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彷徨する自由帖

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ウズベキスタン旅行記(1):古都サマルカンドのグーリ・アミール廟は星の洞窟のようで

 

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「青の都」

 目的地を頭に思い浮かべ、はぁ行きたいな......と念じ続けていると、いつのまにか航空券の予約が確定されている。口座からはその分のお金がしっかり減っている。つまり、どこかへ旅行するのを決めるというよりか、もう既に「決まっていた」と言う方が私にとっては正しい気がするといつも思う。森薫先生の漫画《乙嫁語り》に後押しされた今回のウズベキスタン旅行も、そんな風にして実現したものだった。

 広大で、特徴や魅力を一言で表すことはできない中央アジア地域。「中央アジア」の定義は時代や視点によって異なってくるが、ウズベキスタンは大抵の場合、その範囲に含まれている。

 古来から居住していた遊牧民・定住民の文化と東西貿易の歴史、そしてティムール朝の栄華とソビエト連邦の足跡――。日本人は30日以内の滞在ならビザの申請が不要になったので、ますます観光地としての注目度が高まっていると聞く。

 実際に4日間ほど現地で過ごしてみて、美味しい食事美しい史跡の数々に触れ、折に触れて話題に上る理由が本当によく分かった。とても、とてもいいところです。

参考サイト:

ウズベキスタン政府観光局

UNESCO World Heritage Centre(ユネスコ世界遺産のサイト)

  • タシケントからサマルカンドへ

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仁川(インチョン)空港

 大韓航空を利用して成田から出発。広くて綺麗な仁川空港で乗り継いだなら、そこはあっという間にウズベキスタンの首都・タシケントだった。タシケント観光の記録はこれから追って更新する予定。

 普段はヨーロッパ方面へばかり乗り継ぎ(お金が無いから)で出かけているので、総搭乗時間が20時間を超えないと、途端に楽になり嬉しかった。窓から見える雪をかぶった山脈の数々も面白い。エコノミークラス機内食の味はまあまあで、付け合わせにキムチが出てきた部分に大韓航空らしさを感じた。

 ティムール朝の首都であり、文化の交差点として世界遺産に登録されているサマルカンドへは、高速鉄道アフラシャブ号で向かう。車両はスペイン・タルゴ製。

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タシケント駅

 これがタシケント鉄道駅になる。外観にはどことなくソ連の雰囲気が漂っていて私は大歓喜した。以前は写真撮影が厳しく規制されていたが、最近は観光産業に力を入れていることもあるのか、警察や政府の施設をむやみに撮ろうとしないかぎりは何も言われないようす。個人的に警察の緑の制服と帽子が好き。サマルカンドまでの所要時間は、2時間半程度だった。お茶が出る。

 駅に到着後、初めに向かったのはグーリ・アミール廟。これはティムール朝の創設者であり、14~16世紀ごろの中央アジア地域に強大な帝国を築き上げた同名の指導者、ティムールとその血縁者の墓だ。

 やがて、バスの窓から廟の姿が見えてくる。それだけで胸が高鳴った。

 

グーリ・アミール廟

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正面の門

 玉ねぎのような形の、青いタイルで彩られたドーム。両脇に伸びるミナレット。鍾乳石を幾何学的に象った、目の回りそうなムカルナスの装飾。物語の世界や歴史の授業から得た知識が無ければ、私はこれをとは思わなかっただろうと思う。まるでお城のようだから。門を抜けた先にある中庭、天井のない空間に吹き抜ける静かな風が、ここに人々が眠っているのだと教えてくれた気がした。

 ティムール(1336~1405)は生前、自身の生まれ故郷であるキシュ(現シャフリサーブス)へ葬られるのを希望しており、その墓の建設もされていた。しかし、亡骸が雪深い山を越えることは叶わず、結果的にここへ埋葬されたのだ。グーリ・アミール廟は、当初ティムールの孫・ムハンマド・スルターンのために作られたものだった。彼の訃報を聞いたティムールの悲しみは、非常に大きなものだったという。

 しばらく敷地内を歩き回ってみる。中庭は神学校(メドレセ)として、生徒にイスラームの教義や、サマルカンドの統治者について教えるためにも使用された空間だった。下の写真は典型的なイーワーン。

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ムカルナス装飾

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鮮やかなタイル

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中庭

 壁にあしらわれた花のようなタイルの模様がかわいらしい。子供部屋の壁紙と言われたら信じてしまいそうになる。偶像崇拝を禁じていたイスラームの世界では、文様や文字を抽象化した装飾が著しく発達し、今もこうして世界中の人々の目を惹きつけているのだった。特に文字の方はアラビア書道(カリグラフィー)の方も有名だ。

 また、装飾のない積まれた煉瓦の隙間ひとつひとつにも、確かに歴史の断片が挟み込まれている。多くの人々が、他でもないその手を使って建てた廟だ。深い青色が心に染み入ってくる。まだ喪ってすらいない誰かの面影を偲んでしまいそうになる。

 空気を堪能し、写真を撮って回り、グーリ・アミール廟の内部に足を踏み入れると同時に......事前の調べ学習時に目にした、とある「呪い」の伝説が脳裏によぎった。

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ドームのある部屋

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まるで地上に墜ちた星空

 その呪いとは、ウズベキスタンがソ連の支配下にあったとき行われた、この墓と棺にまつわる出来事だ。過去に日本のテレビでも特集されていたことがある。

 曰く、ソ連の調査隊がティムールを調査するために墓を暴いたとき、墓石と棺の内部に「開けると良くないことが起こる」旨のちょっと怖い文章が刻まれていた。彼の遺骸は埋葬前に防腐処理を施されていたため、樹脂乳香をはじめとした様々な化合物の怪しい匂いが周囲に溢れ出たという――。この調査の2日後、碑文が実現してしまったのか、ソ連はナチス・ドイツによる侵攻(バルバロッサ作戦)を受けることとなったのだ。

 その後、ティムールの遺体や副葬品をもとの場所へ丁重に埋めなおしたところ、しばらくして戦況は逆転。第二次世界大戦は連合国側の勝利で幕が引かれた。もちろんこれらは偶然の一致に過ぎないのだろうが、ツタンカーメンの呪いと同じで、ある出来事と何かを因果関係で結ぶのは確かに面白い。

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 おびただしい量の金と大きな瑪瑙、石膏が使われた部屋を見回すたび、布に写した星空を切り取ってそのまま持ってきたのではないかとすら考えてしまう。または地上に墜ちた大きな隕石を削って、中を掘って、それを霊廟に作り替えたとしたら。内部に含まれた鉱石が窓からの光を反射して、きっとこんな風に輝くに違いない――と。

 写真の下部には装飾の施された綺麗な墓石があるが、これは地下室にある本物の棺の位置を示したものに過ぎない。現在そこへは入場できないようになっていた。

 後に訪れたシャーヒ・ズィンダ廟群でも同じ感想を抱いたが、織りなすこれらの文様に抱かれ、包まれながら永い眠りの時を過ごすというのは、一体どんな気分なのだろうか。ここにはティムールの息子たちと孫たち、そして敷地内でも複数の恩師が揃い葬られているというから、天国でも生前と同じように過ごし、争いのない世界で歓談をしているのかもしれない。

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夜の外観

 ライトに照らされたグーリ・アミール廟。昼間とは全く別の表情が見られるので、改めて夜に訪れるのもおすすめだ。サマルカンドの治安は比較的良好であるものの、陽が落ちてから出歩く際は十分に注意されたい。

 また、近隣のレギスタン広場でプロジェクションマッピングを楽しめる日もあるので、興味があれば訪問前に調べておくのが良いと思う。

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 次回の記事でも引き続き、サマルカンドを観光していきます。