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彷徨する自由帖

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聖夜譚|お屋敷のクリスマス

 

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 古い洋風邸宅を見学するとき、私はいつもこんな感じの妄想をしている。

【聖夜譚】

 体調を崩すと著しく食欲がなくなる。それでも、何かを口に入れないと弱る。ならば逆に、わずかでも飲み食いできるうちはまだ、人はこちら側の世界に根を張っていられるのだ――とも思えた。黄泉や冥界ではなくて、現世の食べ物を喫することができる限りは。今はこうして考え事をする余裕があるが、やがて熱が容赦なく上がり、意識も朦朧としてくるのだろう。

 先日、流感が猛威を振るっていると小耳に挟んだ。それでも、家族の中で臥せっているのは自分だけで、どうしようもなく情けなかった。身体が弱い。年に数回は必ず倒れて、周囲の人間に世話されるままの状態に陥ってしまう。

 寝台に沈み、霞む目で天井の花柄と葡萄の蔦のような照明の飾りを眺めながら、できるだけ深く息を吸い込んで吐き出した。陽光は厚いカーテンに遮られて届かない。母がさっき切ってくれた西洋梨は、表面がきらきら光っていて甘かった。

◇      ◇      ◇

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「貴女は日がな一日寝ていれば良いのだから、さぞかし気が楽でしょうね」

 舶来のエプロンと呼ばれる布を身に付けた一番上の姉に、そう言われたのはひと月ほど前のことだった。

 というのも都の方でかなり大きな地震があり、この屋敷も諸々の影響を受けたため、皆が修理や掃除に追われていたのだ。一応華族の端くれとはいえ、今はもう沢山の使用人を抱えられる余裕などなく、父母を含む家族六人は総出で何らかの作業に当たっていた。その折に熱を出した、私以外は。

 他の何よりも先に、安静が必要な私のための部屋が整えられた。浴室の側の、緑を基調とした寝室。そこで横になり休んでいた際に、コップの水を換えに来た姉が、ただ寝ていられる貴女のことが心底羨ましい……と呟いたのだ。私は申し訳なさで一杯になる。普段は弱音も悪口も一切言わない彼女が、今、その両肩に載せているものの重さをはっきりと感じたから。

 突然の縁談が持ち込まれた矢先、こうして運悪く地震にまで見舞われてしまって。探求心や向学心の強い姉だから、家の雑事より他にやりたいことも山ほどあるのだろう。それでも長女という立場にいる責任感から、常に自分は二の次で、何が必要とされているのかを真っ先に考えて気丈に振る舞う姿勢を崩さなかった。

 例の殿方とのお見合いが上手くいけば、私達の生活も少しは楽になる展望があるらしい。そこに、彼女自身の意思がどのくらい介入しているのかは分からない。

 姉さん、ごめんね。私には何もできなくて。助けてあげられなくて。そう口にすると姉は悲しげに眉を寄せて、今言ったことは忘れてね、本当にごめんなさいと告げて私の額を撫でた。塗料で淡く色がつけられ、綺麗に整えられた爪をじっと見つめていたら、体調が良くなったら貴女にもやってあげるわ、と言って柔らかく微笑んでくれたのを憶えている。

 家の片付けは少しずつ進んだが、西棟一階の割れたステンドグラスと、折れてしまった煙突の幾つかは未だそのままだ。暖炉が使えるのは今私が寝ている部屋だけ。代替として、食堂や居間には瓦斯ストーブを持ち込んで、暖を取ることになった。

◇      ◇      ◇

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 回想をしていると激しい頭痛が襲ってきて、手繰る記憶の糸が途切れる。

 現在の症状は明らかに流感のものだが、どうにか収まらないものか。このままでは家族にもうつしてしまう。それに明日は大広間で、楽しみにしていた「クリスマス」の催しがある。同じ耶蘇教徒の方々や、昔から交流の深いご家族も招待して開かれる、ここ数年のささやかな楽しみなのに――。残念ながら出られそうにない。遊びに来ると言ってくれた友達にも、ことづてのお手紙を書かなければ。

 引き出しに手を伸ばそうとして激しく咳き込み、前のめりになった。全身がきしんで強烈な痛みが走る。まるで心臓が鼓動するたびに後頭部を殴打されているような感覚があり、いっそこの脈を止めてしまいたいとすら思った。

 息を吸おうとすると何かが喉に引っかかり、間髪入れず肺の奥から空気が押し出される。また激しい咳。数分間それが続いた後に枕元の水を口に含んで、ようやく解放されたと布団に沈み、肩まで毛布を掛けた。熱があるし汗までかいているはずなのに、寒くて寒くて仕方がない。その相反した感覚が何とも言えず恐ろしく、寂しくて、きつく目を閉じた。どうか、私をこの世界に繋ぎとめて欲しい。そう願いながら。

 やがて戸棚にあしらわれたレリーフの蝶々も、薪の小さく爆ぜる音も全てが遠ざかって、暗闇の中に消えた。

◇      ◇      ◇

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 気が付くと、寝巻の格好のまま部屋の真ん中に一人立っていた。戸棚やランプの位置も、絨毯も何も変わらないのに、さっきまでの息苦しさや体の痛みは別世界に来たかのように感じない。頭が妙にすっきりしている。また、目の前の暖炉の火は殆ど潰えているのに、特に寒いとも思わなかった。これは夢、なのだろうか。

 かさりと物音がしたので振り向くと、視線の先で、真っ赤な服に身を包んだ白髪白髭の御仁が荷解きをしていた。柔らかそうな帽子と長靴を身に着けた、恰幅のよいお爺さん。それはかつて、級友と回し読みした雑誌に描かれていた姿、そっくりそのままだ。

 ――サンタクロース。

 思わず声に出していたのか、彼はこちらを一瞥してにこりと笑った。笑顔を作ると目が細くなって、ふさふさの眉毛の奥に隠れて見えなくなる。ゆっくりと接近してきたかと思えば、差し出されたのは質素な六つの箱。それぞれに家族の名前が書かれていた。中には、私の分もある。

「夜に煙突から贈り物を投げ入れるのが最近の習わしでね。まあ、昔は全然違ったんだが……ともかく、この家は修理中のようだからそれができなかったんだよ。きちんと暖炉に繋がっているのは、君の部屋だけだった。少しお手伝いを頼んでも良いかね? ただ家族の皆に小箱を配るだけの、簡単なお仕事だよ」

 穏やかな声で彼は語る。渡されたそれらは、六つ全てを集めても両手に収まるくらいの大きさだけれど、ずしりと重かった。

「来年も、君達が幸多き日々を送れますように」

 言葉がひとつ追加で落とされて、顔を上げると赤いお爺さんは消えていた。

◇      ◇      ◇

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 目を開けると、眠りに落ちる直前まで見ていたのと同じ天井が明瞭に見えた。草花の柄と、葡萄の蔦のように優美な形状をした、照明の飾り。布団の周りを探ったけれど小箱らしいものは何も無くて拍子抜けした。あのサンタクロースも贈り物も、熱に浮かされて見た夢に現れた、一夜の幻だったのだろうか――。

 考えてみれば、そもそも私に家族はいない。高貴な血筋の出でもない。現在住んでいるこの豪華な邸宅だって、縁あって間借りをしているだけだ。所有者の一家が外出しているから今日は他に物音もしない。自分は風邪にかかってこの体たらくだから、ちょうど良かった、と思う。止まらない咳でウイルスを撒き散らして迷惑をかけたくはない。

 かつてこの部屋に住んでいた少女は夭折したようだが、実に沢山の記録を残している。主に日記だ。月日が経過し、年号が三度変わってもなお、それらは屋敷の地下に綺麗な状態で収められており、当時の生活を考える際の貴重な資料になっている。ときおり、課題の参考にと他の学生が訪ねてくる場面にも遭遇した。

 調査許可を得て此処に滞在し始めてからもう一か月になるので、そろそろ立ち去り時だろう。屋敷の所有者一家は見知らぬ私にも親切にしてくれて嬉しかったし、全てが興味深い体験だったが、時間を見つけて荷造りを進めなければ。

 水を飲む代わりに、枕元に用意した、自分で切った梨を食べる。しばらく放置してしまったので少しパサついていたが、荒れた喉にはその甘さが染みるようだった。

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 建物巡りをするたび、こんな情景を思い浮かべては楽しんでいる。妄想は良い。

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