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彷徨する自由帖

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旧柳下邸&横浜競馬場跡がふしぎな郷愁を誘う - 根岸にある近代の建物ふたつ

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 先日訪れた、横浜市・根岸駅周辺にある趣深い建物ふたつを紹介します。

 

目次:

 

旧柳下邸|根岸なつかし公園

 

 根岸駅から徒歩10分もかからない程度の距離にある、緩やかな丘の上には、細身のさんかく屋根が目立つお屋敷が建っている。

 頂点にいただくのは銅の棟飾りで、目の前にはシュロのような南国風の木が何本か。写真を撮りながらさらに近付いてみると、その洋館は平たい日本家屋の横に併設されているものだと分かった。

 このような様式の洋館付き建物を一般に「文化住宅」という。

 屋根の洋瓦の一枚には、過去に以下のブログ記事でも言及した「ジェラールの瓦」が使用されているらしい。

 

 

 ここは、根岸なつかし公園の敷地内に建つ旧柳下邸。

「やなぎした」や「やなした」ではなく、「やぎした」と読むタイプ。いちおう横浜在住の身でありながら、市内にこんな素敵な場所があるなんて全く知らず、訪問後はすぐに自分のお気に入りの場所へと追加した。

 旧柳下邸は2002年に、市の指定有形文化財へと登録されている。

 

公式サイト:

横浜市指定有形文化財「根岸なつかし公園 旧柳下邸」

 

 

 佇まいに興奮しながら目の前をうろうろしてみると、和館の小さな表玄関のほうに、丸で囲まれた「加」の一文字が書かれた天水桶(雨水を貯めておくもの)が置いてあるのを見つけた。上部のふちはラーメンの器のような模様で囲まれている。

 説明によれば、これは屋敷に住んでいた柳下平次郎が経営していた店、「鴨居屋」の屋号であるそうだ。

 平次郎には同じく商人であった弟の達蔵がいて、そちらは加の字の下に一本線が引かれたものを屋号として掲げていた。

 

 鴨居屋は、金属――主に銅と鉄の輸入を主として、明治~大正期に財を成した商店。

 当時の日本政府は、殖産興業政策により大きく前進した製糸・紡績業に続いて、1901年(明治34年)に八幡製鉄所を完成させるなど、鉄鋼・重工業にも力を入れていた。まさに「日本の産業革命」の時代だ。

 特に国産の鉄鉱石は量が少なかった他、ほとんどが上のような公共事業や軍事使用目的で加工されたため、民間の鉄の供給は大部分を個人の商店に依存していた。そういった背景を考えると、鴨居屋と柳下家が繁盛したのにも頷ける。

 屋敷の佇まいからも生活の豊かさが伝わってくるよう。

 

 

 見学者用の玄関が、建物正面から向かって左横にある。入館は無料。

 そこから入ってすぐ左手の場所に設けられていたのは浴室だった。まず目に入ってくるのは美しい窓。正方形の磨りガラスが横二列に並んでいて、継ぎ目の交差する部分に飾りが施されている。外から注ぐ光が柔らかい。

 また、窓より下側の壁と、そこから続く床は橙と薄橙のタイル張りだ。これは大正時代に大きく普及した様式で、以前に作られた浴室の床の多くは木でできている。当時、一家にひとつ風呂があった家は総じてある程度裕福だった。

 顔を上げて天井を見れば、照明の周囲にまた趣深い透かしが見られる。壁との接触部分は特徴的な折り上げ造りで、うっかり湯船に浸かってしまったら、のぼせて倒れるまで何時間でも眺めていられそうだった。旧柳下邸では、実際にこの五右衛門風呂に入浴できるイベントも行われているのがすごい。

 脱衣所を出て、廊下の板には継ぎ目のない真っ直ぐな木材がふんだんに使われているのを確認する。紛れもなく、富豪のおうちだ。

 

 

 写真は西館にある居間のうちの一つ。左側に素敵な障子の窓がある。旧柳下邸ではこんな風に、ちょっとした意匠の数々が確実に私の心を掴んでくるのでたまらない。

 現在、居間は一般に開かれた場として、各種イベントの際に貸し出されている。

 和館の西側は主に家族の暮らしの場として、そして東側は接客のために利用されていたらしい。その横、関東大震災後に建てられた洋館の一階も、きっと誰かを迎えるために使ったのだろう。天井から下がる大きめの照明が良い。

 訪問時は二階へ行くことはできなかったが、そちらは書斎であるとの説明があった。

 丘の上に建つ洋館の二階、しかも用途が書斎とは……。窓からの眺めを考えただけで最高の空間だ。住みたい。絶対に無理なのは分かっていても、住みたい。

 そういえば、敷物が敷かれていたので気が付かなかったが、洋館一階の床は風変わりなことに畳張りだという。

 

 

 


 

 庭の手水鉢を眺めながら廊下を歩いて、建物の正面から視認できない部分に回れば、荘厳な蔵がある。

 手前には古い金庫(東京市馬喰町・竹内製造の表記と八咫烏の絵がある)や冷蔵庫も。

 蔵の扉は黒く、漆喰の上に墨を重ねて磨かなければ作れない、特殊なものだった。この蔵も含め、内部の展示品であるオルガンミシンガスストーブなどの貴重な物品が当時のまま残っていることに感動する。また、壁に開けられた穴からは層の構造が実際に見えるようになっていた。

 建物自体もそうだが、当時の暮らしを偲ばせる細々としたものに価値を見出し、保存して下さる方々が居なければ後世には伝えられない。もちろん、形あるものはいつか失われる。

 それでも人の力の及ぶ限りは、できるだけ長い間、良いものがそこに存在していて欲しいと思う。

 

 

 現代における実用性はともかく、この木の外観や金具はお洒落で好きだ。明治後半~大正時代の冷蔵庫事情が気になったので少し調べてみた。そもそも当時は氷を箱に入れて用い、食材を冷やしていたため、冷蔵庫ではなく「氷箱(冷蔵箱)」と呼ばれていたらしい。

 氷は高級品で、もっぱら氷屋から購入された。

 天然氷を米国から輸入したり、函館から産出していた時期もあった日本だが、初めて国内に製氷所ができたのは明治12年のこと。場所は、この横浜だった。

 保存できる食材の幅が広がったことや、冷たい食べ物の味が市井の人々に浸透したことで、生活における氷や冷蔵庫の重要性はどんどん高まっていったのだろう。その過程を意識すると、舌に乗せて溶かすアイスクリームの味にも、普段以上の深みを感じられるような気がした。

 

参考サイト:溶けゆく氷を使っていた大正・昭和の冷蔵庫|食の安全|JBpress

 

 余談だが、私がイギリスに住んでいた頃に下宿先の暖房が壊れて、夜の室温が11℃にまで低下した地獄のような日があった。

 氷で冷やす「冷蔵箱」の内部はおおよそ10℃程度であったというから、中で保存される食材の気持ちを追体験できたと言える。もう二度と御免だ。

 閑話休題。

 

 

 旧柳下邸を去る前に、館内でも屈指のお気に入り空間に触れておきたい。

 それが、現在は閉め切られている表玄関

 格調高い格天井の木目や床のタイル欄間の透かしの意匠など、小さな一角に邸宅の魅力がぎゅっと詰まっている。隅には立ち火鉢が置かれていて、訪問客と立ち話をする一家の姿や、冬の外出前にそっと手を暖める様子が浮かぶようだった。

 

 私はこの家に全く関係ない一介の見学者なのに、滞在時間が長くなるにつれて、ふしぎな懐かしさで胸が満たされる。

 遠い昔に誰かの背を追って廊下を歩いたり、あるいは掘りごたつで読書する間に寝てしまったりした存在しない記憶が、ふと脳裏に生まれるような。そんな感じだ。

 錯覚には違いないが、それがこの「根岸なつかし公園」の持つ魔力なのだと思っておく。また足を運ぶ日を楽しみに。

 旧柳下邸から北東の方角にある根岸森林公園内では、もう一つの近代建築を見た。

 

横浜競馬場(一等馬見所)跡

 

 石棺じみた風貌が、青空の下で夕日に照らされて美しい。そしてとにかく迫力がある。

 最近自分が目の当たりにした近代の史跡の中では、多分これが最も大きいのではないだろうか……。横にあった二等馬見所とパドックは既に解体されてしまっているから、もしも残っていれば、さらに迫力のある光景だったと推測できる。

 横浜競馬場――古くは根岸競馬場と呼ばれたこの場所。

 昭和初期に建造された一等馬見所は第二次世界大戦を生き抜き、1929年の竣工から90年以上が経過した令和の世になっても、変わらず堂々と建っていた。競馬場自体はなんと幕末に造られており、とても古い。日本で最初の洋式競馬場だとされている。

 当時は居留外国人など、限られた人間しか入場を許されていなかった。

 

 土地と設備は第二次大戦後、米軍によって接収されている。返還された後も競馬場としての再興は叶わず、20世紀後半にその役割を正式に終えた。

 一等馬見所を設計したJ・H・モーガンは他にも横浜山手聖公会や、神戸のチャータード銀行ビルなどを手掛けている。

 

 

 そうっと目を閉じてみても馬の駆ける音いななき人々の歓声は耳に届かない。廃墟には廃墟の風が静かに吹いていた。

 周囲を歩けば丸窓の周囲に施されたレリーフや、壁面を這う蔦に強く心惹かれる。今は赤い葉が少しばかり見られるだけだが、夏場に来ればきっと緑のカーテンで覆われていて、それを眺めるのもまた一興だろう。

 一等馬見所跡はいちおう、経産省の近代化産業遺産に登録されてはいるものの、特に何か修復がされているようには見えない。塀で囲まれた前に説明書きのパネルが用意してあるだけだ。

 安全上の理由で立入りができないのはよく分かるので、別の方法で中の状態をひろく公開したり、よりよい状態で保存されるように、何らかの対策が取られることを願っている。

 

 

 以上、ふたつが今回のおすすめの場所。

 興味がある方は、根岸方面にお越しになる際にぜひ。