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とても正気じゃ暮らせない世界で、静かな熱狂の麻酔を切らさない:HSPの生存戦略

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防衛

 

  • ハイリー・センシティブ・パーソン

 HSPHighly Sensitive Person, 直訳すると「とても敏感な人」)という言葉の知名度は、少しずつ上がってきているように思う。それに伴って、自分はHSPだと自認する人の数も増加しているのではないだろうか。

 これは米国の心理学者・アーロン博士が1996年に初めて提示した概念。社会の中で、およそ5人に1人が該当すると推測される、特定の性質を示す名前だ。

 HSPは具体的に、

 

①物事を深く考え処理する

→ 時間をかけて一つのことを考え、その本質を見極めようとする。

マルチタスクが苦手。

思考することを好み集中しやすいが、用心深く、行動を起こすまでに時間がかかる。

また、表層を見ただけでは分からないことに思い至る。

 

②外部からの刺激を過剰に受けやすい

→ 一人でいられる時間や静かな空間から離れすぎると疲れてしまう。

目の前にいる相手の挙動、周囲の環境から常に多くの情報を得ているので、その状況が楽しい・楽しくないかに関わらずストレスは蓄積しやすい。

 

③共感能力が非常に高い

→ 小説や映画の登場人物の感情が、まるで自分のものであるかのように流れ込んでくる。

他人の気持ちに寄り添うことができる分影響も受けやすい。

TVなどの画面越しであっても、激昂している人や叱責されている人を見ると、落ち着かない気分になる。

 

④些細なことを察知する

→ 五感が鋭く、変化に敏感。

人によってはごく小さな音や風の動き、かすかな光が気になって、思考が中断されたり眠れなくなったりする。

他人が感知していないことも無意識下で認識していることがあり、直感が当たりやすい。

 

といった、四つの特徴を併せ持つ人間とされている。(参考:HSPとは?

 

 外部からの刺激――音や光、色、匂い、加えてニュースなどの情報、ヒトの動向や情動――にひどく敏感な者にとっては、普通に生きて日常生活を送ることそのものが、ごく簡単に苦しみに満ちた凄惨な行為になりうるので困る。

 何を仰山なと思う人もいるかもしれないが、これはHSPの特徴に当てはまる性質の私達からすれば、紛れもない事実なのだ。

 些細な刺激は積み重なって大きくなり、時には普段の生活に異常をきたす。仮にそこまではいかなくとも、常に自分には何らかの負担がかかっている。他の人間が殆ど気にしていないことに著しく心身を害されるのはとにかく過酷なのだ。理解もされない。

 それはまるで、小さな不可視の地雷が隙間なく、地面や壁のそこかしこに埋まっているような状況。苦しみがもたらされると分かっていても、大多数に合わせながら社会生活を送るうえでは、それらを踏み抜かなくてはならない。

 普通に考えて、とても正気ではいられないだろう。

 だが、そんな世界でもどうにか生き抜くために、私は自分にある種の「麻酔」をかけ続けることを決めている。それは自分の生まれ持った性質を抑えたり秘匿したりするのではなく、むしろその逆で、難のある点をうまく変換し利用しようとする試みだ。

 ある種の生存戦略、とでも言えるかもしれない。

 

  • 難儀な性質を逆手に取る

 苦しみの中でも人間の体裁を保つ方法は状況によっていろいろあるが、最も多く利用しているのは、上で挙げた性質のうち「高い共感能力」と「一つのことを深く考える傾向」だ。私の場合は、これらが一番強力で使いやすいクスリになる。

 だが詳細を人に説明するのがかなり難しい......。

 要するに、あまりに多くの刺激を全方向から受けすぎて困っているので、それを一つに絞ってしまおうという考え。できるだけ特定の情報を受け取るようにし、思考を不快な方へ分散させないようにしたいのだ。

 通常の状態だと、人との些細なやりとりや仕事でやらかしたヘマなどがいつまでも尾を引き、集中力が乱れる。一度不安が生まれるとそれがずっと消えない。いつもの電車やバスの中では見知らぬ人々がいることや、その予測不可能な一挙一動、それぞれが別のことを考え感じていることなどが耐え難い苦痛の種になる。まさに発狂寸前。

 だから、それらの刺激が到達しない場所に一度潜り、精神と肉体に麻酔がかかった状態をどうにか作り出す。

 用意するのは、例えば本。漫画や映画でもいい。できるだけ、自分の感情を揺さぶりやすそうな物語と登場人物のものを選び、それに全身全霊で没入する。ただ読むだけ、見るだけでは足りない。自分の性質を抑えずフルに働かせて、どんな細かい情報でも感情でも拾い、日常生活が送れなくなるギリギリのところまで脳の容量をその物語に割いてみる。

 共感能力を使って魂を飛ばす。

 そうするとまず、心拍数と体温が上昇する。指先が震えたり涙が出てきたりすることもある。主人公の感じている喜びや悲しみ、その全てと自分の感情が重なり合い、同じ願いや使命すらも抱く。

 やがて、紙上や画面上に展開される風景、人々の一挙一動、避けられない運命や歴史の波などの全てが自分を昂らせて――最終的に、まるで血液が沸騰しているかのような錯覚に陥ることができれば大成功だ。

 この間はスーパーマリオでいうスター状態のようなもので、対象が目の前から消えてもしばらく続き、外部からの影響をほぼ受けなくなる。身体はここにあるけれど、全く別の場所に存在する物語の中を生きているようなものだ。

 HSPは些細なことでも反芻し深く考え込んでしまうが、その性質を首尾よく逆手に取ると、意図したトピックのみに自分の集中力を向けられる。すると苦手な匂いや音が嗅覚や鼓膜を刺激していても、それを認識する脳の領域まで到達しない。別の誰かと同化している自分は、人間と会話するときも比較的淡々としていられる。

 沸き立っている血が轟轟と流れる音で、多くの外部刺激は押し流されてしまうのだ。

 ある種の興奮状態にはあるが、騒いだり動き回ったりすることは無いので、私は「静かな熱狂の麻酔」にかかっているようなものだと思っている。

 これはあくまでも一つの例に過ぎないし、時には寿命を縮めかねない。共感覚による昂りを抑えて、誰も訪ねてこない場所でゆっくり休むことで、視覚や聴覚から受ける刺激を単純に取り除くことも必要だ。

 それでも仕事や他の用事があって寝ていられなかったり、人の多い場所に行かなければならなかったりするときは、とても役に立ってくれるので重宝している。

 

  • 生きづらいなら、自己防衛をするしかない

 わざわざそこまでしないと、溢れる雑音に押しつぶされて、普通の人間の顔をして暮らすことすら難しいというのは本当に難儀である。

 残念ながらこの世界では、どんなに「繊細で生きづらい自分」の価値を主張したところでうるさいだけで、誰も自分を助けてはくれない。ただひとり身を守りながら生き抜くしかないのだ。今までの人生を通して、それを痛いほど実感している。

 まあ、当然だと思う。HSPではなくとも、人それぞれに生まれ持った性質や抱え込んでいるものがあり、その全てに対応した社会を形成するのは殆ど不可能に近い。自分一人だけが特別苦しんでいると思い込んだ先にあるものは、また別の種類の地獄でしかないのだから。理解者が側にいたほうがいいが、そうでなくとも、少しずつできることをやっていくしかない。

 もしも自身の性質と向き合い、前向きに捉え利用することができれば、それは今後もこの世界をしぶとく生き抜くための心強い味方になると思う。

 

 記事を読んでくださった方の中に、私もHSPだよという人がいれば、あなたの「生存戦略」についても教えてくださると嬉しいです。

 

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