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ウズベキスタン旅行記(5) 首都タシケント:美しい地下鉄駅と黄煉瓦のナヴォイ劇場、残る旧ソ連の空気

 

 以下の記事の続きです。

 どんなに楽しい旅行でも、出発から数日も経てば自宅の布団で眠りたくなる。

 私はそういう人間だった。このウズベキスタン行きも決して例外じゃない。だんだん重くなっていく頭を首の上に乗せて、最終日も虚ろな目で黙々と街を歩く。自分は一体なぜここに? と思いながら。毎度こうなるのが分かっていても、ふとした瞬間に飛行機や電車を予約してしまうのが何故なのか、私自身にも全く理解できない。それでもきっと、また気が付いたら何処かへ出かけているんだろう。

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街の中

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旧共産圏らしさのある銀行のビル

 今回はサマルカンドとシャフリサーブスを観光した後、タシケント(タシュケントとも。古くはチャーチュ、石国などと呼ばれていた)を訪れた。一番初めに降り立った都市でありながら、実際に色々と見て回ったのは最後。ここはソビエト統治時代から現在に至るまで、古きサマルカンドに代わって、国の首都として発展し機能している街だ。1966年に起こった地震の影響で歴史的建造物は少ないが、タシケントには他にも面白いものが沢山ある。

 旧共産圏のちょっと独特な空気を肺いっぱいに吸い込んで、いつか読んだSF小説の片鱗をそこかしこに感じ、心が躍った。私は過去にドイツ・ベルリンを旅行した際、「DDRポスター集」をわざわざ買って帰国した程度には、旧東側のあれこれに興味を持っている。当時の製品デザインにも目を引くものが多い。どういうわけか、気になってしまうのだ。

参考サイト:

ウズベキスタン政府観光局

Advantour(ツアー会社のサイト)

Lonely Planet(ロンリープラネットのサイト)

タシケント(Tashkent)

 バスの窓から何となく眺めた街の印象は、どこか寂寥としているが人の数は結構多い、だった。曇っていたので少し重苦しい感じがしたのかもしれない。サマルカンドやシャフリサーブスとはうって変わって、背の高い近代的な建物が立ち並ぶ、中央アジアの中でも都会に分類される場所。ここもかなり昔から交易によって栄えていた、シルクロードにおけるオアシスだったそうだ。

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ホテルの外観

 宿泊したホテルも新しく綺麗で、快適に過ごせた。

 何点か気になったのは、部屋にあった置時計の電池が切れて止まっていたことと、電話の受話器がバスルームに設置されていたこと。確かに後者は便利かもしれないが、普段はあまり見ない。裸で電話している人の姿を想像してしまって少し笑った。あとは、ドアからテーブルに至るまで、あらゆるもののサイズが大きく、背が高いのに意識がいく。日本だけではなく、他の欧州諸国や米国と比べてもなかなか感じなかった類の差がある。

 旅行先で、寝る前にしなければならないことは特にないし、ナイトライフにも全く興味がない。だから夜はずっと部屋で本を読んだり、考えたことを手帳に書いたりして過ごした。サマルカンドからの移動で大分疲れていたのもある。それに帰国した翌日からはまた仕事が待っているのだ。何度国内外をうろついたって、私の毎日は全く変わらない。

 清潔なホテルの温かな布団をきっちりと被り、できるだけ長く寝ていたい。

  • タシュケント地下鉄

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凝った照明

 改札を過ぎて階段を下りれば、どこぞの城のダンスホールかと見紛う天井の意匠が。

 タシケントの地下鉄――その駅は世界でも最も美しいと称される。観光で来たのなら、わざわざ一駅ごとに降りても良いと思えるくらいだ。それぞれに異なる特色があって眺めていて飽きない。車両の扉が開くたびに違う世界へ連れて行かれるので、まるで地底都市で旅でもしているかのような気分になる。

 ちなみに、改札内に入場する際使われるのは紙の切符でもICカードでもなく、青い円形のトークン。一般的な硬貨程度の大きさ。

 かつては一切の撮影が禁止されていた地下鉄の構内だが、2018年の中頃にそれが解禁された。おそらくは増加する観光客のためだと思う。邪魔にならないところでカメラを構えている分には、巡回している警察官にも何も言われない。もともとは核シェルターとしての利用が想定されていた背景も耳にしてさらにどきどきが増した。ソ連ぽい。ふと「警察とレジスタンスごっこ」がしたくなる。

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タイルの模様

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モスクのドームのよう

 多くの建築家や芸術家が携わったひとつひとつの駅は、さながら地下美術館の展示室であり、作品そのものでもあった。

 ところで地下鉄というものを考えてみれば、民家やビルで覆われた街の下層で、絶え間なく電車が走っている状況というのはかなり面白いといえる。張り巡らされたトンネルの管を走るのは「都市の血液」としての人々だ。その場合、心臓や脳は一体どこに位置するのだろう。生きている街と死んでいる街の大きな違いは、そこに人間の営みがあるかどうかなんだろうな、と感じた。余談だが、私は死んでいるのに生きているように見える街が好きだ。

 タシケントの地下鉄では、トークンを買って改札内に入ってしまえば何処まで行っても同じ値段。日本円にして数十円。なので特に用がなくても、遠くの方へと足を伸ばしてみたら面白いかもしれない。降りた先のホームでどんな世界を目にすることができるかは実際に行ってみてのお楽しみだ。

 とりあえず "Mustakillik maydoni" という駅で下車して外に出てみよう。そこに博物館がある。

  • ウズベキスタン国立歴史博物館

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正面入り口

 

 ここは中央アジアで一番古い博物館であり、ウズベキスタンが独立してから現在の名前に改称された。ちなみにWi-Fiが飛んでいる。扉に施されているのはおなじみの伝統的なザクロ模様で、子孫繁栄を象徴する図柄。刺繍でも彫刻でも、多くがウズベキスタン国内の至る場所で見られた。

 展示品は石器時代から近代に至るまでを網羅していて、順に鑑賞すると周辺地域の概要を知ることができる。小さな国々が国境を接して集まる土地柄から、支配者や文化が常に移り変わり、シルクロードの恩恵を受けて発展してきたウズベキスタン。現在の範囲が一つの国として扱われるようになった背景には、19世紀頃のロシア帝国の侵略イギリスの介入があった。

 その辺りの不穏さは、最初の記事でも少し言及した漫画《乙嫁語り》の中でも描かれている。とてもおすすめの作品なので色々な人に読んで欲しい。博物館にも物語の中に登場するような衣装の実物があるので、照らし合わせてみるのも楽しいと思う。

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装身具

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山羊鍋

 個人的に好きなのは、山羊をモチーフにした青銅器や装飾品の数々。

 古来から食肉や乳、温かな毛、果ては紙(羊皮紙)をもたらす家畜として重宝されてきた事実を示すように、多くの物品にその姿は刻まれている。角のあるものも、無いものも。過去に住んでいたイギリスにも羊が沢山いたから、私にとっては、何だか牛や馬以上に身近に感じられる動物となっている。牧場の横に宿泊したことがあるが、彼らの見せる仕草は可愛らしく、ずうっと眺めていても全然飽きない。

 また、サマルカンド・アフラシャブの丘で見たフレスコと似たものもあった。こちらは人物の顔が比較的はっきりと描かれている。紀元3世紀頃に、テルメズ(現ウズベキスタン最南部都市)のファヤズ・テパという場所で発見された壁画だ。

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横顔

 ファヤズ・テパにはストゥーパなどの大規模な仏教遺跡が残されていると聞く。それらは土着の信仰であったゾロアスター教の勢力を退けて侵入し、特に1~4世紀に隆盛を誇った頃の名残り。以降はイスラム教に取って代わられたり、モンゴル軍に破壊されたりもしたが、幸運にも現在まで生き残った遺跡がまだ現地にある。

 特に発掘された釈迦三尊像はここ歴史博物館に運ばれ、今では目玉の展示品となっていた。いつか現地にも足を運んでみたいものだ。アフガニスタンと国境を接する都市ということもあり、今後の情勢が気になるところ。

 ということで、博物館では展示全体を少し速足で見て回って、1時間半程度を使った。

  • ナヴォイ劇場

 ウズベキスタン国立歴史博物館の目と鼻の先、徒歩5分程度の距離には緑多き公園がある。音を立てる噴水の向こう側には、黄色い煉瓦の美しく輝く、アリシェル・ナヴォイ記念国立アカデミー大劇場(通称ナヴォイ劇場)が建っていた。

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綺麗な煉瓦積み

 ここはタシケントの中でも、日本人観光客が多く訪れる場所のうちの一つ。単に劇場内でオペラなどの演目を鑑賞することのほか、建物そのものの歴史に興味を持っている人々がいるのだ。かくいう私もそのうちの一人。

 ナヴォイ劇場の建設の一部には、かつてソ連の捕虜としてウズベキスタンに強制連行させられた、450名以上の日本兵が携わっていた。この建物は、故郷から遠く離れ、敵側の国のために労働するという屈辱的な環境の中で、彼らが懸命に生きた証のようなもの。例えそれがわずかな部分のみであっても確かに礎となってこの劇場を支えている。側面の壁には、訪問客へそれを伝えるための記念碑が設けられていた。

 ナヴォイ劇場は、ソヴィエトの建築家であるアレクセイ・シューセフによる設計。近代的な要素と元来の地域らしさが融合した、荘厳なのに軽やかさを失わない佇まいが風雅だと感じる。

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 遠目から全体を眺めるだけでなく、近付いてアーチの内側にある天井を覗き込んでみると、照明の意匠文様が美しい。

 特に用事がなくても、周囲をくるくる歩き回るだけでも楽しい場所だった。公園の雰囲気も落ち着いていて癒されるので、もしも観光に疲れたらこのあたりに来てみるのも悪くない。建物に興味がなければ退屈かもしれないけれど。好きならきっと満足できるはずだ。

 加えてもう一つ、心惹かれる建築物をアミール・ティムール広場へ向かう最中に発見した。どこか牢獄を思わせる厳めしい施設は、ホテル・ウズベキスタンだ。うまく言葉にできないけれど、外観の端々から「ソ連感」が伝わってくる。オーウェルの《1984》に登場する何らかの施設じみている。

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監獄みたい

 これは本当に宿泊施設なのだろうか? あるいは誰にも気づかれないように要注意人物を拘束し、連れ込んで、拷問する部屋が内部のどこかにあるのではないだろうか……? そんな妄想を掻き立てられた。

 とはいえ特に大きな心配には及ばず、私は警察に呼び止められることなく無事に出国し、また母国の地を踏むことができたのである。

 今回の旅行も面白かったが疲れた。本当、出不精のくせにあまり無理をするものではない。お金もあまりないし、しばらくは大人しく国内の都市をうろうろしてみようと思う。やがて、無意識のうちに航空券を予約してしまう謎の日が、嫌でもやってくるだろうから。

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キオスク

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