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彷徨する自由帖

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エジプト・カイロ&ギザ旅行(2)|広大な考古学博物館を興奮しながら駆け回った記録

 

 この記事はエジプト旅行記の第二回目です。

 前回はこちら:

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ファラオと妃が並ぶ像

 私達の心をいつの時代も惹きつけてやまない、古代文明の遺産。

 エジプト、という言葉の響きから多くの人々が反射的に連想するのは、ピラミッドの丘や王家の谷の葬祭殿、墓荒らしの手を逃れて生き残った副葬品をはじめとする、数多くの史跡・宝物だろう。現地に眠るものたちは今も悠久の時を超えて、訪問者との邂逅を待っている。もちろん、死後の復活を信じて遺体のミイラを大切に葬った古代エジプト人にとっては考古学者や調査隊も等しく、墓を暴く不届き物であるという事実に変わりはないのだが......。

 そして私のような一介の観光客は発掘後の品々を前にして、ただ敬意と共に頭を低くして敷地に立ち入り、感慨にふけったり写真を撮ったりする他になすすべはない。

 かなりの出土品がイギリスやフランス等の国へと持ち去られているとはいえ、カイロのタハリール広場前にあるエジプト考古学博物館では、他では決して見ることのできない貴重な展示品の数々を贅沢に拝むことができた。ここでは撮影禁止エリア以外で撮った写真に感想をつけて、いくつかのものを紹介する。

参考サイト・書籍:

古代エジプト 失われた世界の解読(著・笈川 博一 / 講談社学術文庫)

Egyptian Tourism Authority(エジプト観光局のサイト)

Ask Araddin(エジプト旅行情報サイト)

世界史の窓(教材工房 Y-history)

エジプト考古学博物館

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博物館正面

 ここは一般に開かれた博物館として1902年に設立された。二階建てのフロア構成となっており、特に一階の方に大きな石像や棺が多く設置されている。宝飾品や比較的小さな副葬品、ツタンカーメン関連の部屋は上の階で見ることができ、ミイラ室への立ち入りには180エジプトポンドが必要だった。館内での写真撮影をするのにもカメラチケットが必要になるので、撮りたい人は忘れずに買っておきたい。

 あまり足を止めずにざっと全体を見て回るのにも、半日以上を費やす必要があるほど広い館内。記事のタイトルにもあるように私は当時、時間の許す限り、できるだけ多くの展示品を目に収めようと必死に奔走していた。せわしない訪問だったけれど、これだけは絶対にじっくり見たいと決めていたものたちとの対面を果たせて、本当に嬉しかったことを思い出せる。

 日によりますが混雑するので、開館と同時に入場するのがおすすめです。また、ショップにはわりと多様なお土産が揃っており、一見の価値あり。

  • 少年王ツタンカーメン(Tut-ankh-amun)の副葬品

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墓所の見取り図

 1922年。ハワード・カーターとその一行による、ルクソールの王家の谷で行われた発掘とツタンカーメンの墓(KV62)の発見は、その良好な保存状態により世界中の人間を驚かせた。

 幾重もの封印を重ねたその向こう、他の墓所のように盗難被害に遭った僅かな品を除いて、ほぼ完璧な状態で長い時を超え眠っていた空間。そしてその奥に横たわっていたのは「彼」のミイラ。ツタンカーメンは古代エジプト第十八王朝、新王国時代のファラオで、妻の名はアンケセナーメンという。

 若くして冠を戴き、僅か数年の後にこの世を去った少年王の執政は、その父アクエンアテン(アメンホテプ4世)が行ったアマルナ改革の派手さに霞みがちだ。ツタンカーメンは即位後、父によりアケトアテンへと移されていた首都をテーベへと戻し、太陽神アメン信仰を復興させた。そして、歴代のファラオが手を加え続けてきたアメン神のための建造物、カルナック神殿の一部を修復する。

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厨子

 この写真の品は、ツタンカーメンの墓所の一角に置かれていた厨子の一番外側に位置していたもので、その内側にはさらに幾重もの箱や木枠、棺があり、入れ子人形のように次々と中身を開けた先にあったのがミイラだった。玄室の内部には他にもカノプス壺(後の項で詳しく述べる)にウシャブティ戦車ゲーム盤といった品物の数々が所狭しと並んでいたようで、発掘を行ったカーター氏が隙間から部屋を覗き見た際、驚きと感動の声を上げたことが知られている。

 ウシャブティといえば、漫画「遊☆戯☆王」の遊闘17で、謎の男シャーディーが遊戯に仕掛けた闇のゲーム《心理の秤》に使用されていたことを脳裏に浮かべる人も多い(?)と思う。この人形の名は「答える者」を意味し、古代エジプトで信じられていた死後の世界での労働を肩代わりさせるため、ミイラと一緒に墓に収められたものだ。基本的に、一体につき一日の労働が免除されるという。

 死後に働く人形というイメージは、どこか秦の始皇帝の墓所で発見された兵馬俑も連想させられる。もちろん二つの相違点は多くあるが、魂が身体を抜けたあとの世界でも、生者のいる現世と同じような営みがなされると考えられていた点で似ている。

 ツタンカーメンの副葬品には有名な黄金のマスクの他に、精緻で豪奢なアクセサリーもあった。展示室での撮影が禁止されていたので、私が撮った写真はない代わりに、以下のウェブサイトでそのうちのいくつかを見ることができる。興味がある方はぜひ覗いてみてほしい。

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Diadem King Tutankhamun, The Egyptian Museum, Cairo © Copyright | Farlang 2014

 実物を目の当たりにするまで、古代エジプトの技巧の凝らされた独特な装身具は、パピルスの上に象徴として描かれたものだとばかり思っていた。模様と同じような平面上の表現だと。けれどそれらは実在していて、どこから眺めても、遥か昔の人間の手によるものだとは到底信じられないくらい細かかった。権力の象徴であり現人神として扱われたファラオの身体を飾るのに、これほどふさわしい黄金の使い道はないだろうと感じさせられた。

 そう、後はもっと腕にシルバー巻くとかさ......! まあ展示品はほぼゴールドだったけど。

 また古代エジプトにおいて、遺体をミイラにする際には心臓以外の内臓が取り除かれたが、そのうち肺、肝臓、胃、腸の四つを壺に入れて保管する風習があった。カノプス壺と呼ばれるものの、それぞれの蓋には異なる神――ハピ、イムセティ、ドゥアムトエフ、ケベフセヌエフと呼ばれる――の頭部が象られていることが多い。彼らは全て、よくハヤブサの化身として描かれる天空と王権の神・ホルスの息子たちだ。

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ツタンカーメンのカノポス

 これはツタンカーメンの王墓から見つかったカノプス壺である。細工も素材も、展示されていた他のどのものよりも美しかった。なかには以下の写真のように、壺を収めていた箱の上にかわいいアヌビスが乗っているものもあって面白い。蓋にあしらわれた四神の頭部もデフォルメされていて、マスコットのような趣がある。

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アヌビスのぴんと立った耳

 

 そして、彼や他の王族の墓にしばしば入れられていた副葬品のうちのひとつに、セネトと呼ばれるものがある。これはマス目で区切られた長方形の遊戯盤と二種類の駒を用いたすごろく風のゲームで、ルールの解明が進んでいるものの中では世界最古であると言われており、古代エジプトでは身分を問わず広くプレイされていたのだという。

 ここ考古学博物館でも、そのいくつかを見ることができた。

  • セネト(Senet)と古代エジプトのボードゲーム

 セネトという名前は、古代エジプトの言葉で「通過すること(もしくは関門)」を意味するものから来たと考えられている。その多くは引き出しのついた箱型で、遊戯盤の下に、駒やサイコロ代わりの木片を収納できるようになっていた。便利なものだ。人々の間で通常のゲームとして遊ばれたほか、新王国時代の頃には儀式的な意味合いを持つ、死後の魂が来世を目指す旅を表すものとしても扱われていた。

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セネトの遊戯盤・駒・サイコロ

 基本的にゲームの始まりは一番左上のマスで、そこから逆のS字を描くようにして駒を進め、相手よりも早く全ての駒を盤上から脱出させた方が勝ち。進められるマスの数は投げた四本の木片の表裏で決定され、特定の数字を出すともう一度振ることができる。そして、進んだ先に相手の駒があれば自分のものと入れ替えることができる。このような動作を二人で交互に繰り返す単純明快なゲームだ。

 ただし、すごろくで遊んだことがある人なら分かると思うが、止まるマスによっては通過するのに特別な条件を必要とする。ゴール直前で強制的に前のマスへ戻されてしまうこともあるし、相手の駒が二つ以上並んでいるマス目では入れ替えを行うことができず、先に進めない。逆に自分の駒を固めた場所があれば相手の道を阻むことができるので、意識的にそういった場所を作っておくのも戦略のうちのひとつになる。

 取れる行動は賽の目次第なので運の要素が強いが、考えなしに駒を進めていても上手くはいかない難しさも多少あるといえよう。

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 エジプトではセネト以外にも多く古代のゲームが出土しており、写真右側に映っている蛇型の盤を用いたものはメヘン(メーヘーン)と呼ばれている。これもセネトと同じように、盤の上の駒を動かして遊ぶものだと考えられているが、ルールの解明は殆ど進んでおらず分からないことが多い。他の国、例えばギリシャのキプロス島でも似たものが出土しており、エジプト国内よりも比較的長い間遊ばれていたと推測されているようだ。

 セネトやメヘンの側に展示されていた、単純な丸や三角錐、それから少し凝った獅子の形をした駒の数々。それらを眺めていると、遊びという観点から人間を読み解くことの片鱗に少しでも触れられるような気がする。気の遠くなるような古い時代から、遊ぶという行為は私たちの身近にあった。思えば最後に誰かとゲーム(トランプやUNOなど、アナログなやつ)を楽しんだのはいつだっただろうか......。

 修学旅行や合宿の夜に、友達とひざを突き合わせてやるババ抜きなどが異様に面白かったときが確かにあった。たまにはそういうのも良いかもしれない。

 次に紹介する展示品は、古代エジプトにおいては特権階級の扱いをされていた職業・書記のひとりを象った彫像だ。

  • 書記坐像

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特徴的な髪型

 この像は考古学博物館の一階、古王国時代の出土品が多く収められてる部屋の、ガラスケースの中に鎮座していた。第五王朝の頃のものだと言われている。胡坐をかいた両足の上にはパピルスと思われるものを持ち、何かを書きつけている最中のような姿勢で前を見つめる視線――この写真の角度からだと分かりにくいが、像から見て左の方向に少し首を傾けるようなしぐさも表現されている。彩色された体の表面は、不思議な生命感を纏っていた。

 じっと見ていても気付かなかったことだが、ふとガイドさんから携帯電話のライトで像の目を照らしてみるように言われて、驚いた。眼球が光を反射して、まるで生きている人間のようにこちらを見返すのだ。そこには他の部分とは違う素材の石が嵌め込まれていた。暗闇でこんなものを発見したら、亡霊に遭遇したと言って逃げ帰る人がきっと後をたたない。そのくらい現実感がある。

 当時、書記というのは誰でもなれるような職業ではなかった。業務内容は読み書きにとどまらず、税などの計算をしたり、公共事業の計画に関わったりすることも多く、単なる記録者というよりも指揮者のような役割を担うことも多かったようだ。

 そのぶん彼らが手厚い待遇を受けていたことが伺える文章が、大英博物館に収められている。これはおそらく書記学校の教師が生徒に向けた言葉という体で書かれており、農民として暮らし一生を過ごすことがどれほど大変かということ、加えてそのような苦役に従事したくなければ必死で勉強し、書記になれという趣旨の事柄が並んでいる。そのようにして人を鼓舞するやり方や言い回しは、昔も今も変わらないのだな、と思った。

参考書籍|古代エジプト 失われた世界の解読(著・笈川 博一 / 講談社学術文庫)

  • メイドゥームの鴨

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壁画

 さて、最後に紹介したいのはこの壁画。メイドゥームの鴨と呼ばれる、美術史を学んだことのある人間なら必ず知っている作品だ。優れた観察から生まれる細かな描写がきわだつ、古王国時代の傑作といえる。発見された場所の地名にちなんでこう呼ばれるようになった。もっとも、日本語で鴨と呼ばれてはいるが、実際は雁かガチョウであるらしい。

 近くに寄ってくちばしの周辺を見つめると分かるが、鳥のが一本一本丁寧に描かれている。彼らの体を覆う羽根も同じだ。面相筆か、それとも簡易的なペンのような鋭い筆記具で描画されたのか。その筆致からは、どこか鳥たちに対する愛着すら感じさせられた。

 エジプト美術において、人物の顔は正面か真横からみた形で描写されることが多い。実際にパピルスや神殿の壁に描かれたものたちの殆どがその様式に則っている。そして、そのことを念頭に置いてメイドゥームの鴨を見れば、動物である彼らもまた真横から見た形で表されているということに思い至るだろう。

 このように上下左右、前と後ろ、どこに目を向けても垂涎ものの物品が所狭しと並ぶエジプト考古学博物館。現地に行った際はぜひ訪れてみてください。博物館前の人工池にある蓮や、植えられたパピルスを見るのも楽しいですよ。

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 次の記事ではハーン・ハリーリ市場と、マニアル宮殿の観光記録について書いてみようと思います:

 そして道中では、以下の記事で言及されているコシャリをいただきましたが、癖になるおいしさでした。