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《文明開化と近代日本の跡》めぐり|和洋館・産業遺産などの建築物や、当時を学べる博物館【国内旅行&お散歩まとめ】

 

 平成から令和へと、年号が変遷した2019年が過ぎ去った。

 数年前に一人で旅行し始めてから引き続き、今年も決して多くはないけれど、色々な場所を訪れることができた……と思う。特に国内で重点的に巡ったのは明治・大正・昭和初期に建てられた邸宅や史跡。その佇まいから当時の生活や社会のようすを感じるたび、とてもわくわくした。私はすっかり文明開化近代日本の空気に魅せられてしまっている。

 開国に伴って諸外国の事物や人々を受け入れ、取り込み、時には反発したり拒絶したりしながら、著しく発展した明治維新以降の日本。時代背景や人々について深く考えても面白いし、ただ和洋折衷のお洒落でハイカラな雰囲気を味わうだけでも面白い。

 その世界にハマったきっかけは、夏目漱石森鴎外をはじめとした文豪の小説に夢中になったことだったが、最近は美術作品や漫画・アニメ、ゲームと手を出す対象の節操がなくなっている気がする。基本、文明開化や近代の片鱗を示唆するものがあれば何でも楽しくなってしまうので。

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明治期の銀座・煉瓦街の模型

 行った場所はその都度ブログにまとめているものの、まだできていないところも沢山ある。

 そこで今回は、トリップアドバイザー×はてなブログの特別お題キャンペーンに参加するために「旅リスト」を作ってみた。数えてみると、ここ二年ほどで足を運べた近代の史跡はおおむね47カ所、10都道府県という結果に。少ないが、引きこもりがちな自分にしてはまあまあな気がする。来年も無理はせずに出掛ける予定。出不精の聖地巡礼好きの方……って他にもいるのだろうか。いると信じたい。

作った旅リスト:

《文明開化と近代日本の跡》めぐり

 また新しい土地へと足を運び次第、どんどん追加していくつもり。

 今回は旅の振り返りも兼ねて、リストに登録した場所の紹介とその魅力について一部を記載できればと思う。過去に見学済みでブログ記事にしたものはリンクを貼るので、そちらを覗いていただけたら嬉しい。

目次:

 それでは、リスト上で最も件数の多かった東京都内の史跡・施設の写真と感想です。

東京都

 1868年に東京と名を改めた江戸。元号も慶応から明治へと変化した。開国によって、欧州諸国や米国の文化風俗が流れ込み、変化と成長を遂げたこの街には多くの洋風建築が立ち並ぶこととなる。洋食洋装、鉄道電信なども東京を中心として日本全国へと普及していった。

 もちろん、急速な西洋化や新政府の政策には利点弊害の二つの側面があった事実を認めたうえで、私は個人的にそれが面白いと思って調べている。

 当時の政治的重要人物だけでなく、小説家、芸術家、技術者など沢山の人間が集ったのが東京という地。実際にその時代を生きた彼らが後世に遺したものに触れれば、色々なことが伝わってくる。早速出掛けてみよう。

  • 江戸東京博物館

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明治期の浅草・電気館の模型

 好きであれこれ調べているとはいえ、私自身はまだまだ近代日本史初心者のひよっ子だ。何か面白そうな出来事や物を見つけても、それが一体いつ、どんな時代背景のもとに生じたのかが分からないと、全力で楽しむのは難しい。

 墨田区にある江戸東京博物館に行けば、江戸時代から高度経済成長期にかけて東京がどのように姿形を変えてきたのかを、豊富な建物の模型とともに学ぶことができる。もちろん、文明開化期の東京に関する展示も盛り沢山。この博物館の嬉しいところは、今はもう存在しない建物の多くが模型で再現されており、実際の姿を想像しやすい部分だ。

 特に明治23年の竣工で、大正12年の関東大震災で崩落してしまった凌雲閣(浅草十二階)などは、江戸川乱歩の短編《押絵と旅する男》にも登場する、怪しい魅力を纏った建物。また、館内には外交界の象徴だった鹿鳴館のようすを垣間見れるコーナーもある。一部に滑稽だと揶揄されながらも、こぞって洋装に身を包んだ人々を描いた錦絵や、彼らを照らした明かりの一部がそこに並ぶ。

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凌雲閣の模型

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卓上ランプと洋装の人々

 それ以外にも、当時の日本にあった職業の種類や平均的な給料、一般的な庶民の暮らしについて知ることのできる資料も沢山あった。発展の裏側、決して華やかなだけではなかった近代日本の文化的なあゆみを俯瞰しておくと、より散策が楽しくなる。

 博物館で模型や資料を鑑賞したら、現存している建物も実際に見に行きたくなるだろう(少なくとも私はそうなる)。なかでも明治期に来日したイギリス人、ジョサイア・コンドルによって設計された洋風の建築物の幾つかは今でも残っており、人気も高い。

 彼は所謂「お雇い外国人」で、近代日本の西欧化と発展に深く関わりのある人物のうちの一人だ。群馬の草津温泉を愛した、ドイツ人のベルツ博士もこれに該当する。彼らは仕事をしながら当時の日本の様子を直に感じ、時に母国との違いに戸惑い、時には楽しみながら日々を過ごしていた。任期満了後も帰国せず、永住することになった者も少なからずいる。

 コンドルが設計に携わった建物(一部復元を含む)のなかで、私が実際に訪れたのはこれから記載する4カ所。

  • 旧岩崎邸庭園

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洋館部分正面

 明治期の様々な改革のうちのひとつには、地租改正と並んで、「富国強兵」を標語に行われた殖産興業政策がある。政府は日本各地に紡績工場や製造所などの官営模範工場(有名なものだと富岡製糸場)を作らせ、その一部は後に特権商人(政商)へと払い下げられた。

 初期は特に海運業で名を馳せた財閥・三菱の基礎もそんな政商だった。

 三菱の創始者・岩崎弥太郎が土地を買い、子孫が家を建てて住んだ場所がこの旧岩崎邸庭園で、今も台東区に残っている。

 特に洋館部分は非常に状態がよく保たれている、数少ない例。建設は三菱三代目・久弥(ひさや)の時代で、明治19年のことだった。設計者コンドルの母国イギリスで、17世紀に興ったジャコビアン様式と、所々に見られるイスラム風の様式が共存して重厚な空間を形成している。特に階段周辺の圧倒的な空間は必見。

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シルクの天井

 目を瞠るような意匠の天井は、シルク日本の刺繍が施されたものだ。思わず手を伸ばして触れてしまいたくなるほどに美麗。部屋の扉から一歩出ればサンルームに繋がっていて、庭の様子を贅沢に一望でき、岩崎一家の生活への想像がふくらむ。

 2019年12月現在、土日祝日以外の館内が混雑していない日程と時間帯に限り、写真撮影ができる。

  • 三菱一号館美術館

 ここには明治27年に、前述した三菱が丸の内に建てた事務所があった。現在見られるのは、残念ながら元の建物の解体後に復元されたレプリカ。美術館として利用されている。もちろん、コンドル設計時の様式や構造はできるだけ忠実に再現されているので、ただ当時の雰囲気を味わうのには申し分ない。

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側面から

 たたずむ洋館は優美な印象の屋根を上にいただいて、人々を迎えている。今の丸の内はビル街だが、当時は一号館と同じような洋風・煉瓦造りの建物が周囲に立ち並び、まるで異国の街と称されるような様相だったらしい。実際に歩いてみたかった。

 私が三菱一号館美術館で特に魅力的だと思うのは、かつて銀行営業室があった部分。現在は《Café 1894》というカフェ・バーがそこで営業をしている。天井の高い開放的な空間で、柱や天井の木の感じがとても好き。

 公式サイトによると、室内の照明は当時のガス灯を模したもので、発光時の熱を逃がすために上部が切り取られた形状になっているそうだ。関東大震災以前、ガスがまだ光源として多く使われていた頃の他の洋館の室内でも、しばしば似たものが見られて面白い。明治・大正期の照明には後述の「ガスミュージアム」の記事でも言及しているので、そちらも読んでもらえると嬉しい。

  • 東京復活大聖堂教会(ニコライ堂)

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大聖堂外観

 お茶の水にある、東京復活大聖堂教会(通称:ニコライ堂)。竣工は明治24年。訪れたのは銀杏の紅葉が本当にきれいな季節の頃で、周辺を歩くだけでも楽しかったのを憶えている。落ち葉に埋められた道は、一面が金の川みたいだった。それが教会堂ドームの緑青と呼応して一幅の絵のようにも感じられる。

 ニコライ堂の設計図は、大部分が見つかっていないか不完全な状態のものなので、詳細を把握するのが難しい。それでも原設計がロシア人建築家のミハイル・シチュールポフ、そして実施設計ジョサイア・コンドルによるものだったことが分かっている。関東大震災では特にドーム部分が大きな被害を被ったものの、奇跡的に第二次世界大戦時の空襲を免れ、当時は遺体や遺骨の安置場所としても利用された。都度、修復も行われている。

 教会堂として、数多の人々を受け入れてきた建物。外観の美しさ・面白さだけでなく、東京の街を見守り、背負い続けた歴史の重みがそこにはある。

 内部への入場は可能(入場料有り)だが他の訪問客、とりわけ信者の方々になるべく迷惑が掛からないよう、静かに見学を楽しみたいもの。

  • 旧古河庭園(旧古河邸 大谷美術館)

 コンドル設計の建物・4件目は、こちらの旧古河邸庭園。竣工は大正6年のこと。

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山荘風の外観

 黒みのかった外観が特徴だが、不思議と重々しい感じは全くしない。これは神奈川県の真鶴(まなづる)で産出される新小松石が積まれているのだという。建物部分だけでなく、目の前に広がる西洋庭園の設計もコンドルが手掛けており、隣接する日本庭園部分ともうまく調和している。また、玄関扉のステンドグラスを見ると家紋があしらわれているのが分かった。

 内部は見学ガイドツアー開催時に限って一般公開されているほか、喫茶室を利用して1階部分を少し見て回ることができる。実際の洋館でパウンドケーキ紅茶が楽しめて、味もおいしいのでおすすめ。特に晴れの日は快適で落ち着いた時間が過ごせる。

 旧古河邸は昭和の頃に相当荒れ果てていた時期があったらしく、今こうして修復・保存されている姿を目の当たりにできるのが単純に嬉しい。

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西洋庭園

 庭園の美しい薔薇が咲く季節は多くの人々が訪れ、混雑する。それでも足を運ぶ価値がある光景だと思う。

 以上が、コンドル設計の建物の中で私が実際に訪れた場所になる。ここからは他の洋風建築も紹介したい。旧古河庭園からも近いところだと、王子駅が最寄りの青淵文庫、そして晩香廬だろうか。所在地は、いずれも桜の名所である飛鳥山公園の敷地内だ。

  • 青淵文庫

 大正14年竣工。この青淵文庫は、いま新札の顔として話題の渋沢栄一が傘寿を迎え、階級が子爵へと昇格した記念に贈られた建物だった。周辺を歩くと箱のような四角い形状をしているのがよく分かる。工事中に関東大震災を経験したこともあり、強固な鉄筋コンクリート造りになっている。

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外観

 名の通りに書庫として、または賓客をもてなす場として使用された青淵文庫。

 見どころは何といっても、柏の葉のステンドグラスと美しいシャンデリアのある閲覧室だ。シャンデリアの下部には唐草模様があしらわれ、蝋燭が並んだような形状の上部分と調和して格好いい。椅子に腰かけ、棚から引き出した書物をこの空間で紐解く時間は、きっとささやかでありながら贅沢なものだろう。住みたい。書庫に住みたい……。

 今回は入ることができなかったが、二階部分へと続く階段も魅力的だった。

 加えて、家紋に関連した柏の葉が使われているのはステンドグラスだけではない。壁に貼られているタイルにも目を凝らすと、組み合わされた正方形の角に葉の意匠、そしてどんぐりの実が彫られている。何時間でも滞在したくなる空間だった。

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シャンデリア

 ちなみに少し離れて建つ洋風の茶室・晩香廬の方は、青淵文庫より少し前の大正6年竣工で、渋沢栄一が喜寿を祝した際の贈り物だ。写真撮影は禁止。内部には薄い貝殻を利用したランプなどをはじめとした、間近でじっくりと眺めたい調度品の数々がある。そちらもぜひ。

 次は駒場公園の方へも向かってみた。

  • 旧前田侯爵邸

 茂る緑の中から徐々に車寄せのある玄関が見えてくると、今自分が立っているのが一体どこの国なのか分からなくなる。

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玄関

 ここは華族の前田利為が、自身と家族の暮らす場所として昭和4年に建てた洋館。彼が駐英大使館附武官としてイギリス・ロンドンに滞在していた影響なのか、チューダー様式が採用されていた。とんがり屋根が可愛い。

 入口で靴を脱いで上がると、敷かれた赤いカーペットのぬくもりが靴下越しに伝わってくる。私はいち見学人でしかないのに、それだけで賓客にでもなった気分だ。大きな暖炉、扉、そして階段――全てが当時の栄華を偲ばせる。他の多くの邸宅と同じで、主に一階部分が社交やもてなしの場、二階以降が私的な暮らしの場となっていた。

 個人的に好きなのが、階段下の「イングルヌック(イングル・ヌーク)」の空間。これは暖炉周辺に設けられた腰掛けで、寒い時期の憩いの場となる。旧前田侯爵邸のイングルヌックは小さなステンドグラス窓にも面していて、さぞ読書が捗るだろうなと思った。私も家にこんな場所が欲しい。

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良さの塊

 各部屋の天井から釣り下がる照明も、それぞれ違ったデザインになっているので観察のし甲斐がある。何度でも足を踏み入れたい洋館のうちの一つ。

 この旧前田侯爵邸と同じ昭和初期に建てられた家の中で、現在は美術館として使われている建物がある。北品川の原美術館だ。これは銀座の旧服部時計店ビルや横浜のホテルニューグランドなど、近代日本を象徴する数々の建築物を手掛けた、渡辺仁による設計である。

 また、既に当ブログ記事で紹介済み(後述)の東京都庭園美術館も、昭和初期の洋館を利用している。

 

  • 原美術館

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原美術館外観

 昭和13年竣工の原美術館は、もともと日本航空や東京ガスの会長を務めた原邦造の邸宅として造られた。

 周りを囲む古い日本家屋風の塀と、白い館本体のモダンな造形との差が興味深い。中庭に面して円弧を描く建物には、大きな窓からふんだんに陽光を取り入れることができる空間が多く、開放的。館内の古いお手洗いや風呂場はインスタレーション作品に生まれ変わっているのでぜひ見てみて欲しい。

 ここで開催される特別展は毎回面白く、ソフィ・カル「限局性激痛」などが個人的に印象に残っている。カフェで提供されるコラボメニューにも注目。

 残念ながら、原美術館は2020年12月の閉館が決まっているので、行くなら今のうちだ。老朽化と耐震、バリアフリー化の問題を解決しきれないのが主な理由だそう。

 続いて、同じ渡辺仁による設計の旧服部時計店ビルを紹介する。

  • 旧服部時計店(和光)

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時計塔

 旧服部時計店の建物は、街行く人々を長らく見守り続けてきた銀座のシンボル。地名を挙げれば誰もがこの佇まいを真っ先に思い浮かべるだろう。東京の名物・時計塔の「二代目」として昭和7年に竣工したここには、現在和光本店が入っている。もとは朝野新聞が所有していた建物だったが、明治28年服部時計店(現セイコーホールディングス)が買い取り、増改築して営業を始めた経緯を持つ。

 ネオ・ルネッサンス様式を踏襲した優美な時計塔。震災にも耐えうるように選ばれた石の素材と、などに施された繊細な装飾。その外観や建築もさることながら、近代日本の商業のあゆみを今に伝える施設として、平成21年に日本の「近代化産業遺産」に指定された。

 明治6年にいわゆる「煉瓦街」が完成して以来、文明開化のメッカだった銀座の街についてはまたきちんとブログ記事にまとめたい。おいしいお菓子屋や喫茶店、アートギャラリーも沢山あるので、話題には事欠かないのだ。

 近代の洋風建築を見て回ったら、それらが建っていた土地――当時の街の発展を支えたインフラについても知りたくなる。その中でも江戸・東京の「水道」について、簡単な流れを学べる博物館が、ニコライ堂にほど近いお茶の水エリアにあった。

  • 東京都水道歴史館

 ここでは大きく分けて、「江戸上水」と「近現代水道」の歴史、二つの展示を見ることができる。今回は明治維新以降の街について知りたいので後者を重点的に見ていった。

 入館すると、多摩湖に現存する村山下第一取水塔のレプリカが訪問者を迎えてくれる。水色の屋根が良い。

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取水塔

 東京で、本格的に水道の整備が検討されるようになったのは明治7年ごろ。文明開化後の街の発展に上下水道の状態が追い付かず、浄水設備も無に等しかった当時の水質は悪化の一途を辿っていた。そこでオランダから来たお雇い外国人のうちの一人、土木技術者コルネリス・ファン・ドールンの助言も取り入れて計画書を作成したものの、立ちはだかるのは巨額な予算の壁だった。

 やがて恐ろしい病――コレラ(虎列刺)が東京でも流行する。特に明治10年の死者数は膨大で、都市の衛生を整備する重要性が今までと比にならないほど高まった。もちろん、水道も改革の例外ではない。

 紆余曲折を経て、おおむねの工事が終了したのは明治44年。それでも街に居住する人々は増える一方で、二度三度と度重なる拡張を必要とした。上で言及した村山貯水池(多摩湖)も、その過程で生み出された設備のうちの一つだった。今では東京のみならず日本全国で、世界的にも高度な水道設備が整えられている。

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水飲み場

 展示物の中で目立つのは、現在は新宿駅東口にある馬水槽の模型。牛・馬用、犬・猫用、そして人間用の飲み口が一体となっている、とても面白い形をしていた。明治時代後期にロンドンから東京へ寄贈されたものなのだという。大正時代までは実際に使われていたと聞くと心が躍る。

 ここは事前知識がほとんどない状態でも学びやすく、全体を把握しやすい小規模の博物館で楽しかった。

 そして、以下がすでに当ブログへと記録した東京都内の史跡・施設になる。

  • がす資料館 GAS MUSEUM(ガスミュージアム)

過去のブログ記事参照:

  • 東京都庭園美術館

過去のブログ記事参照:

 

 ひとまずはこんな感じ。読者の方々が実際に行ってみたい、と思える都内のスポットはあっただろうか。あったら良いなぁと思う。

 次はリストに加えたものの中から、東京都以外で訪れた文明開化・近代日本関連の場所を順に記録していく。基本的には施設名のみで、写真と感想がまとまり次第ブログ記事にする予定。既存の記事がある場所は、そちらへのリンクを貼った。

旅リスト登録した他県の場所一覧

神奈川県

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八幡山の洋館(明治時代竣工・平成16年に移設と復元)
  • 横浜市開港記念会館
  • 横浜山手の洋館群
  • 神奈川県水道記念館

 神奈川県内で足を運び、まだ記事にしていないのが以上の3つ。特に横浜は、神戸や長崎と並んで開かれた港町のうちのひとつで、文明開化に所縁ある施設が今でも多く残っている。明治5年には、銀座よりも先に日本で初めてのガス灯が灯されたほか、新橋からの鉄道も開通した。当時、蒸気機関車を指して「陸蒸気(おかじょうき)」と呼ぶこともあったそうだ。

 以下は、すでに当ブログにまとめた史跡・施設の記事へのリンクになる。

  • 日本郵船氷川丸

過去のブログ記事参照:

  • 八幡山の洋館(旧横浜ゴム平塚製造所記念館)

過去のブログ記事参照:

  • 箱根登山鉄道

過去のブログ記事参照:

  • 旧柳下邸・横浜競馬場跡

過去のブログ記事参照:

  • 松籟荘跡

過去のブログ記事参照:

  • 元町公園

過去のブログ記事参照:

  • ホテルニューグランド・馬車道十番館

過去のブログ記事参照:

長崎県

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旧香港上海銀行長崎支店記念館

 外国に開かれた港町としては、横浜よりも長い歴史を持つ長崎。1871年には上海と電信が通じたこともあり、近代日本の通信事情や、関連する技術についての展示も市内で複数見られた。

 加えて、洋風建築群の中の白眉である、大浦天主堂の存在は絶対に無視できない。これは昭和に国宝へと指定された後、2018年にユネスコ世界文化遺産のリストにも名を連ねることとなった。当時の大工や棟梁が、西洋から持ち込まれた教会建築の概念を解釈するにあたって費やされた努力の結晶ともいえる。屋根が瓦で葺かれている部分もときめきポイント。

  • 大浦天主堂

過去のブログ記事参照:

  • 旧香港上海銀行長崎支店記念館

過去のブログ記事参照:

  • グラバー園

過去のブログ記事参照:

愛知県

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文化のみち橦木館(旧井元為三郎邸)

 名古屋には商人の家が多かった。

 特に「文化のみち」エリアにある邸宅のうち、旧豊田佐助邸と旧井元為三郎邸の佇まいがとてもいい。例えば東京の旧岩崎邸のような重厚さはないが、細部をじっくりと観察すれば、施された図柄や衣装のこだわりに触れられる。賓客の接待よりも、実際の家族の暮らしに焦点が当たっているような、こじんまりとした魅力に溢れていた。

  • 名古屋市市政資料館

過去のブログ記事参照:

  • 旧豊田佐助邸・旧井元為三郎邸・旧川上貞奴邸

過去のブログ記事参照:

  • 揚輝荘(聴松閣)

過去のブログ記事参照:

  • 博物館《明治村》

過去のブログ記事参照:

群馬県

  • ベルツ記念館

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展示品

 お雇い外国人として、明治9年に日本へやって来たドイツ人のエルヴィン・フォン・ベルツ。今や「近代日本医学の父」とも呼ばれる彼は、澄んだ水と空気に満ちた草津の地をたいそう気に入って評価しており、現地には彼の功績と生涯を伝える記念館が存在している。位置は道の駅(草津運動茶屋公園)から歩道橋を渡って向かい。

 彼の出身国を意識してなのか、温泉街周辺の建物も、ドイツらしいハーフティンバー様式風のものが多かった。

過去のブログ記事参照:

栃木県

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明治期に内閣総理大臣や大蔵大臣を務めた、松方正義が開いた千本松牧場

 記事序盤で言及した明治の殖産興業政策で、栃木の広大な那須野が原にも開拓の手が伸ばされた。

 人の居住に向かなかった地をどうにか活用し、日本の近代化への礎を築く一端にできないかと試みられた事業と取水施設の跡は、現在国の重要文化財として指定され保存されている。また、松方正義が開いた千本松牧場の片隅には彼の別邸「万歳閣」がひっそりと建っている。

  • 那須疎水・千本松牧場

過去のブログ記事参照:

岩手県

  • 岩手銀行赤レンガ館

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銀行外観

 明治44年に竣工し、盛岡銀行本店として営業を始めた赤レンガの建物。建設にあたっては、日本銀行本店も手掛けた建築家・辰野金吾と、東京駅の設計に携わった葛西萬司が名を連ねている。今は博物館のように一般公開されているが、2012年までは現役の銀行として営業していた。

 付近には美しい火の見櫓を持つ紺屋町番屋の他もりおか啄木・賢治青春館もあり、近代の史跡や文豪好きとして訪れないわけにはいかず、気が付いたらその目の前に立っていた。楽しかった。新幹線なら関東から盛岡もあっという間だ。

  • 紺屋町番屋

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火の見櫓

石川県

  • 尾山神社 神門

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三階の窓はギヤマン張り

 金沢にある尾山神社の神門は最上部に避雷針が取り付けられているほか、意匠に和洋中の要素が少しずつ取り入れられた、国内でも珍しいタイプの建築物だ。竣工は明治8年。石積みのどっしりとした三連アーチと、その上に重なる欄干の意匠が美しい。

 また、最上階の小部屋の窓はギヤマン張り(ステンドグラス)になっており、光が灯ると何とも言えない怪しい雰囲気を周囲に漂わせる、魅力的な史跡だった。

  • 石川県立歴史博物館

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赤レンガ館

 こちらは現在、石川県立歴史博物館として使われている赤レンガ建物3棟。もともと陸軍の兵器庫で、なかでも一番古いものは明治42年の竣工になる。屋根の飾りも窓も良い。平成2年には国の重要文化財に指定された。

 雨の多い県と称されるだけあり、訪れた際も生憎の土砂降りでしたが、それもまた一興…… でもちょっと寒かった。

北海道

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旧北海道庁舎

 北海道の近代建築は開拓使に関係するものが多い。建物の何処かに北辰旗、すなわち赤い星のシンボルを見つけるとわくわくしてしまう。

 だがそれだけではなく、現地に昔から暮らすアイヌの人々と日本人との関わりや、明治維新後の入植がもたらした様々な影響や軋轢、闇の多い歴史について学べる場所も各地にあった。私は純粋に当時の雰囲気を楽しむことに主な関心を持っているが、史実を知らずして妄想は楽しめない。現代に生きる人間として深く考えるべきことも多い。

 加えて、余市では近代化産業遺産に指定されている、ニッカウヰスキーの蒸留所へ足を運んだ。NHKのドラマ「マッサン」でおなじみの風景が見られたほか、竹鶴政孝がウイスキーへと傾けた情熱と、日本に来て傍らでそれを支え続けたリタの生涯の一端も覗くことができた。

  • 北海道庁旧本庁舎・豊平館・サッポロビール博物館

過去のブログ記事参照:

  • 小樽運河・手宮線跡・ニッカウヰスキー余市蒸留所

過去のブログ記事参照:

静岡県(おまけ)

 この韮山反射炉は安政4年に竣工しており、明治までに稼働がほぼ終了しているので、文明開化の時代以前の史跡になる。それでもリストに加えたのは、平成27年にこの場所が「明治日本の産業革命遺産」としてユネスコ世界文化遺産に登録されたからだ。

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韮山反射炉

 開国後に日本が西洋の技術を直接取り入れるより前、見聞技術書から得る知識のみに基づいて行われた、試行錯誤の数々。その結晶ともいえる韮山反射炉は紛れもなく、近代日本産業とその発展を支え、国力の増強に貢献した痕跡を残す貴重な遺産だった。

  • 韮山反射炉

過去のブログ記事参照:

最後に

 実際に各地へ足を運び、いろいろ感想を書いてはみたものの、近代日本史も聖地巡礼も初心者の自分。登録した場所の魅力のうち本当に一端しか紹介できていないが、追々単体の記事としてもまとめていく予定なので、興味を持って下さった方はまた覗きに来てほしい。新しい場所も少しずつ開拓していくつもり。

 今回作成した旅リストを見て、あるいはこの記事を読んでみた結果、何だか文明開化や近代の雰囲気って面白いな、関連する場所をお散歩してみようかな……と思ってくれる人が少しでも増えたら私はとても嬉しく思う。同士が少ないため仲間をいつも探している。

 趣味が合いそうな人が居たらお友達になって、いつか一緒にツアーをするのが夢です。何卒、よろしくお願いします。

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