐解いてきた2編を、改めて読んだ。

 物語はやっぱり面白かったし、登場する冷たい世界の支配者たちは、何より美しかった。

 

 

雪の女王 (Snedronningen)

 

 作中における雪の女王は、知性や合理性の象徴、みたいな存在。そういう意味での冷静で淡々とした世界を統べている。

 また最後の章を読めば、知性によって「永遠」という概念・境地に辿り着きたい人間の思い、そのものが人の形となって雪や冬のイメージと結びつき、生まれた存在と考えることもできるだろう。怜悧な思考と、まるで雪の結晶のように、見た目にも整った美しさを持つ……胸に悪魔の鏡の破片が刺さったカイ少年によれば、「これ以上かしこく、やさしい顔は考えられない」のだという。

 彼女が住まうのはスピッツベルゲン島にある城。夏にはラプランドにも臨時の住居を設けるが、本拠地はそっち。荘厳で冷たく虚ろな建物の中、雪の女王は普段「理知の鏡」をこの世で何よりすぐれた鏡だと言い、その真ん中に座っている。規則正しく出現するオーロラの下で。

 だから彼女はカイをとても気に入ったし、自分の城にさらって行って、あることを命じた。

 

カイはあちこちから、さきのとがった平たい氷のかけらを、いくつか、引きずってきて、それをいろいろに組み合わせて、何かをつくりだそうとしていました。
(中略)
それは「理知の氷遊び」というものでした。カイの目には、これらの形こそ、もっともすぐれた、そして、このうえなく意味深いものに思われたのです。

 

(岩波文庫「完訳 アンデルセン童話集(二)」(2020) 著:ハンス・クリスチャン・アンデルセン 訳:大畑末吉 p.211-212)

 

 雪の女王がカイに命じたのは、理知の鏡の破片で「永遠」という言葉を作り出すこと。

 それさえできれば、彼女は「この世界と新しいスケート靴」をお前にあげる、と彼に対して言ったのだった。

 カイは「永遠」を、どうしても作り出せない。幼馴染のゲルダが城まで迎えに来て、胸に刺さってしまった悪魔の鏡のかけらと氷の塊を、熱い涙ですっかり溶かしてしまうまでは。彼らが抱き合っているうちに、破片は勝手に踊り出し、その文字をあらわした。

「永遠」を完成させてふたりが城を去る前、ゲルダはイエス・キリストを讃える歌をうたい、その声に耳を傾けたカイは泣き出す。そうして家に帰った彼らはいつのまにか大人の身体になっており、幼い心を胸に抱いたままで、讃美歌の意味を悟る……物語はそうして締めくくられる。

 まるで永遠へと至る道筋は、理知や知性ではなく、信仰によってしか示されないのだと説くような幕引き。

 

 本編の冒頭で悪魔がこしらえた鏡……この、砕けてカイの胸に突き刺さった鏡とは、作中では「いいものや美しいものが映ると、たちまちちぢこまって、ほとんど何も見えなくなってしまう」性質のものだった。「悪いものや嫌なものがはっきりと見え、どんなものでも、粗(あら)ばかりが目に付くようになる」。

 さらには信心深い、よい考えが浮かんでくると、その鏡の中にはしかめっつらがあらわれるとか。実際に描写されたカイの様子からすると、これは知識と、批判的精神と、一種の観察眼、それらを複合的に人間にもたらす存在であるらしかった。

 悪魔の鏡の破片が胸に刺さった後の、彼の言動に目を向けてみよう。

 

(レンズを通して結晶を)見ると、雪のひとひら、ひとひらが、ずっと大きくなって、きれいな花のように、そうでなければ、六角形の星のように見えました。それはほんとうに美しいものでした。
「ねえ、ずいぶんじょうずにできているだろう!」と、カイは言いました。
「ほんとうの花なんかより、ずっと面白いよ。どれ一つだって、まちがったところはないんだからね。みな、きちんとしているんだ。ただ、溶けさえしなければいいんだがなあ!」

 

(岩波文庫「完訳 アンデルセン童話集(二)」(2020) 著:ハンス・クリスチャン・アンデルセン 訳:大畑末吉 p.170)

 

 そして、雪の女王にさらわれた時も、

 

もう、すこしも、こわくありません。
そこで女王に、算数の暗算が、それも、分数の暗算ができることや、国の平方マイルのことや、「人口はいくら?」のことなどを話しました。女王はしじゅう、にこにこしていました。けれども、カイは、自分の知っていることは、まだまだ、十分ではないような気がしました。

 

(岩波文庫「完訳 アンデルセン童話集(二)」(2020) 著:ハンス・クリスチャン・アンデルセン 訳:大畑末吉 p.172)

 

 と、描写されている。

 彼は村の、他の同年代の子供たちよりも賢く振る舞うようになった。そして、さらに知識を得たいと願い、そう渇望する自分に誇りも感じている。

 問題は、「悪魔の鏡」によってカイが獲得した、周囲の事物を捉える批判的な(しかし時に的確な)まなざしが、ともすれば他人や世界に対する意地の悪い言動に繋がること。加えて、いつもカイの側にいてくれる愛情深いゲルダの言葉をも、軽んじ無下にしてしまう瞬間があることだった。

 月並みな言い方をすれば、彼は悪魔の鏡と雪の女王に魅入られて、人の心が持てる「温かさ」を失う。作中では一人で取り戻せなかったものを、信仰心と愛による、幼馴染の献身が、氷の城から奪還し繋ぎとめた。

 

 でも。私は、あの割れた理知の鏡がある雪の女王の城も、レンズで拡大した雪の結晶に完成された美しい何かを見出しているカイも、好き。無論、それしかない、それだけに支配された場所は虚ろで冷たい世界なのかもしれないが、どんなに抗っても惹かれる気持ちを理解できるし、実際確かに持っていたと思い出せる。

 アンデルセンもおそらくそうだった。彼は信心深かった母と、科学と空想が好きだった父から大いに影響を受けていて、どちらから受け取った要素も大切に自分の中で育みながら、己の物語と世界を追求していった。

 どちらか一方「だけ」が、彼にとって特別に重要だったというわけではない。それらは常に複合的な関係にあり、語りとおはなしの中で交互に提示される。

 

 

 

 

氷姫 (Iisjomfruen)

 

 知性が雪や冬の性質と結びつき生まれた「雪の女王」とは異なり、スイスの氷河に棲む「氷姫」は、まさに力強い自然そのもの。

 私達人間が文明を発展させる過程でそれを踏み越えたり、変容させたりして進もうとするとき、必ず目の前に立ちはだかる者として描かれる姿。容赦なく人の命を奪い、意志を打ち砕き、今までもこれからもそこに存在し続ける。

 半ば空気の子で、半ばは谷川のたくましい支配者……。

 険しい地形は旅人のゆく路を阻み、時に川は氾濫し、洪水を起こして住まいを彼方へ押し流す。人はそれに対抗するかのように再び町を作り、鉄道のレールを敷き、今度は自然を自分たちの支配下に置こうとするが、氷姫はそれをあざ笑うのだった。

 

「太陽の子たちに、精神力とよばれている、おまえたちよ!」と氷姫は言いました。
「おまえたちは虫けらにすぎないのだ。雪のかたまりがたった一つころがり落ちれば、おまえたちも、おまえたちの家も町も、押しつぶされ消されてしまうのだ。」
こう言って氷姫は頭をいっそう誇らしげに高くあげ、死をまき散らすまなざしを、はるかかなたに、また、はるか下のほうにむけました。

 

(岩波文庫「完訳 アンデルセン童話集(五)」(2020) 著:ハンス・クリスチャン・アンデルセン 訳:大畑末吉 p.259)

 

 このお話に登場する「自然の力」の化身にはふたつの種類があるようで、氷姫以外の、たとえば作中で太陽の子と呼ばれている精たちは、どちらかというと人間の味方であるらしい。

 人間の思想を賛美する彼らは、幼いころ氷河に落ちた影響で氷姫に目をつけられ、生涯を通して狙われている青年・ルーディをその手から守ろうとときどきあらわれる。いつか、その氷の呪縛から、彼を解き放ってあげるために……。

 

 成長したルーディはある日、バベッテという、水車屋の美しい娘を見初めた。

 彼らは出会いから順当に絆を深めていく……はずであったのだが、少しばかり愛情を弄ぶ傾向のあるバベッテは、別の人間との淡い関係にうつつを抜かしたり、婚礼の直前に裏切りの夢を見たりもしていた。相対するルーディの方もそんなバベッテの真心を疑い、山中で人間の娘に化けて接触してきた、氷姫の術中にはまってしまう。

 作中ではこれらが信心の欠如であり、私達の中にいる悪い霊の作用なのだと語られた。

 

 最終的にルーディは氷姫のものになり、この世を去ることになる。結婚式の前夜、恍惚として冷たい水の底に沈んで。バベッテはそれを止めることができない。

「雪の女王」で城に近付きながら「主の祈り」や「夕べの祈り」を歌って、女王の軍隊である前哨部隊を退け、ついにカイを取り戻したゲルダとは対照的な結末を迎える……というわけ。

 そのあたりの根拠として神が示したのが、別の人間と結婚する未来を夢の中で見たバベッテが、目覚める直前に思わず叫んだ台詞であるのは興味深い。

 

「ああ、わたしのいちばん幸福な日だった、あの結婚の日に死んでしまったらよかったのに。神さま、そのほうがかえってお恵みでもあり、一生の幸福でもありましたのに。それが、わたしにもルーディにもいちばんよいことだったのです。」

 

(岩波文庫「完訳 アンデルセン童話集(五)」(2020) 著:ハンス・クリスチャン・アンデルセン 訳:大畑末吉 p.281)

 

 彼女は自分の軽率さを悔いる。

 そして、夜が明ければ夫になるはずだった人間が口にしていたとある言葉が、胸にこだまするのだった。

 

「この世にこれ以上のことは望めないな!」

 

(岩波文庫「完訳 アンデルセン童話集(五)」(2020) 著:ハンス・クリスチャン・アンデルセン 訳:大畑末吉 p.290)

 

 実は、上の台詞とそれにまつわる主題は、同じアンデルセンの著した「幸福の長靴」でも角度を変えて扱われているので、「氷姫」を読むならそれも一緒に紐解いてみるのがおすすめ。

 このあらすじだけだと分かりにくいところは、この2編を並べて考えるとかなり明瞭になる。

 

 おはなしの主なテーマの他にも注目すべき点が沢山ある。たとえば、凍てつく世界の支配者「氷姫」が自然の化身であり、ルーディがどんどん氷河の誘惑に抗えなくなっているように、作中において突出しているのが風景の描写。

 あまりにも美しく、それでいてうかつに近付けば人間は死を免れない、危険極まりない魅力が読者の心をも捉えて離さない。

 アンデルセンはデンマーク出身で、寒い北欧の気候を身近に知っていただけでなく、無類の旅行好きだったから、この物語でスイスの情景を描くにあたり、各地を放浪したその経験が大いに役立ったはず。

 

太陽はさんさんとあたたかく輝いて雪はまぶしく、まるで青白くきらめくダイヤモンドの光をふりまいたようでした。数えきれないほどの昆虫、ことにチョウとミツバチが雪の上にかたまって死んでいました。
(中略)
ウェッターホルンの峰に険悪な雲が、まるで細かに梳いた黒い羊毛のふさのようにかかっていました。

 

(岩波文庫「完訳 アンデルセン童話集(五)」(2020) 著:ハンス・クリスチャン・アンデルセン 訳:大畑末吉 p.217)

 

 人間の娘に化けた氷姫の瞳、その中にあった景色も。

 

ルーディは高められたのか、それとも、死をもたらす深い氷の裂けめに、深くどこまでも深く沈んでいったのでしょうか。
目に見えるものは、ただ、青緑のガラスのような氷の壁。いくひろとも知れない深淵が、まわりに口をあけていました。したたり落ちる水は鈴を鳴らすような音をたて、真珠のように澄み、しかも青白い炎をあげて光りました。

 

(岩波文庫「完訳 アンデルセン童話集(五)」(2020) 著:ハンス・クリスチャン・アンデルセン 訳:大畑末吉 p.273)

 

 名前ばかりが知られていて、実はあまりきちんと読まれていない、アンデルセンの物語。

 それらの世界が好きな人に届くことを、いつも願っている。

 

 

 

 

 

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