先日、アニメ版《鬼滅の刃》を第26話まで視聴した。
細部の変更はありつつも原作漫画の良さが損なわれず、そこに加わった音楽や色彩、動きも綺麗で、見ていてとても楽しかったのを思い出せる。今は2020年公開予定の劇場版(無限列車編)が待ち遠しい。キャラクターはみんな好きなのですが、特に鬼舞辻無惨が気になります。ふとした瞬間、無惨様が登場するページをつい開きがち。
あと麗しの珠世さん。
作品の舞台は、大正時代の日本だ。
フィクションではあるものの実際に存在する場所が度々描かれており、例えばアニメ第七話で主人公一行が浅草に辿り着いた際は、暗闇に浮かぶ電気館風の建物や凌雲閣の姿が確認できる(これは史実だと大正12年に関東大震災で崩落している)。
当時、庶民生活の光源として蝋燭や石油による炎もまだ利用されていたが、街では頻繁にガス灯も見られたほか、特に震災以降の一般家庭で電気が少しずつ取り入れられ普及するようになった時代――。
私はこれらの明かりの描写が好きだ。作品中では基本日没後にしか「鬼」が活動しないので、必然的に画面を占める夜の割合が多くなる。暖かくも怪しげな各照明の光は、やはり現代のものとは雰囲気が大きく異なっていて、目に面白い。
そんな近代日本の明かりの中でも、ガス灯についての資料が展示されている場所が、東京都の小平市にある。
明治~大正初期の街の様子を考える手掛かりが並んでいて、電気が照明として広く利用される以前の礎を垣間見ることができる、とても楽しいところだった。
公式サイト:
GAS MUSEUM がす資料館
最寄りの小平駅からは徒歩約20分。他の駅からバスに乗る選択肢もあるが、どちらにせよアクセスの良いとは言えない微妙な場所。
それでも、視線の先に二棟の煉瓦の建物が見えてくると、確かにわくわくしてきた。
東京ガスの運営するガスミュージアムは「ガス灯館」と「くらし館」の二つで構成されており、いずれも貴重な明治の建築物を移設・復元したものだ。
上の写真に写っているのは前者で、1909(明治42)年竣工の、元東京ガス本郷出張所。展示品には各種ガス灯のほか、近代日本と文明開化の空気を偲ばせる錦絵(版画)の数々がある。
私が訪れた時には特別展《明治の博覧会 知識と娯楽のフェスティバル》が開催されていた。派手なお祭りの印象がある博覧会だが、そもそもの始まりは医薬・博物などの研究にまつわる、学問的要素の強い品を展示公開する催しが由来だったという。
館内は二階建ての構成になっている。足を踏み入れると迎えてくれるのは、すりガラスに描かれた「花瓦斯(はながす)」の絵柄。
これは花火のように金属との炎色反応を利用したカラフルなもので、今でいうネオンサインやイルミネーションのように、看板やお祭りの装飾として使われていたらしい。雅なものだと思う。
ホールの隅に設けられたスペースでは、定期的にこれの実演点灯が行われているようだった。
展示は、人々が木々や蝋燭を燃やして光を得ていた頃の道具から始まる。江戸時代までよく利用されていた松灯蓋や提灯、行燈など……。
いずれも広範囲を照らすことはできず、時には煙や油の臭いが発生する特徴があった。
そんな中、明治初頭になると新しい照明として初めて横浜でガス灯が灯され、東京・銀座の煉瓦街も後に続くことになる。数々のガス事業もそれに伴って開始された。ちなみに、一万円札の新しい顔として選ばれた渋沢栄一は、東京ガスの創始者のうちの一人だ。
19世紀初頭にイギリスで使われるようになったガス灯。その影響もあってか、日本国内に設置されていた当時の街灯本体は、イギリスで製造されたのを輸入して使っていたものが多い。
点灯と消灯は今のように自動ではないため、すべて「点消方」と呼ばれる職業の人間が手動で行っていた。朝夕には会社名の書かれた法被を着て鞄をしょい、棒を片手に街を走り回る、彼らの姿が見られたのだそうだ。
公式サイト内のページを参照したところ、彼らが寝坊をすると朝にガスの火が消せないため、点消方を勤める人間は結婚していなければならなかったという(起こす人がいないと困るから)。私は起床が大の苦手なので、目覚まし時計の無い時代に生まれたら大抵の仕事をもらえなかったと思う。何とも恐ろしい。
日本の近代はこうした街灯が普及しただけではなく、急速な西洋化や機械化が進んだ時代だった。宵の闇は少しずつ、暗がりに跋扈する妖や幽鬼よりも、ヒトの側を受け入れるようになったのだ。
《鬼滅の刃》ではずっと住んでいた山や村から離れて、妹・禰豆子を連れ浅草に足を踏み入れた炭治郎が『街はこんなに発展しているのか!? 夜なのに明るい!』『都会って……都会って……』『眩暈がする』と零していた場面や、蒸気機関車(無限列車)を前にして騒ぐ伊之助が善逸に呆れられる場面がある。
近代は常に足と頭を動かさなければ取り残されてしまう程のスピードで、あらゆるものが変わっていったのだろう。発展と共にもたらされた素晴らしい利点もあれば、弊害や、便利さという光が容赦なくかき消してしまったものも多くある。
後世に生まれた私は、ただそれを興味深いと楽しんで調べているだけだが――。
さて、話を明かりの方に戻そう。
蝋燭と比べるとマシとはいえ、まだ光の弱さが懸念だったガスの明かり。そこで炎の核としてマントルが発明・使用されるようになってから、ガス灯は従来の数倍もの明るさを提供できるようになった。
明治10年以降には室内灯として注目され始め、日露戦争終結(明治38年)後は好景気も後押ししてか、今まで街灯や一部の施設(鹿鳴館や新富座内など)で使用されていたガス灯も、一般家庭で徐々に使用されるようになる。
余談だが、ガス灯の明かりが鹿鳴館の窓から漏れるのを眺めた当時の人々は、それを「透き通った家のようだ」と形容したらしい。なかなか素敵な例えだと思う。
展示品の室内ガス灯の一部を見てほしい……とても、美しくはないだろうか。下の写真に写っているのはいずれも壁掛け式のもの。
右の花柄ランプはまるでティーカップのような風体で、傘から繋がる緑色の管(アームという)は、どこか植物の茎と萼(がく)を連想させる。暗い室内で柔らかに咲く姿をこの目で見てみたい。もう一つの方は半透明と青のグラデーションで、さながら貴婦人のスカートを縮めて飴で固めた工芸品だ。表面に施されている細かな模様の細工は、本物のレースじみている。
単にガスの燃焼で光を得るだけではなく、見た目でも部屋の雰囲気を明るくできるのが伝わってきて、その雅な雰囲気に引き寄せられ集う人々のことを思い浮かべた。
やがて生活の主な光源の立場を電気に譲ることになるものの、当時のガス灯は洋食や洋装と並び、まさに文明開化の象徴のようなアイテムだったのだろう。
もちろん地域によるが、明治の頃に出現したガス給湯器やガス暖房もそれに続いて、昭和初期までには多くの庶民の暮らしになじんでいた。果たして炭治郎たちは、そんな時代の変遷をどう感じていたのだろうか。
余談だが、私は鬼殺隊の隊服である黒い詰襟と羽織の組み合わせが大・大・大好きだ。大正ロマンの香りがする。
近代日本の様相を調べたり学んだりする上で、歴史や文化の華やかな面ばかりを見ているわけにはいかない。鬼がいて実際に人を喰っていたか……は確かめようがないが、そうでなくとも本当に激動の時代だったと思う。
震災や戦争はあったし、便利さを享受できるものとできないものの格差もひどかった。それでも、私は現代に残された当時の煌めきこそを注視して探していたいし、これからもきっとそうする。趣味だから。
これは展示室の片隅に置いてあったもので、帰り際に見つけた。どこぞの洋館のダンスホールにでも設置してありそうな佇まいだ。天使が担ぐ壺と、そこから延びる枝々。
空想をする。豪奢な照明器具の、全ての枝の先にフッと灯りが点る瞬間を視界に収めたい――。でも、見逃さないようにじっと目を凝らしている間は微動だにしないのに、気を抜いてどこかへ意識をやった瞬間には既に火が着いているんだろう。
橙と白色に輝いて。頬に感じる熱に驚き、次に瞬きをしたら最後、もうそれらはきっと跡形もなかったように消えている。
なんとなく、雰囲気にそう思わされたのだった。
追記:
ご紹介いただきました!
アニメ化もされ大人気の漫画『#鬼滅の刃』。
— はてなブログ (@hatenablog) December 13, 2019
千野(@hirose_chino)さんはアニメの中でも特に明かりの描写に目が行くそうです🔥
こちらのエントリーでは、千野さんがガスミュージアムへ行った際のことが、鬼滅の刃に絡めて書かれています👹https://t.co/Z8amy5Q64M
また、漫画本編でかまぼこ隊と宇随さん一行が活躍した、新吉原遊郭付近を歩いてみた記録は以下です。
お時間ありましたらぜひ。