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彷徨する自由帖

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『選ばれし者』と『選ばれざる者』の物語が好き

 

 選ばれし者(The Chosen One)という大層な響きの言葉を聞くと、何だか心がムズムズしてくる人……は読者の中にもきっと少なからずいる。それが好意からなのか、はたまた嫌悪からなのかはまだ判断せず、据え置いておこう。

 ごく個人的な話になるのだが、最近は特に「神に愛された人間」「天から才を与えられなかった人間」の間に生まれる愛憎ほど、読んでいて心揺さぶられ高揚する物語は無いと実感している。互いに目の前の相手が自分の最も欲する何かを持っているのに、どんなに頑張ってもそこには絶対に辿り着けないし、分け与えることも、逆に貰うこともできない。そんなお話が大好きだ。

 こうして考えるだけで胸が熱くなってきた。いくらでも読んでいられる。

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鏡写し

 では、私は彼らが紡ぐ物語の、一体どんな部分に魅力を見出しているのだろうか。

選ばれし者

 この記事中では、色々な物語に出てくる「選ばれし者」達を「才能ある人間」だと定義したい。もちろん、それぞれの話の内容によって細部は異なるものの、共通項や似ている要素も沢山ある。とりあえず一つの例として人物像を形作ってみた。

 彼、もしくは彼女は、生まれながらにして何らかの分野で特筆すべき能力を持っている。あるいは、人生のある地点でそれが発現する。

 芸術、武術、運動、記憶力、言語力、商才など……なんでも良いが、いずれかの能力を活かし常人には到達できない領域にいて、常人とは全く違った視点から世界を見ている。ある物事において特別な努力をしなくても偉業を達成できてしまう。本人が望むか、望まざるかには全く関わらず。そんなよくある設定だ。それのみで話が進む場合もあるが、せっかくなので幾つか「難のある部分」も追加してみよう。

 稀有な才能は、時に周囲の人間を萎縮させ遠ざける。大多数の普通にうまく同調できず孤独を感じる時もあるだろう。幼少期から、年齢に見合わない異様な能力の片鱗が見られた結果、家族に気味悪がられてしまうこともある。逆に能力を評価し、もてはやしてくれる存在がいても、その人自身に興味を持たれているわけではない場合も多い。良くも悪くも注目を集めやすく、心を許せる理解者は探しにくいのだ。似た境遇の人間がなかなかいないから。

 また、何らかの分野で優れた才能を発揮できたとしても、その他の行為まで同じように完璧にこなせるとは限らない。皆にできないことができるのに、皆にできることができない辛さ。仮に、その人間の突出した能力が社会や環境に必要とされにくい性質のものだったら、いとも簡単に「役立たず」の枠内へと入れられてしまうような諸刃の剣が才能といえる。

 このように数々のものを抱えた「神に愛された人間」は、単体の存在でも面白い。だが、物語をより興味深くするために、その側には対比となる人間がいてほしい。

 

選ばれざる者

 それでは「選ばれざる者」の方――ここでは「天から才を与えられなかった人間」と定義する側のことを考えてみよう。

 彼、もしくは彼女には、目標とするものがある。何か成し遂げたい事柄がある。現時点では不可能に見えていても、いつか必ず結果を出す――と、強く心に決めていた。

 自分に特別な才能がないと自覚している分、努力に割く時間と熱量は人一倍。この場合、頼りになるのは感覚ではなくて思考だ。「なんとなく」で取り組んでも決して上手くはいかないため、いつも工夫を重ねたり、改善点は何処にあるかと頭をひねったりしながら、成長できる方法を考え続けている。ただ望むだけでは何も手に入れられないから。

 日々研鑽を重ねる姿は多くの人間の手本となり、周囲から慕われる。しかしながら、その向上心の強さ現実との差異ゆえに、常に苦しみと隣合わせなのが「選ばれざる者」なのだった。

 身も蓋もないことを言えば、どんなに凡人が努力を重ねたところで天才には敵わないのである。何の努力をせずとも、いとも簡単に全ての頑張りの上を行ってしまうような圧倒的なもの、光り輝くもの、化け物じみたものこそが才能と呼ばれるから。たまに「磨かなければ才能だって枯れる」と言われるが、その程度なら本物の天才ではない。

 どう足掻いても越えられない壁が無数にあり、上から降り注ぐ光をじっと見据えようとすれば、眩しさで目がつぶれてしまう……。天から一物も与えられなかった側は、世に散らばる天才達の存在を意識して無力感に苛まれたり、時にはあえて無視したりしながら、自らの願望を追いかける。彼らが全く別の場所に存在していたのならば、それぞれの人生を喜びや悲しみとともに過ごし、身の丈に合った人生を終えられる可能性が高い。

 だがもしも、どこかで「選ばれし者」と「選ばれざる者」がばったり邂逅してしまったとしたら――?

 そうすると、当事者にとっては本当に辛く、傍観者にとっては最高に滾る物語がスルスルと幕を開ける。とても美味しい。

 

二人の物語

 天才と、凡人の努力家。大抵の場合だと彼らは出逢わない方が幸せだ。噂や新聞、書籍、テレビ越しにぼんやりと存在を認識するか、あるいは遠くから眺める程度で、互いに関わりが薄ければまだ救いがある。

 だが私が見たいのは、この二人が親友や恋人、家族などの特別な関係性にあったとき発生する、複雑かつ強力な感情の動き。冒頭でも述べた、愛憎に他ならないのだった。

 彼らにとって互いは無くてはならないものであり、何かが起きれば助けたいし、決して失いたくない……と思える人間。両者の間に「才能」という溝を作ることで、まずはそこへ羨望が流れ込んでくる。

 この場合、「選ばれざる者」が「選ばれし者」へと向ける眼差しは想像に難くない。どんなに頑張って努力しても、決して手に入れられないものを持っている、本当に大切な存在。他の全てを差し置き、ただ才能を如何なく発揮する背中を見ているだけで、強い憧れを感じるだろう。身近に天才がいるのが誇りだと言うかも知れない。おそらく、何かを目指している者として、優れた人間の美しさを最も理解できるのは凡人の側なのだ。

 それは「選ばれし者」にとっても同じだった。彼は彼の能力が、自分の意思とは無関係に与えられたものであることを、必ずしも良いと捉えていない部分がある。何も望んでいないのに、気が付いたらできるようになっていた事柄の数々。やろうと思わなくてもできてしまう、もしくはやらずにはいられない、呪いのような才能。生きている限りそこから逃げることはできない。彼にしてみれば、自分自身で道を選択しながら歩む「選ばれざる者」の姿こそが、憧れだった。

 一方は、何の追随も許さない天賦の才。

 もう一方は、自らの意思で道を切り開く努力。

 ――目の前の相手が、自分の最も欲する何かを持っている。繰り返すが、彼らはここで全くの他人ではなく、何らかの強い繋がりの上に関係を築いている。便宜上、親友としておこうか。初めは隣に立つ互いの姿から色々なことを学び、刺激し合いながら歩んでいたものの、やがてとあるに苛まれるようになってくる。

 そう、次に生まれるのは憎しみ罪悪感だった。

 血のにじむような試行錯誤の末に「選ばれざる者」は思う。ここまでしても、凡人の自分は「選ばれし者」の足元にも及ばない。そして、これからもその距離が縮まることはないだろう。あらゆるものを捨てる覚悟で人生を賭しているのに――。身近な天才は反対に、何も特別なことをせずとも、自分の欲しいもの全てを手に入れてしまう。そして、時折「僕は別にこれを望んだわけじゃない」と口走り、困ったように笑うのだ。やりきれない。相手は決して自分を馬鹿にしているわけではないのに、そう感じてしまう。

 単に憎たらしいと一蹴してしまえば良かったのかもしれないが、相手は大切な友人でもあった。もう顔も見たくないのと同時に、たった一人のかけがえのない存在であることは疑いようのない事実。相手に向ける、一種の的外れな羨望と嫉妬が、平和な関係を狂わせる。

 この人間が憎い。けれど親友に対してそんな感情を抱いてしまうことが、情けない。

 苦悩する「選ばれざる者」を見て、「選ばれし者」もまた苦悩していた。

 天才に言わせてみれば、自分など何もしていないに等しいのだ。ただ息をするようにできる一つのことをすると騒がれ、賞賛され、祭り上げられる。他はさっぱりできないのに。周囲の人間は「君は僕達凡人と違うから」と距離を置いてくるし、脇に佇む親友にはいつのまにか憎まれている。何故お前だけが、と。彼がそこまで望むなら、得たいと願ったことすらないこの才能を、どうぞと手渡してしまいたい。でも、それは絶対にできない。

 そのうち、僕さえ居なければ彼は幸せだったのかもしれない……とすら思い始めてしまう。誰よりも一生懸命頑張っているのに、自分という比較対象が存在するから、苦しんでいる。ただ、二人並んで仲良く歩んでいければ、きっと楽しかったのに。この忌々しい才能さえなければ、僕も人並みの静かな生活を送れたはずなのに……。

ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー

 こんな風に、いくら考えてもどうにもならない感情と事柄に挟まれて、身動きの取れなくなった彼らが最後にどんな選択をするのか。私はそれに興味がある。本当に面白い。たとえ彼らの前に続く道が、悲しく救いのない結果へと繋がっているのだとしても。

 『選ばれし者』と『選ばれざる者』の物語を嬉々として手に取るのは、いつになってもやめられそうにない。