前回までの記事はこちら:
引き続き、旅の記録をつけていきます。
参考サイト:
Egyptian Tourism Authority(エジプト観光局のサイト)
Ask Araddin(エジプト旅行情報サイト)
カイロ散策
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ハーン・ハリーリ市場(Khan el-Khalili)
砂漠の国の、雰囲気ある市場に憧れたことのある子供はきっと多い。幼い頃の私もそうだった。
不思議な幾何学模様が描かれた布、きらめく装身具、布袋から覗く果物がひしめく通り。人々が行き交う活気ある場所で、自分の国では見たこともないような品々を眺めて歩くのは、どんなに面白いだろうか――と。
地上のどこかにそんな場所があるなんて、行動範囲の狭い子供の身では到底信じられなかった。
カイロにあるハーン・ハリーリ(Khan El Khalili)は、細い路地がまるで迷路のように入り組んでいる市場だ。
もともとはファーティマ朝のカリフ達を埋葬する土地だったそうだが、14世紀後半にそれらの遺構が取り除かれ、カイロ経済の中心となるべくして大規模な隊商たちの宿(キャラバンサライ)が造られた。それが現在のハーン・ハリーリ市場の前身となったのだという。
16世紀にはマムルーク朝のスルタン、ガウリーが市場のほぼすべての地区を改装したため、発足当時の痕跡はあまり残っていない。とはいえ、500年以上の歴史を積み重ねてきた佇まいはやはり重厚だ。通路や象徴的な門の多くもこの頃に建てられたもので、香辛料や香水、茶葉の微かな匂いが時間を超えて、石の柱の間から染み出てくるような気がした。
注意して見るとそこかしこに猫がいて、人々の足元を風のようにすり抜けていく。ここには食べるものが沢山あるのだろう。カイロの街では猫も犬も頻繁に見かけた。彼らはみな、大人しそうにしている。
私が訪れたのはラマダーンの時期だったので、星や月、ランプを象った飾りがいろいろな場所で出ていてとても綺麗だった。
実際にふらふら歩いてみると、地元の人向けの店と、お土産物中心の店が並んでいる地区が分かれていることに気が付く。特に後者が立ち並んでいる通り(表のほとんど)では、謎の日本語で呼び止められたり押しの強い輩に追われたりするので颯爽と立ち去りたい。これが結構うっとうしいのだ。
かと言って、観光客が誰一人としていないような奥の方へと行き過ぎるのも少し危険。
また、たまに日本語で「やまもとやま」や「これ全部タダ」などと訳の分からないことを言われたりもする。みんな適当に言っているだけなので、よほど暇でなければ相手にするのはやめよう。
雰囲気がおもしろい市場なので、できれば何も考えずに歩き回り空想に浸りたいのだが、それに適しているのはここではなく、平和な動物園のような場所だろう。
ハーン・ハリーリ市場では、現地人向けの品についている値札(ヒンディー数字なので知らない人は読めない)を除くと、基本的に「定価」というものが存在しない。私は個人的に交渉で値段が決まるものが嫌いなので、ここでの買い物はやめておいた。
店員とのコミュニケーションが好きな人は、未だに根強い人気がある日本製のボールペンを持って値下げの要求をしてみよう。大量にお土産を配りたい人には良いものが見つかるかもしれない。
人が集まるどんな観光地にもいえるのが、スリや強盗に注意することと、テロの標的にされる危険性があることだと思う。この市場でも過去に何度か爆発が起こっているし怪我人も出た。
加えて、私が訪れた際には大通りに面した場所で喧嘩が勃発し、椅子が空中を飛び交いそうになっていたので、周囲の様子にはしっかり目を向けてリスクを回避したいものである。
市場の隣には複数のモスクがあり、通路の隙間から空を仰ぐとそれらの塔が見えるのがなんとも趣深い。村山早紀先生著の名作児童文学「シェーラ姫の冒険」に出てくる砂漠の街の幾つかには、きっとこんな一角もあったに違いない。
他の建物にも細工の美しい木製の窓などが残っているところがあるので、買い物だけと言わず、単にイスラムの建築を眺めに行くだけでも楽しいと思う。
それと、ハーン・ハリーリには至る所にカフェがある。ミントティーのお味が気になる人はぜひ一服でも。私は暑さに耐えきれず、座って缶のペプシコーラを飲んでいたので、エジプトにわざわざ来た意味が全く無いと思って少し笑った。
しかし本当に茹るような気温だったので、湯気のたったお茶を飲む気力など無かったのだ。
ここからはバスに乗って、豪華絢爛な内装が特徴のマニアル宮殿へと向かうことになる。
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マニアル宮殿(Manial Palace)
ナイル川に浮かぶロード島は、上の市場から車で約25分程度の距離にあり、宮殿はその北端にあった。
上記のハーン・ハリーリ市場とはうって変わって、訪問者の数は少なく、特に地元の人間は殆どいないようだった。
マニアル宮殿は20世紀にムハンマド・アリー・タウフィークのために造られた宮殿で、名前が似ているが、彼はカイロのシタデル(城塞)のモスクを建てたムハンマド・アリーとは別人だ。少し紛らわしい。
間違った情報が記載されているサイトがあまりに多いので太字にしておいた。別人です。
宮殿の建造にこの場所を選んだのは、近代化の途にあったカイロという都市の乱雑さと砂塵を少しでも避けたところを探した結果なのだそう。実際に居住する場所としてはあまり使われず、後の1955年に博物館として国の機関へと献上された。
入口で入場券とカメラチケットを購入する際に周囲を見渡したところ、かわいい子猫が二匹いて注意を引かれた。日陰で涼んでいるのだろうか。その下に敷かれている色とりどりのタイルも美しいが、中に入るとこれよりも遥かに鮮やかで、精緻かつ圧倒的な装飾の数々を目にすることになる。
訪問者の数は少なめで静かだった。
とても可愛いので手で撫でたり転がしたりしたいが、病気などの危険性があるので海外で動物を触るのはやめよう。
敷地内に入ると、広大な庭園と多様な木々、草花に迎えられた。これらはムハンマド・アリー王子とその庭師が直々に集めた種や苗からなるもので、なかにはメキシコで採取されたサボテンなど、とても珍しいものも含まれており見ごたえがある。
5月末の訪問時にはハイビスカスの鮮やかな赤い花が印象的だった。正面の道を歩いて行くと左手にお手洗いがあるので、チップを払うと利用できる。
通路の突き当たりにある建物へと足を踏み入れると、視界に飛び込んでくるトルコ製タイルの文様に圧倒されてため息が出た。ここには食堂など、生活のために設計された部屋が保存・修復されて残っており、通常は一階部分のみを見て回ることができる。
内装はトルコ、ペルシャ、そしてヨーロッパの芸術――アールヌーヴォーやロココのデザインが組み合わされたもので、部屋や建物(全部で五つある)によって様式は異なっていた。天井の精緻な細工は、木と石膏の素材のうえに金箔が施されていて立体的だ。
ムハンマド・アリー・タウフィーク王子は世界各地を飛び回っていたので、その最中に養われた感覚が宮殿の造形に影響したと言われている。
周辺には他に狩猟博物館、モスク、時計塔があり、特に博物館では動物の剥製や昆虫標本の数々がずらりと立ち並ぶ様子を間近で見られるが、苦手な人はやめておいた方がよさそう。私はそこまで好きな方ではないので、まあまあ楽しめた。
レリーフに覆われた時計塔の外観がとても良い。横のモスクには靴を脱いで入ることができ、内部の見学が可能。
ここでは前回の考古学博物館で垣間見た古代のエジプトとは全く異なる、近世以降の王国の文化と芸術に多く触れられる。
現在エジプト国民のほとんどはイスラム教信者といわれており、これは一神教だが、古代の神々や宗教はいろいろな形で街の中に息づいていると現地を歩いてみて感じた。それらは私達にとっての、古事記の物語と同じような位置付けなのかもしれない。
エジプトを含め、アフリカや中東の現在について深く知る機会は多くないが、観光という形であってもその様子や漂う雰囲気を感じることは貴重な経験になった。ふだん情勢があまり安定していない地域には行けるうちに行っておきたい。昔は多くの観光客で賑わっていたシリアのパルミラも、今となっては訪問が難しくなってしまったから。
無事に観光を終えて帰ってくることができた幸運をかみしめて、最後は少しだけ食べ物の話をしようと思う。
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コシャリ
このコシャリというのは、現在のエジプトでよく食べられている国民食。
一体どういうものかというと、お米にマカロニやスパゲッティの切れ端のようなパスタ、レンズ豆・ひよこ豆とスパイスを混ぜて作られた、ボリュームたっぷりの料理なのだ。
この時はトマトソースと玉ねぎで味付けがされたものをいただいた。好みが分かれると思うが、個人的に豆類が好きなのでかなり美味しいと感じたのを覚えている。同じ理由でフムスも好き。
串刺しにして焼かれた鶏肉と一緒に、手を止めることなくコシャリを口へと運び続けた。写真に写っている緑色の飲み物はミント&レモンの爽やかなジュースでこれも美味しい。エジプトではマンゴーやストロベリーなどいろいろな種類の果物ジュースを頼んだが、どれも絞られた果肉と果汁そのままの味で、かなり良かった。
いま思い出しても飲みたくなってくる......。
コシャリは日本でも食べられる場所がいくつかあるので、いけるかもしれないと思った人はぜひ食べに行ってみてほしい。
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次回の記事ではサッカラ・ダハシュールのピラミッド郡とマスタバ墳の写真、訪れた感想などを掲載します。ぜひお付き合いください。